私小説
僕の家の庭には昔、栗の木が立っていた。毎年6月になるとあの独特の匂いをまき散らし、夏になると毛虫みたいな花を落とし、10月になるとさして大きくもない実をたくさん落とす、そんなどこにでもありそうな栗の木だった。僕は幼稚園の頃から毎年のようにその…
好きな漫画に、大学を卒業した主人公が定職に就かず、バックパッカーとしてその日暮らしを送る場面がある。田舎で退屈な高校生活を送る主人公は、都会から越してきた女の子と出会い、自分の暮らす土地の魅力に気づき、それでも外に出る決意を固める。彼が高…
県民河川愛護デーには、家の近所や河川敷、海岸の清掃をするのがこのまちの定例行事だ。大家さんから貸し与えられた刈り払い機の試動を済ませ、集合時間の6時少し前にゴミステーションに向かった。二軒隣に住んでいるおじさんがちょうど出てきたところだった…
僕が大学生活を送った寮には、ふんどしになって夜の街を練り歩き、最後には公園の堀に飛び込む――という実に「大学男子寮のステレオタイプ」な寮祭がある。諸事情により今年で45年の歴史に幕を閉じることになった寮祭を淡々とレポートするよ。 『世の中には二…
ああ、きっと、目まぐるしく続くこの生活は、何かに気付いたときにはもう終わりを迎えているのだろうな。 映像を伴った強烈な記憶がある。卒業を前にした、十一月頃のことだったと思う。 僕たちは、近所のスーパーに買い物に出かけたのだ。四人揃って、自転…
寮についての最初の記憶はなんだっただろうか。さして深く潜ることもなく、僕は思い出すことができた。 初めて僕が寮を訪れたのは、そこに住むことになる半年ほど前、二〇〇二年の九月のことだった。見慣れない土地の寂れた道を歩き、辺りを見回しながらなん…
「――というようなことをさ、現在のおれの状況とか交えながら書いて行こうと思うんだけど」 僕のアパートに着き、荷物を降ろしたふたりに言った。 「きっかけがあってさ、寮小説書こうと思ったわけ。でも、おれのことだからなんか自分以外に急かされないと完…
誰かが廊下を歩く気配がして僕は身を起こした。同時に頭の奥に腐ったような痛みを感じ、ひでぇなぁと呟いてゆっくりと体を横向きに戻した。曇り空は明るく、枕元の携帯電話に手を伸ばすと二時を過ぎたところだった。床に湿ったふんどしが落ちているのが見え…
僕は待っていた。 小説を「つかまえる」というなかなか素敵な言い方がこの世にはあって、あえてそれに倣うならば、この十日程の間、書き出しが向こうから僕につかまえてもらいに来るのを待っていた。 思えばニ年以上、寮で生活していた期間を含めればもっと…
「モーニングスター」は、僕が2008年に書いた私小説です。 大学生活を送った寮について「自分のために書き遺す」ことを最大にして唯一の目標として執筆を進め、08年7月・10月に市内で行われた同人誌即売会で頒布しました。 この度、その舞台となった寮が建て…