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元北陸大学教授・田村光彰さんの「戦争の犠牲者とは誰か」(『北陸中日新聞』2015年3月6日)は、ドイツのワイゼッカー元大統領を悼む寄稿である。 田村さんは、国家が靖国神社において英霊に「ありがとう」と感謝をする日本と、「犠牲者とは誰か」を心に刻むように語り、犠牲者に「ごめんなさい」と謝罪するドイツとを対比させ、そうした行為の意味するところを私たちに問いかけている。 英霊に「ありがとう」と感謝する行為は、いいことに対して行うのであるから、繰り返される恐れがある、というのだ。「戦没者を褒めることやありがとうは次の戦死者を想定し、『後に続け』につながる危険性」があるという宗教学者の菱木政晴氏のことばを紹介している。 そして、「国家は、英霊として「ありがとう」と感謝するのではなく、まずもってドイツのように、「ごめんなさい」と謝罪するべきである。謝罪は悪いことに対して行うので、繰り返さない決意となる
この記事を読んで、今回のアンドルー王子の売春騒動に関するニュースの英語版と日本語報道のギャップに感じてきた違和感の原因がわかった。そして、同時に、日本軍「慰安婦」問題に対する、国際社会の反応と日本国内の反応のギャップもさもありなんと納得できた。 図らずも、アンドルー王子の事件が日本で報道されたことで、sex slaveが問題の核心とされてきた日本軍「慰安婦」問題が日本国内ではアンドルー王子事件の被害者のケース同様に、理解されていないだろうこともなんだか納得できる気がした。 上記記事が引用しているように、海外の報道では、”sex slave”という表現が多く使われていた。インディペンダント、テレグラフ、ニューヨークタイムズしかり。 しかしながら、日本の報道では、なぜか「性奴隷」という表現は目にしなかった。私はそれにずっと違和感を感じていた。どうしてだろうと。 日本では強制売春そのものには全く
一度ツイートしたことを羅列したにすぎませんが、朝日の第三者委員会報告をぱらぱら見ていて思ったことを書き留めておきます(リンクだけつけました)。 10月9日に「「「朝日新聞の慰安婦報道について検証する第三者委員会」についての研究者・弁護士の要望書 」(呼びかけ人・林博史氏ら)が出された。それは、軍の管理下で女性たちが深刻な人権侵害を受けたことが問題であるという考えに立っていた。 そして以下のことを第三者委員会に要望した。第一に、この問題の専門家がいないこと、第二に、国際人権に関わってきた法律家や人権NGOの方々が入ってないこと、第三に女性が委員の中で1人しかいないこと、等を改善するようにというものだった。 この度発表された朝日新聞の第三者委員会報告では、「女性の人権問題」として論じられていないと、唯一の女性委員である林香里氏が述べている。今回の報告にある参考資料リストにもヒアリングリストをみ
朝日新聞叩きに際し、安倍首相をはじめとする政治権力が「慰安婦問題の誤報によって多くの人が苦しみ、国際社会で日本の名誉が傷つけられたことは事実」とし、「“安倍政権打倒が朝日新聞の社是だ”と名指しで批判」などと朝日新聞を名指しで批判したり、その報道に注文をつけている。一方、こうしたメディアへの政治権力の介入の事態については、一部ジャーナリストを除いて、多くの新聞社やテレビ局からは、問題点の指摘や、真っ正面からの言及などが、ほとんど見られないように思う。私が知らないだけならいいのだが、研究者からの問題提起も少ないように思えてならない。 朝日新聞をめぐる状況を見ていると、悲しいかな、1918(大正7)年米騒動時に「大阪朝日新聞」に対して起きた白虹事件を思いおこさざるを得ない。白虹事件は、朝日新聞が政治権力に屈服してしまい、それ以来、朝日新聞をはじめとする新聞が「その存立をかけて権力と闘うことの困難
今国会に、ある法律案が提出されている。「女性が活躍できる社会環境の整備の総合的かつ集中的な推進に関する法律案」という、自民、公明の男性議員が中心になって策定し、提出されている法律案である。 重要法案が続々審議されている最中なので目立たず、話題にもならない。しかし、ツイッターで山口智美/@yamtomさんが取りあげていたのをみて、初めて法律案の条文を読んだ。一見すれば、女性の活躍を推進するための環境整備をすると謳う法案であるから、だれも反対する理由はなさそうだ。しかし、よく読めば疑問が噴出する。そして危機感が募った。これは男女共同参画社会基本法を無力化する恐れがある法案だと心配にもなってきた。 私は、『社会運動の戸惑い』にも書いたことだが、高岡市の男女平等推進条例や、それ以前の同市の女性問題に関する行動計画づくりに、90年代初めから、相当の時間をかけて関わってきた。 だから、この法案が成立す
新しい年、最初の記事です。今年もよろしくお願いします。 昨年12月、関西学院大での『社会運動の戸惑い』読書会に参加したおかげで、「性的指向」を明文化した男女平等参画条例が泉南市で制定されていることがわかりました。金明秀さん、山田真裕さん、先端研のみなさま、ご参加くださった方、大変お世話になりました。さらに、その後のツイート情報でわかったのは、性的少数者の人権を擁護する条令が泉南市以外の市町村にも複数、制定、施行されていたことでした。 都城市男女共同参画条例については、2006年に再制定される際に、「性的指向」にかかわらず人権が擁護される、と「性的指向」の文言が外された、その経緯やそれがどうして起きたのかについて、4章「性的指向をめぐって」で詳しく述べています。しかしながら、その後、新たに「性的指向」を入れ込んだ条例が策定されていたことは、不勉強で知りませんでした。 社会運動の戸惑い: フェ
80年代前半に能登原発反対運動で北電に出かけたり、「風下の会」というグループに加わったりしていた。もうかれこれ30年近く経つので、知らない人も多いから、当時のことを思い出して記しておくことにする。 1980年に富山県に戻ってきてすぐに、当時進行中だった能登原発の構想を知り、能登原発の予定地の一坪株主運動に参加したり、その後北陸電力の株を購入しての意見株主運動にも関わったりしてきた。高岡は能登原発から30キロなので、「風下の会(原発はいらない風下住民の会)」というのにも参加していたが、今回の福島原発の震災により皮肉なことに、原発から30キロが避難区域であることを改めてまざまざと見せつけられた。地元の人はどれほど忸怩たる思いを抱えておられることだろうか。 しかしながら、反原発運動もチェルノブイリ以後は、なかばあきらめのような感覚が強まり、88年の「まだ間に合うのなら」という伊方原発の出力テスト
「インターネットを活用したネットワーク『ウイメンズアクションネットワークWAN』」が全国の男女共同参画社会センターで「フェミニズムの財産目録」(上野千鶴子ら編者)である『新編 日本のフェミニズム』を「若い世代」にバトン渡しするために、全国の男女共同参画センターにでかけて、ネットを活用して双方向性をもったシンポや講演会をするという。 ★拡がるブックトーク『新編 日本のフェミニズム』★ 全巻完結を記念して、フェミニズムの継承をめざし協働プロジェクト「拡がるブックトーク」を実施します。この協働プロジェクトは、書籍に関わった関係者、女性政策の最前線で活躍するセンターの担い手や女性グループのメンバー、そして書籍からインターネットへと新たな展開を遂げようとしている活動家をつなぎ、2011年6月から約1年をかけ、全国各地で開催する予定です。「拡がるブックトーク」では、開催地が選択した書籍をもとに編者およ
拙稿「国立女性教育会館(NWEC)の事業仕分けに見る、《箱モノ設置主義》に席巻されてきた男女共同参画政策の限界」という記事がシノドスジャーナル63号(11月1日発行)に掲載されました。 昨年の今ごろ、国立女性教育会館(NWEC)の事業仕分けで注目された同館を10月に訪ねた。あの仕分け結果は撤回され、今年度予算からほぼ全額(6億2000万のところを5億9000万円)が支出されていた。しかも、11月15日から2月末まで3ヶ月半も全館閉館して、大改修工事を行うというのだ。昨年の今ごろは、「大幅に削減すべき」という事業仕分けが出されていたが、その一方では大改修工事のために15億8900万もの特別予算が下りていた事実もあった(平成21年7月-23年3月。平成21事業年度財務諸表の資料を参照しました)。 いったい、あの事業仕分けはなんだったんだ?!と思ったのが発端でした。 それに平成21事業年度財務諸
先のエントリーで保育士の給与が安いのはどうしてか、を書いた際に、看護師の給与が保育士より初任給で3万円以上も高いことに気づいた。大卒一般事務職よりも1万円5千円以上も上だ。そして、看護師もかつては報酬が低かったそうだが、ある時から現在の程度まで引き上げられたとも聞いたので、今度は看護学校へ出講した際に、「看護師の給与を引き上げることができたのはどうしてですか」「何が影響していると思われますか」と看護師出身の先生たちに聞いてみた。最初はその質問自体にびっくりされたが、教務主任の先生がいろいろと調べて教えてくださった。 そのお話からわたしが「看護師の給与が上がったわけ」だと思ったのは、次の2つのことであった。 一つは、女性たちの現場での実力闘争である。かつて1960年代までは看護師は、月に夜勤が頻繁に回ってきて、しかも夜勤を何十回こなしても、月100円ぽっきりしかつかなかった。上限100円(と
先頃、高岡市が職員を募集していた。その採用情報を見て、保育士の給料の安さに改めて驚いた。以下に、その採用情報をあげておく。詳しくは、こちらを参照ください。 高岡市は以下だが、保育士の就職事情に詳しい専門学校の先生によると「神奈川県や他の都市からも求人が来ていますが、どこもだいたいそんなもんです。安いですよ」ということだ。しかも、先生は、「最近とみに、子どもだけでなく、保護者の指導まで保育士の責任とされているのに、その安い待遇は放置したまま。どうしたらいいんでしょうね」と嘆いておられた。 保育士152000円と、保育士だけどうして15万円台なのか。保育士は2年間専門学校に行く場合が多いので短大卒の一般事務職と同じ扱いになっている。しかし、保育士は一方では「専門職」とされているのだ。だとすれば、この給与では「専門職」であることが一切反映されていないということになる。 わたしは看護学校でも教えて
6月19−20日、大阪ドーンセンターで開催された日本女性学会大会に参加してきた。目的は、ワークショップ開催であったが、他に19日のシンポジウム「社会を動かす女性学」ならびに、女性学会総会に参加してきた。シンポや総会に参加し、意見を言う中で、女性学会を運営しているみなさんがあまりに批判的な視点への感受性が鈍っており、自らを反省的に振り返ることができず、なんでも「これでよいのだ〜」というスタンスで行動してしまうことが慣行になっているのを再確認してきた気がする。自分の立場を振り返る意味でも忘れないようにしたいので、ちょこっとだが報告しておきたい。他にも、地道な研究が少ない気がするとか、研究の中身として生身の人間がいない感じがするとか、パネリスト同士が議論・討論を避けているように見えるとか、いろいろ思うことはあったが、今日は触れない。山口智美さんのふぇみにすとの論考ブログに詳しく紹介されているので
「WANが東大ジェンダーコロキアムと共催で送る」と銘打った「新春爆笑トーク 上野千鶴子vs澁谷知美「男(の子)に生きる道はあるか?」」のライブ中継を途中からみた。会場の予定調和的な雰囲気と会場で見られたヘテロセクシズムを追認する「笑い」にもなじめないものがあった。この日のトーク内容がヘテロセクシズムに満ちていることについては、トークに足を運ばれたid:tummygirlさんの笑おう、憤りと皮肉と拒絶とをこめてに詳しいのでそちらをご覧ください。 わたしは、このジェンダーコロキアムという場が、かつてフェミニズムは分裂含みの「連帯」をめざしているでも異論を書いたように、上野、澁谷さん、ならびにその場に参加している人たちをも含めて非対称な権力関係など存在せず、みな同じ前提に立ち同じ方向をめざしているとでも思っているかのような同調的な場であったことについて違和感をもったことについて書きたい。すでに、
Hituziのブログじゃがーさんがすでに紹介してくださっているが、『社会言語学』9号が刊行された。ここに、「女性学は何のためにカタカナ語「ジェンダー」を守るのか−社会言語学的アプローチによる「ジェンダー」受容過程の再検討」という拙稿が掲載された。かどやまさのりさんはじめ雑誌刊行会の方々ならびに友人の叱咤激励によりこの原稿をまとめることができた。ありがとう。 これは、「バックラッシュ」と呼ばれる保守派への対抗策として女性学により「ジェンダー」概念を擁護する対応がとられたのは一体どうしてなのか、を考察した論文である。それを論ずるに当たって、「ジェンダー」や「ジェンダーフリー」というカタカナ語が国の男女共同参画政策とどのように関わっているか、から説きはじめているので40頁近い長々とした論文になった。 ここで主に論じたのは、このカタカナ語「ジェンダー」擁護が「国際的・学術的概念」を根拠としているこ
今日は記念すべき政権交代の日。 今回のように女性の閣僚2人ともがフェミニスト視点をもった政策を進めている方であるのは本邦初ではないか。女性閣僚の人数が2人と少ないけど、人権政策が進むことに期待したい。別姓とか選択議定書とかからスタートできるか。千葉景子さんが関わった議員立法の法案一覧。人権政策が進むように期待したい。 などとtwitter つぶやいていたところ、突如、以下のRTが。 @kshimoyama: 最悪。 RT @tjimbo: 民主党 記者クラブ開放の公約を反故に 神保哲生 x 上杉隆 昨夜の朝日ニュースター『ニュースの深層』が、丸ごとあがっています。ぜひ。 http://www.jimbo.tv/commentary/000580.php 神保哲生さんのtwitterには以下の書き込みが。 @tjimbo報道室には総理の意向で来た記者を総理の意向も確認せずに、むしろ総理の意向
日本女性学会ワークショップでわたしは、(日本女性学会ワークショップ報告参照)「フェミニズムは本来、草の根アプローチであったのに、その重要性が忘れ去られて、トップダウン型になっている」と問題提起したのだが、それがどうもちゃんと理解されていないらしいことに終わってからますます気づいてきた。そこで、「草の根アプローチ」とは何か、どういうことをやるのか、について改めて書いてみよう。 第一に、フェミニズムと草の根の密接な関係に関心がないなあとびっくりしたのは、保守派が草の根活動していることに危機感を持たれていないことであった。わたしとしては大変ショッキングであった「実際に名の知られている保守ジャーナリスト氏が富山県で男女共同参画制度で活躍をされている」事実に、当の学会ワークショップではまるで無反応で肩すかしであった。ブログで書いてからも、たぶん女性学、女性運動方面じゃない方からお一人、はてぶコメント
半年かけて準備してきた日本女性学会ワークショップ企画が28日お茶の水女子大学で終わった。トラバしていただいているように、すでに山口智美さん、マサキチトセさん、おーつかさん、ミヤマさんからレポがあがっている。 まず、山口さんから、「なぜこのワークショップを企画したか」説明がされた。一つには、「ジェンダーフリー」「バックラッシュ」に関する明らかな女性学内での異論の存在があり、第二に、今まで対面議論の機会がなかった。第三に、活動するメディアも異なり、議論が交わらなかったこと、第四に、女性学の「バックラッシュ」への対応に問題がみられること(実践面、研究面)の4つをあげた。そして現在の視点から「ジェンダーフリー騒動」および「バックラッシュ」を再考してみたいと述べられた。 ・会場外へのネット中継 当日はネット接続のために、会場に8時15分に到着。わたしのビデオカメラをwebカメラとして活用し、ポートラ
先に、わたし自身がインフルエンザの保菌者のような扱いを受けたという記事を書いた。今日はその記事がはてブのホットエントリーなどで紹介されたようで、たくさんの方にお越しいただいているようだ。その時にも書いたことだが、「なんとなくこわい」ということで遠ざける動きが差別につながることには敏感になりたいと思う。今回のインフルエンザ・パニックに対し、HIVパニックやハンセン病の時の反省が忘れられているのでは?と、HIV訴訟原告団、弁護団から緊急アピールが出されたという。以下に載せておきます。
今朝、某専門学校に行って、マスクをしている子がいたから「どこで買ったの? 私大阪に行ってきて帰ってきて、高岡でドラッグFに行ったけどマスク売ってなくて・・」といったら後は教室が大騒ぎになった。「わたしたち、担任のK先生から緊急連絡網で連絡来て大変だったのに、、。先生、連絡網来なかったの?」「来なかったよ」「それって問題じゃないのー」「先生、大阪行ってきたんだよね。」「先生も人間おうちに入るんだだから、、」「いついったの?」とかなんとかうるさいこと、うるさいこと。 一番前の席に座っている子たちは、自分の口を押さえていやそうな顔をわたしに向けている。「あー、わたしがバイ菌もっていると思っているんだね」と聞いたら「うん」とうなづいていう。「だって、大阪行ってきたんでしょう?」と。なんだか大阪行ってきた人には接触したくないと思っているらしい。「だって、緊急連絡網来たんだよー」「担任のK先生に報告し
山口智美さんがすでに書かれているが、今年の女性学会でジェンフリ論争を振り返るワークショップを企画提案し、学会に応募していたが、昨日無事に承認されたというお知らせをいただいた。今週週末、アメリカのシカゴで開かれるAssociation for Asian Studiesの大会でも「ジェンダーフリー」論争についてのパネルが予定されている。シカゴでの議論も、これまでの「ジェンダーフリー」(や実質的には「男女共同参画」政策を含めた)論争を振り返ることによって、現在の女性学およびフェミニズムについて考えるという趣旨の企画です。6月の女性学会のワークショップも同様に、これまでの具体的な状況を検証しつつ、女性学やフェミニズムについて再検討しようという広い射程をもった議論の第二弾となる予定です。 女性学会では、これまで女性学で中心となって発言してこられた方々と一同に介した場で議論できる初めての機会となる。
今日、アジア学会のわれわれの発表があった。どんな反響があるだろうかとおもっていたが、まずは参加者が意外と多かった。シカゴのノーマ・フィールドさんが来てくださり質問もされたが、もっとも意外な客人は東浩紀、宮台真司のおふたりだった。早くから会場に現れ、山口智美、ローレン・コカー、荻上チキさんの発表までじっくりと会場のもっとも後ろの席で聞いていかれた。小山エミさんと私の発表は見逃されたわけだ。上智大の河野至恩さんもごいっしょだった。どんな感想をもたれたのだろうか。伺ってみたいところだったが、最初から4時から先約があるということで聞かれなかったのが残念であった。 出入りがあったので合計40名以上の方が参加してくださり(いや顔を出した方全部を入れると50名にはなるだろうな)、日本のジェンダーフリー論争とネットというテーマが多くの方の関心を呼んだんだと思った。質問もたくさん出て発表が関心を持たれたこと
ノーマ・フィールドさんの『小林多喜二』本の感想をノーマさんに伝えたら丁寧なお返事をいただいた。それについてはまだ考えがまとまらず書けないのであるが、やりとりしている中で一つわかったことがあった。 それは小林多喜二は、社会でもっとも痛みをかぶせられてきた弱い立場の女性を小説のテーマにしているのに、当の女性にあまり関心が持たれていないらしいということだ。女性にとって近寄りがたい存在らしい。その理由をつらつら考えた。もちろんわたしがノーマさんの本を読むまで持っていたような「プロレタリア作家」って縁遠いという偏見や、同じくそれまで持っていた「拷問死した、共産党員であった作家」というイメージの近寄りがたさが大きいのであろう。しかし、それ以外にも、どうも「階層」というものが関係していそうだと思った。 わたしはこれまで米騒動の先行研究を見てきて疑問に思っていた。それは、民衆運動や社会主義運動ということで
「多喜二さんへ」「ふたたび多喜二さんへ」という呼びかけになっている「プロローグ」と「エピローグ」で読者は一気に小林多喜二が身近な人になってくる。それまではわたしにとって(おそらく多くの人にとっても)死に方が有名すぎて「生身の人間」の部分が弱い人であった。しかし、ノーマさんの長年の取材と人となりが凝縮されたすばらしい文章で一「全身を込めて主張している」小林多喜二という人間に関心を呼び起こされる。感情を揺さぶるすばらしい文章である。 ノーマさんの巧みな筆致でぐいぐい惹きつけられる小林多喜二だが、本書を読んで一番意外な発見は、彼の作品が女性を深く描いていることであった。一番有名な「『蟹工船』は例外で、多喜二の小説は女性抜きには語れないからだ」(96頁)。多喜二が銀行に就職している間に、売春を余儀なくされる女など社会の底辺で生きようとする女性を主題にした作品に繰り返し挑戦しているという。その後は、
インターネットは誰でも参加できるから民主的で性差別の改善にプラスに働くか。といった短絡的な主張はいまや誰も信じないだろうが、しかしかといってインターネット時代のコミュニケーションとジェンダー(性別)がどう関わるかという点についての議論もあまり盛んとは言えないように思う。 スーザン・C・ヘリングの「インターネット通信ー性差/性差別の構造と民主化の可能性」(れいのるず秋葉かつえ・永原浩行編『ジェンダーの言語学』(明石書店)が参考になる議論をしていたのを目にした。原題は、Gender and Democracy in Computer-Mediated Communication, R.King, ed., 1996, Computerization and Controversy: Value Conflicts and Social Choices, Academic Pressである。論文
★恋愛と暴力を間違えない方法〜アナタの“常識”は危ない!〜 ★講師 東北大学大学院文学研究科教授 沼崎一朗 さん 上記の沼崎一郎さんによるDV防止講演会に行ってきた。富山のサンフォルテで行われた「恋愛と暴力を間違えない方法〜あなたの「常識」はアブナイ〜」は、いろいろとつっこみどころ満載のお話であった。もっとも気になったのが、以下の3点であり、それらを質問した。1)世の中には異性愛しかないかのように男女の恋愛のみが語られていたこと、2)「被害者は圧倒的に女と子ども」と「男性から女性への暴力」を前提にしていること、3)「すべての暴力はDV」と主張し、どこまでがDVになるのかの境界線を示さないことである。例えばメールチェックはすべてDVになるのか、、、ということである。 1)男女の恋愛だけしか語られなかった 実際世の中で10%程度の割合で(中には20%以上というデータもある)同性愛が存在するとい
高岡市男女平等推進センターでのEフェスタ2008「戦争と女性」で舩山房江さんと伊藤冴子さんのお話を聞いてきた。憲法9条ファンクラブ@高岡 主催のイベントに参加してきたのだ。ビデオ撮りが目的であったが、話に引き込まれた。伊藤さんのお話も興味深いものだったが、今日は、ご自身が陸軍からR.A.A.(慰安施設)に勧誘されたという舩山房江さんのお話について書いてみる。房江さんは1925(大正14)年生まれだが、1941(昭和16)年から赤羽の陸軍被服本廠というところで働き、10代後半の娘時代に母親と妹を扶養していたというツワモノ。戦後、高岡に疎開していた母上を頼って帰ってこられた。現在、83歳でシングルの房江さんは、わたしにとってすばらしいロールモデルだ。80代まで生きれるとは限らないけど、もし生きられるなら房江さんのように賢く、おしゃれでかついさぎよい生き方がいいなと日頃思っている、そんな女性であ
北京オリンピック、あんまり見ていないんだけど、今日の朝日新聞の見出しをみて気づいた「女イチロー」の乱舞。主将の山田選手が「女イチロー」と仲間から呼ばれていることを受けたものだというのはわかるんだけど、なんだかなーと思った。朝日の社会面のトップは「女イチロー千金弾」だった。朝日の版は、12版△バージョンです。他の版は確認していませんが、どうですか? [追記ネット版がありましたので、リンクつけときます。「『女イチロー』主将・山田、千金弾」・・・朝日の中ではもっとも早い版である「12版△」よりインパクトは劣るものの「女イチロー」は死守するって感じが出ていますわ。。社内でどんな攻防があったのだろうか、校閲部さん。] それでソフトボールの金メダル報道をちょっとググってみた。スポーツ紙は各社「女イチロー」を見出しに使っていますねー。 スポニチ勝負の第2打席 女イチロー山田が千金弾および、女イチロー山田
昨日、7月28日早朝の南砺地方の大雨被害が激しかった福光町、城端町を訪ねる機会があった。わたしは被害の大きかった太美山地区の近くで生まれ育ったので、この地方はよく足を運ぶなじみの地域である。昨日も父とこの地を訪ねて現地のあまりの変わりように驚きの声を上げると同時に、ニュース報道が富山県庁や南砺市役所の対策協議中心で現地取材がとても少ないことに疑問をもった。 この大雨被害は小矢部川やその支流が上流で決壊して、前代未聞の大惨事を引き起こしたものだった。下流だと濁流が決壊するということはままあることだが、上流では川も細いし決壊することはあまりないことである。それなのに、たった2時間ばかりの雨でこのような甚大な被害になった。土地の人は、こんなにいいところはないと思っていたのに、と絶句しておられた。 この水被害は全国ニュースにもなったものだが、当時は大したことがないとわたしもたかをくくっていた。きの
ニュージーランドはウェリントンでの国際言語とジェンダー学会IGALA5でしゃべってきたことをちょっと報告します。今度の発表は、「ジェンダー」や「ジェンダーフリー」などジェンダー関連語について、だれがどのような目的で導入したか、実際に用いられる過程でどのような意味や用法として受容されていったかについてざっと見て、英語借用語が日本文化とどのように絡み合い意味づけされてきたかを考えるという趣旨でした。特に、ジェンダー、ジェンダーフリーなどの英語借用語の受容過程において、日本において英語という言語に対するイデオロギーが介在していることを指摘することにポイントがありました。 なお上に添えた写真は、学会閉会時の模様です。(こじんまりな学会なので、歌や音楽もあったりするなごやかな学会でした) 日本では、1990年代以降、男女平等教育や政策において地方自治体や研究者によって英語由来の「ジェンダー」や「ジェ
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