本田圭佑はサッカー選手としてACミランと日本代表でプレーする傍ら、サッカースクールを経営する「経営者」としての顔がある。2012年にスタートした『ソルティーロ』はわずか2年半で30校を超え、驚くべきスピードで拡大し続けている。2018年のW杯に向けて新たなスタートを切った今、本田は何を考えているのか? 日本代表の親善試合に向けて帰国する際、ミラノ国際空港で5つのテーマについて話を聞いた。
インタビューをしていると、時として思いがけない発言に出くわすことがある。 こちらがまったく予期していなかったことを話し始めたり、想定外の意見がでてきたり……。インタビューというものは話の流れをある程度計算して進めるものだけれど、そういった部分に関しては計算ができない。そして本当に面白い話というものは、大体がそんな予期できないところから生まれるものだ。 今回、10月下旬にロンドンでセッティングしたジョゼ・モウリーニョとのインタビューでもそんなことが起きた。 ADVERTISEMENT 取材も終盤に差し掛かった頃のことだ。モウリーニョはふとある話を始めた。 それは香川真司についてだった。 「実はまだレアル・マドリーの監督だった頃、私はカガワの獲得に動いていた。実際に我々は彼と話をした。ぜひレアル・マドリーに来てほしい。このチームで一緒にプレーしないかと」 モウリーニョが実際に香川と接触していた
彼は早速、ドイツで有名になった。 最初は、テレビの御意見番として鋭くも愉快な批評が話題を呼んだ。 だがそれ以上に、彼の傑出した監督としての仕事ぶりが、バイエルン・ミュンへンの目を引いた。 「ウリ・ヘーネス(バイエルン会長)から連絡があって、会ってみないかと言われた。僕は『かしこまりました。最初に母ちゃんに聞かないといけないけど、たぶん大丈夫だと思う』と答えた。そのとき彼が言ったのは、次の監督として二人の名が挙がっていて、僕がその一人ということだった。その後、ヘーネスはユルゲン・クリンスマンに決めた。 でもそんなにがっかりしなかった。 二部の監督がバイエルンに呼ばれるのは、世界最悪のことじゃない。」 ハンブルガーもクロップに接触してきたことがある。 だが最後に、上層部がマルティン・ヨルにオファーを出すことを決めた。 彼と違い、インタビューのときにスーツを着る男を選んだ。 「なんで仕事を逃すの
前エントリーで紹介したクロップ監督のインタビュー記事(ガーディアン紙)が、海外で大きな反響を呼んでいました。 一部の訳だけにするには、あまりに素晴らしい内容だったので、追記することにしました。 ユルゲン・クロップが中立ファンに”特別なボルシア・ドルトムント”への応援を呼びかける。 http://www.guardian.co.uk/football/2013/may/21/jurgen-klopp-borussia-dortmund-champions-league - ドルトムントとマインツの類似性について - 「ドルトムントは、そこで働く一人ひとりがこのクラブのファンなんだ。それはマインツでも同じだった。僕が選手をしていた頃には、土曜日の雨降りしきる午後に、観客が800人なんてこともあった。もし僕たちが死んでも誰も気付かないし、葬儀にも来なかっただろう。でも僕たちはクラブを愛していた
第87回全国高校サッカー選手権大会準々決勝・滝川第二高校対鹿児島城西高校の、試合後のロッカールームで、高校サッカー界の歴史に残るといわれる名言がうまれた。 (参考動画: https://www.youtube.com/watch?v=B-uRb9Ba9uA) 大会で10得点を挙げ、得点王に輝いた鹿児島城西のFW大迫勇也(現・鹿島)と対峙した、滝川第二のDF中西隆裕(現・関西大)が涙ながらに放った言葉「大迫 半端ないって」。高校サッカーの“爽やかさ”が凝縮されたようなその言葉は、日本中のサッカーファンの脳裏に焼き付いた。 あれから4年。中西は関西大学を卒業すると同時に、サッカーを引退する。4月から大手銀行に営業職として入社する彼の「今」に迫る。 ■サッカー引退理由 -JFA U-18選抜にも選ばれた中西さんが「大学を卒業すればサッカーを続けない」と決意したのは? 中西隆裕(以下、中西):大学
[サムライサッカーキング Oct.2012 掲載] 2010年南アフリカW杯は、ベスト16という望外の結果を残した。1998年に初めてW杯のピッチに立ってから、2002年の熱狂、2006年の惨敗を経て、日本サッカーは着実にステップアップしている。代表選手の半数以上が海外クラブに所属し、欧州のビッグクラブもいまや遠い存在ではない。しかし、それで満足だろうか? 同じ土俵に立っただけではないか? 僕たちは何かを成し遂げたのか? 日本サッカーが真の意味で世界のトップになるために。日本サッカーを変える孤高のサムライの、魂の咆哮に耳を傾けろ。 インタビュー岩本義弘 写真=新井賢一 ──まずは、プレーの話から聞かせてください。最近の本田選手のプレーを見ていて感じるのが、以前と比べて、ボールをもらう動きの質を相当意識して高めようとしているんじゃないかと。「いかにしてフリーになるか」、「いかにして相手を外す
オランダから未知の国、日本へ 右サイドからフワリとクロスが上がる。細身で長身のストライカーが、クロスに対応するDFの死角に入りながら巧みに体を入れ替え、しっかりと振り切ったヘディングシュートをゴールに突き刺した。 2012年1月27日、オランダ・エールディヴィジ第19節。PSVのホームで行われたPSVvsフィテッセ戦。前年の12月にヴァンフォーレ甲府からフィテッセへ移籍していた日本代表FWハーフナー・マイクがオランダで決めた初ゴールのシーンだ。 遠く離れた日本で、マイクの初ゴールをほかの誰よりも、ひょっとすると本人以上に喜んでいた人物がいる。清水エスパルスでコーチを務めるハーフナー・ディド。マイクの父親だ。ディドは、親子をつなぐ不思議な巡り合わせを教えてくれた。 「僕はFCデン・ハーグ(現ADOデン・ハーグ)でプロになったんだけど、初試合がPSVスタジアムのPSV戦だったんだ。同じス
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