ポリゴンおっぱいじゃダメなんだ。 べにょべにょ揺れる様がじゃない。無駄な大きさがじゃない。 カップとショルダーをつなぐ紐と肌の間に隙間がないことがダメなんだ。 肩ひもが胸にぴったりくっついているわけがないんだ。 だれかこの違和感わかってくれ。
注意されて泣く、叱られて泣く。一緒に居る相手が不機嫌になるだけで泣きたくなる。弱虫過ぎて笑える。 3か月ぐらい憂鬱な気分が続く。3.11から余計に憂鬱な時間が増える。好きだった土地が豹変してしまい凹む。 何もできない自分に嫌気がさす。ボランティア登録しても怖くなってしまってめげる。 一人で居たくないけれど、友達はみな多忙。アルバイトもしてない自分を軽蔑しているに違いない。 けれど、怖くてアルバイトを探すこともできない。学生ニートとはこのことか。 泣いてしまうのが怖い。目の奥が熱くなって鼻がツーンとする。自分でも呼吸が荒くなっていくのが分かる。 頭が真っ白になって注意力が下がる。こめかみがズキズキする。そしてまた注意される叱られる。 うーん。どうすればいいんだろう。 そして寝付きの悪さもどうにかしたい。
子育てのストレスは先が見えないことだと思う。私は一人しか育ててないから、全てが初めてで不安で疲れる。「将来悪影響があったらどうしよう」といつも怯えてイライラしてた。 どんなにつらく感じても数ヶ月や数年のことだと頭ではわかってるんだけど、睡眠不足で精神が病む。 どんなアドバイスより「一晩でいいから夜預かってほしい、ぐっすり寝たい」と思ってしまう。実際誰かに預けて安心して眠れるかはわからないけど。 保育士さんが「自分の子は手元で育てたい」と言ったりするのは、子どもがどう成長していくのか知っててトラブルにも慣れてるからだと思う。何より子どもはすぐ大きくなると知ってるから、可愛い瞬間をそばで見ていたいんだろうね。 限界と思うほどつらかったとき、偶然思春期の子どもに手を焼いてる親の質問や回答を見て泣いてしまった。 今は可愛いもんなんだな、将来こんなに荒れるんだ…子離れって大変だな、寂しいと涙。 こっ
記憶を蘇らせるきっかけは、RADWIMPSの「狭心症」という曲だ。 この眼が二つだけでよかったなぁ 世界の悲しみがすべて見えてしまったら 僕は到底生きていけはしいないから 当時、僕は静岡に住んでいた。その時間、部活の練習中で、人生でほぼ経験したことのない長い揺れを感じ、部員みんなで身を守る体制になっていた。震度こそ震度4だったが、異常なことがよく分かった。 練習の合間にガラケーを開く度、「M7.9」「大津波警報」「既に津波は到達している」「原発電源損失」という文面が流れてくる。 その後の余震で静岡も頻繁に揺れていたこともあり、部活は中止になり、家で様子を見ることになった。 テレビを傍らに、まだ登録して一年足らずのTwitterに張り付いていた。まだ会ったことのない東京の友達の安否を確認していた。 人生で全く経験したことのない非常事態に終始緊張をしていた。いまこの瞬間に多くの人が死んでいって
・九段会館の天井が抜け、女性1人が死亡、27人がけが ・浦安近辺で液状化現象が発生、マンホールが盛り上がった画像が当時衝撃をよんだ。 ・千葉県市原市でコンビナート火災が発生、3.11当時は関東では津波よりもむしろこっちのニュースを流してた ・上記の火災に関するデマ(そこで発生した有害物質が雨となって降る)がツイッターなどを駆け巡る、非常事態時のデマの恐ろしさを改めて知る ・東京の鉄道がほぼ完全ストップ、帰宅難民が多く発生、幹線道路では長蛇の列をなし歩いて帰宅する人が見られた。 3.11を忘れるなとかテレビは言うけど、東京近辺の人間だってこれだけ被害を受けてるんだから忘れたくても忘れらんねえよ。
3月11日という日関連で、テレビやTwitterも東日本大震災がらみの話題が多いけど、 個人的には被災地の復興と放射能汚染の問題を一緒に考えるのはどうなのかなと思ってる。 ただの震災だけだったら両手を挙げて復興を応援したい。 しかし、放射能が絡んでくると話は変わってくる。 復興よりも土地を離れることを勧めたいと思う。 震災や津波だけでも大変なのに、次は放射能による健康被害まで背負うのは あまりにも酷というものだ。 国の「安全だ!コントロール出来てる!」と言う言葉に惑わされないで欲しい。 過去にミドリ十字やトクホでやらかしているんだから。 あと、気になったのが、Twitterで「福島のものは他の地域に比べて放射線量をしっかり 検査しているから安全ですよ!」と言っているもの。 残念ながら、全部のものがそうとは限らないです。 市場に出回っているものですら検出されているようです。 「べぐれでねが」
今朝の地震と津波警報に関して、煽りすぎだ。煽っても人が死ぬよりいいというはてなーがコメントを寄せていた。 どっちだろうと興味ないけれども、中には煽っても人が死ぬよりいいというはてな民が「もう震災を忘れたのか!」となかなか強いコメントを寄せる人が結構な人数いて、驚いた。 というのもなぜ津波であんなに犠牲者が増えたのかという当時の検証番組やインターネットの記事では津波警報を過大に報道しすぎて信用されなくなった経緯があるということが原因だろうと結果が出ていたからだ。 津波の記憶だけを覚えていて、過剰に煽り、津波警報が信用されなくなる。 そして未来の津波被害者が増える。 教訓までは覚えていなかったか。はたまた知らなかったか。それを知っても煽ってもいいというのだろうか。 未来の犠牲者はどうでもいいけれど、そこだけに興味がある。 以下は今探しても読める記事の一部である ----------------
ただの作業ゲー&運ゲーじゃん。ベタオリも全然楽しくないし。もう潮時かな 追記 大三元アガりました。これで心置きなく麻雀を引退できます。今までありがとうございました
3.11 、記憶によると、その日は肉まんを食べていたように思う。 住んでる地域が地震と関係ない場所だったから、安心していた。 TVのニュースとかで津波の様子が流れているのを横目に、「ああ、何気ない日常はこうも簡単に崩れてしまうものなのだなあ」などと思っていた。 コンビニで肉まんを買った。 せめて、 せめて今苦しんでいる人、そしてこれから苦しむ人々が、決して味わえない幸福を、自分が代わりに味わっておこう。 彼らにしても、苦しんでいる自分たちに同調して、他の誰かも旨を痛めているとか、憐れんでいるとかは、耐えられないだろうと思った。 ネット上やメディアには、そういう人たちが、溢れている。 だからせめて1人だけでも、軸が振れてない人間が必要なんだ。そう思った。 それが自分なりの、”祈り”なんだ。 肉まんは、ホカホカだった。
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