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買ってよかったもの
dirk-diggler.hatenablog.com
2020年の年の瀬。新型コロナウイルスが第三波として猛威を奮い始めた頃、私はある海沿いの大学病院で緑内障の手術を受けた。緑内障の手術というのは、一定以上高くなってしまった眼圧がこれ以上高くならないようにする為の〝現状維持〟の手術であることが多い。眼圧が高くなることで視野が失われてゆき、酷ければ失明する可能性もある。そうした結果にならない為に行うものであり、視力/視野が回復する手術ではない。 チェーホフの代表的な戯曲『ワーニャ伯父さん』には、以下のような台詞がある。 人生は失われた、もう取り返しがつかない──そんな思いが、昼も夜も、まるで家の悪霊みたいに、ぼくの心をさいなむんだ。 今から約120年前の、47歳を迎えた中年男の喪失の感覚を、別の喪失の感覚と重ね合わせたのが濱口竜介の新作映画『ドライブ・マイ・カー』である。 ■観客のいない演技 村上春樹の同名短編小説が原作となってはいるが、同作が
1. 『ザ・ギフト』 2. 『ウォークラフト』 3. 『キャロル』 4. 『セルフレス/覚醒した記憶』 5. 『溺れるナイフ』 ■1.ザ・ギフト ジョエル・エドガートン初監督作。この手のサスペンス/スリラーで監督デビューした俳優というと真っ先にイーストウッドの「恐怖のメロディ」を思い出すが、あの映画と決定的に違うのは「異常なことをしてしまう人にもそれなりの理由があるはず」といった視点、「社会での勝ち組・負け組」といった要素を巧みに忍ばせている点だと思う。そしてそれはまさに、ジョエル・エドガートンという俳優が今まで関わってきたほとんどの映画に共通するテーマでもあると思う。 ■2.ウォークラフト 原作であるゲームの内容をほぼ知らない状態で鑑賞。自分が所属する会社が、明らかにブラック経営に転じた/一線を越えた際に、企業戦士は何を選ぶのか、という話にも変換が可能。非常に高度な政治的判断で義を捨てな
休日にbandcamp内を「name your price」や「free download」といったタグで探っていると、その二つで共に多く引っかかる「La Souterraine」というレーベルに辿り着いた。 しかもこのレーベル、この音源一覧のアルバムは全て投げ銭DLが可能(つまり0円でもオーケー)となっており、丸一日を費やして大体の音源を把握し、そのクオリティの高さ、そしてそれを広く解放拡散してしまうレーベルの心意気/太っ腹加減に感動。後日に色々と調べてみると、以下のリンクで事情通の方が既に紹介しており、非常にためになりました。 今から約1年前の2014年1月、パリのレーベルAlmost Musiqueの代表者バンジャマン・カシュラとパリのラジオ局アリグルFMのDJだったローラン・バジョンが中心になって、フランス語で「アンダーグラウンド」を意味するラ・スーテレーヌ(La Souterra
ボストン・グローブ紙が、ボストンのカトリック教会の、とある神父による児童への性的虐待事件と、教会全体がそれに対して隠蔽工作を行っていた事実を告発し、最終的には国ですら干渉できなかったバチカンが非を認め賠償するに至った、という実話に基づく作品。 今までも性暴力被害を告発するような映画は幾つか作られてきたと思うが、本作で斬新だった視点は、所謂「被害者の会」の人々が置かれる立場である。 彼らは巨大なバチカンを相手に、被害者の話だけを武器に、(数こそいるが)孤独で勝ち目のない戦いを続け、教会側の弁護士に敗れ続けるも、決して戦いを止めようとはしない。ボストングローブの取材班:スポットライトチームは、「聖職者による虐待被害者ネットワーク」のリーダー、フィル・サヴィアーノ(ニール・ハフ)にコンタクトを取る。彼は取材に応じこそすれど、長年に渡る教会との戦いに疲れて果てていて、ボストングローブに対しても苛立
長年連れ添ってきたゲイのカップルが、同性婚が認められるの機に正式に結婚するも、思いもよらぬ出来事により経済難に陥り、新婚早々にも関わらず友人などを頼って肩身の狭い居候生活を余儀なくされてしまう、というお話。 鑑賞中に驚いたのだが、この作品では小津安二郎「東京物語」の老夫婦を、熟年ゲイカップルに置き換えるという大胆な変奏がなされているのだ。 音楽教師:ジョージ(アルフレッド・モリーナ)の主な収入が、画家:ベン(ジョン・リスゴー)との暮らしを支えたいたようなこのカップルであったが、とあることがきっかけでジョージは職を失うことになる。突然の失職により経済的にも困窮し、マンハッタンのアパートも出なくてはならなくなり、それぞれ友人宅に居候をすることとなる。 この、新婚間もなくして離ればなれに暮らさなくてはならなくなり、友人宅に泊めてもらい、今まで良好に思えてきた関係も次第にギスギスしてくる、という感
クエンティン・タランティーノ8作目の映画である(今回はタイトルロールでご丁寧に「the 8th film by quentin tarantino」と大写しになる)。あと2本での監督引退を仄めかしているからか、なにやらジョン・カーペンター作品における「's」と同じような、ただならぬ気合いを感じてしまう。 今回は西部劇+密室殺人という体裁をとっているが、蓋を開けてみればいつものタランティーノ作品であり、でもそれでいて今までのどの作品にも似ていない気がするし、「レザボア・ドッグス」「パルプ・フィクション」といった初期作のテイストを感じ取ることもできる。個人的に感じたのは「パルプ・フィクション」における2点の類似点があるような気がする。 (※以下、内容の詳細に触れているので未見の方はご注意を) ■その1 与太話 「パルプ・フィション」を観たことがある人なら、誰もが憶えているであろう「金時計」のエ
トッド・ヘインズの2002年の監督作「エデンより彼方に」で、プロダクションデザインを担当したマーク・フリードバーグは、撮影時を振り返り以下のように語っている。 「(ヘインズから)舞台装置っぽくセットを作ってくれ、と言われて驚いた。普段、他の監督からオーダーされるのはその逆だからね」 「エデンより彼方に」は、夫の同性愛と、アフリカ系の庭師の間で心が揺れ動く、郊外に暮らす主婦が主人公の作品であるが、メロドラマの名手として知られるダグラス・サークの諸作品をヘインズなりに再構築した作品であり、一言で例えるなら「(サークの作品に代表されるような)50年代メロドラマ“そのもの”になってしまいたい」という願望が炸裂した「異形の偏愛映画」である。 「エデンより彼方に」は、作品で描かれた1950年代には現行作品としてタブーとされていた要素(ゲイ・イシューとレイシャル・イシュー)を、サブテキストではなく直接描
1. 『インヒアレント・ヴァイス』 2. 『マッドマックス 怒りのデス・ロード』 3. 『ジミー、野を駆ける伝説』 4. 『パレードへようこそ』 5. 『誘拐の掟』 ■1.インヒアレント・ヴァイス 入り乱れる登場人物・所属団体・それぞれの思惑…という感じで最初はややわかりづらい印象で進行していくが、それが「ある男を救いたい」という、非常にシンプルなテーマに帰結していく。ポール・トーマス・アンダーソンという作家をリアルタイムで追い続けてきた喜びを実感できる一本。 ■2.マッドマックス 怒りのデス・ロード もう言わずもがな、という感じであるが、この脚本制作にあたり招聘された「ヴァギナ・モノローグス」のイヴ・エンスラーの「ワイヴスのモデルは従軍慰安婦」という発言が全てを物語っているように思える、戦後70年の年の瀬。劇場で三回(IMAX、通常字幕、立川爆音)観ました。 ■3.ジミー、野を駆ける伝説
ワッシュさんのベストテン企画に参加致します。 (順不同)(年代順に並べてみました) ・『紳士は金髪がお好き』(1953) ・『狂熱の季節』(1960) ・『スパイナル・タップ』(1984) ・『グレート・ボールズ・オブ・ファイヤー』(1989) ・『アマデウス ディレクターズ・カット』(2002) ・『踊るマハラジャ★NYへ行く』(2002) ・『ブロック・パーティー』(2006) ・『ビースティ・ボーイズ 撮られっぱなし天国』(2006) ・『恋するリベラーチェ』(2013) ・『セッション』(2014) ■ミュージカル 『紳士は金髪がお好き』『踊るマハラジャ★NYへ行く』 モンローの代表作、というよりはジェーン・ラッセルの狂ったミュージカルシークエンスが凄い「紳士は金髪がお好き」 ボリウッドミュージカルと「グリース」が奇跡的な融合を見せる「踊るマハラジャ★NYへ行く」 ■ライヴもの 『
カナダの新鋭、グザヴィエ・ドランの新作は、カナダの近未来予測的な、架空の世界を描いた意欲作である。 発達障がいを持つ子供の親が、法的手続きを経ずに養育を放棄したり、当該の施設・病院などに強制入院させることが可能となる新法案がカナダで可決される。ADHDの息子:スティーヴを抱えるシングルマザーのダイアンは、矯正施設から退所したばかりのスティーヴを引き取り、新法案の餌食にならないよう「私が一人で育てる」と、情緒不安定かつ暴力的な傾向もある息子と向き合おうとするのだが…という、カサヴェテスの「こわれゆく女」ならぬ「こわれゆく我が子」という物語。 これまで、自分にとって切実であるテーマしか撮っていない印象があるドランだが、ゲイであることを公言する自らが主演し、田舎の保守性・男根父権主義からの脱出を描いた前作「トム・アット・ザ・ファーム」の次に選んだのは、15歳のADHDの息子と、その母親との濃密な
1. 『刺さった男』 (感想) 2. 『ニード・フォー・スピード』 3. 『ショート・ターム』 4. 『GODZILLA』(感想) 5. 『あなたを抱きしめる日まで』(感想) 6. 『大統領の執事の涙』 7. 『ゴーン・ガール』(感想) 8. 『ウルフ・オブ・ウォールストリート』(感想) 9. 『NO』 10. 『ある優しき殺人者の記録』 (感想を書けなかった作品の短評を以下に) 2. 『ニード・フォー・スピード』 「ゲームが原作のカーレース映画」という共に疎いジャンル(言ってしまえば共に全然興味がない)にも関わらず、無茶苦茶興奮して二回も観に行ってしまった。もちろん見所は高級車だろうが惜しみなくガッツンガッツンぶっ壊すカーアクションにあるけど、チームで共闘物、いがみ合ってた男と女が「君でなければ」にまで到達する恋愛物としても非常にレベルが高い。ラミ・マレクのストリップは本年度ベストアクト
※内容に触れています。 妻:エイミー(ロザムンド・パイク)が失踪するその日の朝、夫:ニック(ベン・アフレック)が、わが町セントルイス州カーセッジを見渡すカットがある。そこでニックは、横断歩道を渡ろうとするホームレスの集団に目をやる。 ニックは妹がきりもりするバーに寄り、それから自宅に帰ると、妻の姿がない。家には争った形跡が。警察に連絡し、取調べを受けるニックは「自分のことなんかより、うちの近所はホームレスも多いし、そっちを調べたらどうなんだ?」とそれとなく切り出す。 警察側はあくまでもルーティンとして、かなり後回し気味に、ホームレスの溜り場になっているという閉鎖されたショッピングモールに向かう。ここでエイミーは密売人から銃を買っていたことが判明するのだが、このシーンの異様さに自分はちょっとした衝撃を受けた。 入口からして不穏な空気が漂う廃モールに足を踏み入れると、かつては幾多の利用客で賑わ
今年もワッシュさんのベストテン企画に参加いたします。今回のお題は「アニメ映画ベストテン」です。そんなに熱心にアニメ作品を追ってはいないのですが、自分が印象に残っている作品を以下に10本ほどあげようと思います。順不同です。 ■ピクサー作品 ・『カーズ』 (2006) ・『ウォーリー』 (2008) ・『カールじいさんの空飛ぶ家』 (2009) ピクサー作品は一応全作品鑑賞していて、その中から三本選んでみました。 「カーズ」は車を擬人化した子供向けアニメと侮るなかれ、「州間高速の発達により時代に置き去りにされた、50年代に繁栄を極めた町の悲哀」みたいなことを大マジにやってます。もちろん、そんなことに興味がなくてもちゃんと「コミュニティの承認を得る若きアウトサイダーの物語」みたいな話としても鑑賞できるのがピクサーの凄い所だと思います。 「ウォーリー」はディストピア物とファンタジー物を両輪に「子供
自分の身体の一部に刺さった鉄の棒が、熱され、その熱が脳に伝わり悲鳴を上げる。これは一体どのような体験だろうか?長年映画を観てきてこのかた、これほど恐ろしい場面にお目にかかったことがないような気もする。 アレックス・デ・ラ・イグレシアの2012年の監督作が、ラテンビート映画祭2012での公開*1を経て、「刺さった男」という下世話な邦題で、ようやく一般公開となった。主人公は失業中の中年広告マン:ロベルト(ホセ・モタ)。かつての同僚に「なんでも良いから仕事を貰えないか」と相談に出向くも邪険にされ、自暴自棄になって訪れた妻:ルイサ(サルマ・ハエック)との思い出の地で、ロベルトはとんでもない事故に巻き込まれる。 簡単に状況を説明すると、遺跡の発掘現場で足を踏み外し転落してしまったロベルトの頭に鉄の棒が刺さり、身動きが取れなくなってしまう。意識もあり、手足の麻痺もない状態だが、頭に刺さった鉄の棒を引き
映画でも小説でも、「堕ちていく女」の話は、「堕ちていく男」の話のそれより多いような気がするのは気のせいだろうか? ラース・フォン・トリアーの新作「ニンフォマニアック」はvol.1とvol.2からなる、合わせて4時間の大作である。性に奔放な女性:ジョー(シャルロット・ゲンズブール)は、酷い怪我を負った状態で道端に倒れている所を、通りがかった男:セリグマン(ステラン・スカルスガルド)に救われる。男は女を連れ帰り、女は男の介抱の傍ら「何故私がこんな目に遭わなければならなかったか?」と、その顛末を語り始める。まさに「堕ちていく女」の定型を体現しているかのような導入である。 以前、「ラスト、コーション」を鑑賞したとき、「セックスは個人のブラックボックス的な最上位レイヤー」というような感想を書いたが、その「最上位レイヤー」を見ず知らずの他人に明け透けに語ってしまうということは、ある意味で無防備、またあ
映画における残酷な描写の一つに「子供が死ぬ」という状況がある。主要なストーリーと関係なく、台詞もろくにないような子供が、例えば交通事故などで死んだとして、それはある種、三番手ぐらいの大人のキャラクターの死より鮮烈であったりする。 怪獣映画というのは、日本が世界に誇るジャンルの一つであり、昨年で言えば「パシフィック・リム」のような作品が逆輸入的に製作〜公開され、日本でも大きな話題となった。監督のギレルモ・デル・トロ自身も「子供のために作った」というだけに、「パシフィック・リム」での芦田愛菜は死なない。KAIJUに襲われ相当に危ない目に遭うが、生き残って後に菊池凜子となり、でかいロボに搭乗してKAIJUと戦うのである。 低予算の作品を一本撮っただけのギャレス・エドワーズが監督として大抜擢された「GODZILLA」でも、子供は死なない。原発事故を間近で目撃したり、親とはぐれて大怪獣と接近遭遇して
先日、タランティーノもオールタイムのベストに入れるという(この人の“オールタイム”はしょっちゅう変動するので今もランクインしているかは不明)「ブレスレス」を観直す機会があったが、あまりにも面白く、監督のジム・マクブライドのことは以前から気にはなっていたが、良い機会なので、日本でも(鑑賞可能な)ソフト化されている作品を幾つか鑑賞してみた。これがどれも傑作ぞろいだったのでまとめて紹介したいと思う(上記画像はリチャード・ギアに演出を付けるマクブライド。カサヴェテス似のイケメンだと思う)。 ■「ブレスレス」原題:Breathless (1983) いわずと知れたゴダールの「勝手にしやがれ」の米翻案。ある種のエポックメイキングな作品として記憶されている映画をリメイクするということは、監督にとっては相当なリスクを伴うことだと思うが、本作においてマクブライドはそうした気負いは微塵も感じさせず、のびのびと
今年上半期に観た作品、それも実話ベースの作品を多く鑑賞したような気がしたが、それらの作品の中にある共通点があることに気が付いた。それは「本来であれば人を守るべきものが、一部の人間には時に障壁となって立ち塞がる」というテーマである。 『ダラス・バイヤーズクラブ』 HIVポジティブのロン(マシュー・マコノニー)は病院で余命30日と宣告されるが、アメリカ国内では未承認のエイズ治療薬をメキシコで入手し本国へ持ち帰る。30日を過ぎても薬のおかげで生き延びたロンは、その後もメキシコから治療薬を密輸し同じような症状の患者のために売りさばくが、これにアメリカ政府が「待った」をかける。この映画で障壁となるのは製薬会社であり、薬事法その他の法律である。 『あなたを抱きしめる日まで』 かつて自分が身を置いた修道院でシングルマザーとして赤子を出産し、その後に子供を強制的に養子に出されてしまったフィロミナ(ジュディ
昨年の暮れに、映画批評としては実に20年ぶりの単著となる「映画のウトピア」を発表した粉川哲夫氏が、その中で『アメリカン・サイコ』について以下のような指摘をしていた。 情報化への産業構造の本格的な変化のなかで、彼ら(ヤッピー)は、弁護士、医者、証券マン、メディア関係者として急速に地歩を築き、マンハッタンに進出してきた。その結果、それまでアーティストや活動家や"不逞の輩"もたむろできた場所が、ヤッピーのテイストに合わせて"優美"になっていった。都市論でジェントリフィケーションと呼ばれる現象である。ちなみに、90年代のバブル経済によって華麗化し、"安全"になったニューヨークは、まさに『アメリカン・サイコ』の世界から始まったのである。 (中略) 映画を見ながら気づいたことがある。ヤッピーは、基本的に、最後の"メール・ショーヴィニスト"(男性至上主義者)なのだなということだ。"ヤッピー"は、女性にも
1. 『ジャンゴ 繋がれざる者』 (感想) 2. 『アウトロー』 3. 『ザ・マスター』 (感想) 4. 『ウィ・アンド・アイ』 (感想) 5. 『エリジウム』 (感想) 6. 『ハンナ・アーレント』 7. 『デッドマン・ダウン』 8. 『ルームメイト』 9. 『ザ・フューチャー』 (感想) 10. 『わたしはロランス』 1. 『ジャンゴ 繋がれざる者』 観た直後に今年のベストになるであろうな、と予想して本当にそうなった。QTがただの映画オタクでパスティーシュだけで映画を創ってきたわけではないことは、終盤の奴隷頭:スティーブンの複雑な人物造形を見れば一目瞭然である。 2. 『アウトロー』 初監督作品「誘拐犯」が大傑作であったクリストファー・マッカリーの、実に13年ぶりの監督第二作。ほとんどのショットがFIXかドリー/ステディカムによって構成されており、昨今のアクション映画に多く登場する
ワッシュさんの「SF映画ベストテン」に参加いたします。 自分で再認識するためにも、思いついた10本を4つの柱に振り分けてみました。以下に順不同で。 1.郊外SF 「E.T.」 「ドニー・ダーコ」 「バック・トゥ・ザ・フューチャー」 簡単に説明すれば「郊外を舞台にしたSF作品」ということになるが、ただ舞台というだけではなく、テーマとして切り離せないほど「郊外だから成立する」要素が色々と見受けられるのがこの三作品。 「E.T.」 ハロウィーンのシーンで象徴的なのが「(郊外生活者として)溶け込んでしまえる宇宙人」。クライマックスでは少年たちは建設中の新興住宅地をBMXで駆け抜け、パトカーのランプをタイヤで踏み潰し、そして空を飛ぶ。 「ドニー・ダーコ」 郊外の閉塞感とティーンエイジャーの鬱屈が重なり、更には「彼女を救えるのは自分だけ」という世界系テキストまで織り込んでくる。とがったナイフで見えない
(展開に触れているので未見の方はご注意を) 例えば地球に不時着して難民キャンプでの暮らしを強いられるエイリアンの造形がエビのようなデザインではなく、人間の耳が少し尖がっただけでピタピタの衣装に身を包んだエイリアンだったら、と想像してみてほしい。「第9地区」は恐らくあそこまでの大ヒットには至らなかったはずだ。問題に晒されている者を異化するということは、現実としての酷い問題を「ひとまず置いておける」ということであり、監督のニール・ブロムカンプは、かつてのケープタウンの「第6地区」を異化して、新たな物語を構築することに成功した。 ブロムカンプの新作「エリジウム」は、地球の環境汚染が進み、経済的に余裕がある人々は地球は見捨ててスペースコロニー「エリジウム」に移住し、それが不可能な貧しい人々は地球にとどまって暮らしている、という設定の物語だ。この設定自体はなんら目新しいモノではなく、それこそ「ブレー
「寡作」として知られる巨匠の劇場長編作を、まさか2年程度の期間でまた観られるとは思ってもみなかったので、鑑賞前には多少の戸惑いがあった。 しかし蓋を開けてみれば、前作「ツリー・オブ・ライフ」のテイストを踏襲しつつ、あの作品でも象徴的だったサバービア色をより色濃くして、かつシンプルにしたような映画になっていた。主な舞台として登場するのは、男と女が出会ったパリの様々な名所、その後に移住するアメリカはオクラホマ州?の新興住宅地、この二つぐらいである。 物語の輪郭ははっきりとしない。登場人物の背景もわずかな情報しか語られない。もしかしたら、出演する役者にも知らされてはいないのではないだろうか? というのも例えば劇中でベン・アフレックとオルガ・キュリレンコは色々なシチュエーションでイチャイチャしたり、そうでない場合は二人で激しく言い争い衝突する。この二人の動き。ある一定の距離感を保ち、そして突然振り
■自由の旗風(1955) アイルランド独立運動をテーマにした歴史冒険活劇。その1における「僕の彼女はどこ?」と同じコメディタッチの軽妙なテイストは、今回のボックスのラインナップでいうとサークのアザーサイドといった所か。宿屋でロック・ハドソンと髭モジャの宿屋の主人がスラップスティックに殴り合いをするシーンがあるんだけど、そこがなんとなく「天空の城ラピュタ」っぽい(炭鉱町に三兄弟がやってくるシーンね)なと思ってしまった。 ■翼に賭ける命(1957) 個人的に一番面白かったのがこの作品。かつての戦争の英雄である曲芸飛行の飛行士、その妻、飛行機の整備士、という三角関係にプラスして、彼らを取材しようとする新聞記者が加わり、四つ巴のドロドロした愛憎劇を繰り広げるというお話。しかも新聞記者と人妻の、ヘテロ間の不倫だけには終わらず、飛行士と整備士の間には共依存的なホモセクシャルっぽさも匂わすなど、もう手が
特定の人物に目を付け苛めている人間に「人を苛めている」という自覚がなければ、そもそも苛めは成立しない、という言い方がある。 だが、苛められている方にも「自分は苛めれている」という認識がなければ、同じように「苛めなど存在しない」と言えるのではないだろうか? ミシェル・ゴンドリーの新作長編は、ブロンクスの路線バスを利用する、とある高校の生徒たちの物語。彼らが学校を出て帰路につくまでの数時間に的を絞り、主にバス内での出来事を切り取った非常にコンパクトかつパーソナルな青春群像劇だ。 ゴンドリーという人は、絵に描いたような「変人」である。彼が手がけたPVを振り返ってみれば、レゴのブロックを積み上げてそれでコマ撮りをしたり(#1)、デジタル合成で人物を無限に増殖させてみたり(#2)、メロディやビートを車窓から見える風景に託してみたり(#3)と、常人には到底考え付かないようなアイデアを盛り込んで、しかも
「ダグラス・サーク」という名を初めて耳にしたのは「パルプ・フィクション」の「ダグラス・サーク・ステーキ」である、という人は、自分と同年代には結構多いのではないかと思う。その時はもちろん、それが俳優の名であるか監督の名であるかもわからぬ次第で、しかしその後に映画を体系だって遡っていくと色々な監督の関連作として結構な頻度で耳にする名前ではあった。 いつかはまとめて観たいなぁと思っていたところに、自分の通勤圏内のやや大きめの某レンタルチェーンに、2007年発売のボックスセットの7作品全てがあるとわかり、まとめて鑑賞。その以下に感想を。 ■僕の彼女はどこ?(1952) 所謂「人生やりなおせたら」系のコメディで、箱庭的な郊外のとある町を舞台に、チャールズ・コバーン演じる金持ちのお爺ちゃんが大活躍する「年寄り無双」映画。このボックスセットの作品の中ではトーンがやや異なるが、コメディが本職だったのではな
「12時間働いてもまだ眠れない。クソ。こうやって毎日は続き、そして終わりがない」 ベトナム帰りの元海兵隊のトラヴィス・ビックルは、戦争による後遺症からくる不眠の日々を、日記に綴ることでなんとかやり過ごしていた。いや、結果として、最後には大爆発してしまうことは、「タクシー・ドライバー」をご覧になった多くの方々は既にご存知のことかと思う。 ポール・トーマス・アンダーソン(以下PTA)の新作「ザ・マスター」は第二次大戦の帰還兵にして戦争後遺症を患った男が、自覚のない地獄巡りをする話である。その道程で主人公:フレディ(ホアキン・フェニックス)は、新興宗教の教祖:ドッド(フィリップ・シーモア・ホフマン)と出会い、お互いの欠落する部分を補完しあうような師弟関係を築いていく。 トラヴィスは「日記」というメディアを通じて「自己表現」をして、ベトナム戦争の後遺症を患いながら深夜勤務のタクシー運転手という仕事
ヘイ、らっしゃい!お、旦那ずいぶんご無沙汰だったんじゃないですか?旦那は本当に地底がお好きで最近めっきり出てこられないもんだからアタシも寂しい想いをしていたところなんですよ!さぁさぁ、細かいことは抜きだ!何からいきましょう?今日も旦那好みの良いネタをたっぷりとご用意さしあげてますよ!日本の女学生を校内で一人一人血祭りにあげるのはどうですか?おや、旦那はそういうご趣味はなかったんでしたっけ?じゃあアレだ、アメリカのバカな学生が避暑地でハメを外しにきたはずがエラい目に遭う、っていうのはどうでしょう?まぁ、いわば鉄板ネタですけど、いや、鉄板ってもネタを焼いたりはしませんよ!うちは寿司屋ですからね!よーし、じゃあそのアメリカのバカ学生5人が血祭りのネタ、握っちゃいますね! 「キャビン」は、こういうオッサン文化に若者が中指を突き立てる、非常に痛快な映画である。 腐ったシステムがある。その腐ったシステ
クエンティン・タランティーノの映画では、よく「演じる」ということが重要なテーマとなる。デビュー作「レザボア・ドッグス」の囮捜査官しかり、「パルプ・フィクション」のギャングに八百長試合を持ちかけられて裏切るボクサーしかり、「ジャッキー・ブラウン」の主要な登場人物間で展開されるコンゲームしかり、「イングロリアス・バスターズ」のナチの饗宴に潜入するためにドイツ人のふりをするユダヤ人しかり。それぞれのキャラクターは、その「演技」の嘘がバレることが生死の問題に繋がりかねない、文字通り「一世一代の名演」を求められる。 このテーマは、タランティーノの新作「ジャンゴ 繋がれざる者」にも共通している。 時は南北戦争勃発の二年前。奴隷の身から救われ、ふとしたことから賞金稼ぎの手助けをすることになった黒人の男:ジャンゴ(ジェイミー・フォックス)。ジャンゴはドイツ人にして賞金稼ぎの元歯医者:シュルツ(クリストフ・
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