岐阜県立岐阜商業高等学校では控え投手から中堅手のレギュラーとなる。高校卒業後、名城大学に進み、3番・中堅手として活躍。また、投手も兼任。1998年、愛知大学野球リーグで春・秋季ベストナイン外野手に選ばれた。愛知大学リーグ通算93試合出場、310打数88安打、打率.284、2本塁打、36打点。 トヨタ自動車から入社内定を得ていたものの[11]、1998年のドラフト会議で中日ドラゴンズから4位指名を受け入団[注 3]。 1999年は一軍出場なしに終わった。 2000年も一軍出場無しに終わる。入団当初から俊足強肩が高く評価され、山田久志が監督だった時代(2002年 - 2003年途中)には投手と外野手の兼任案が出たこともある。 2001年に初めて一軍出場する。 2002年から一軍での出場機会を増やしていく。 2004年から登録名を「英智」に変更した[注 1]。この年から監督に就任した落合博満が掲