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大阪府泉佐野市のことである。 コラムニストの勝谷誠彦さんが、昨日のメルマガで《地名をカネにしようとした泉佐野市のあほなどは典型》と言っていたのに触発された。 ワシャは土地の歴史でもある地名を大切に思うものである。手元にある『古代地名語源辞典』(東京堂出版)には、《イヅミとはイヅ(出)・ミ(水)で「湧水」のこと》《サは美称で、「野」という地名》と記されている。 いにしえの昔、さぞかし泉佐野あたりは美しい野が広がっていたに違いない。そしてその野には、きれいな水の湧く泉があった。いい市名だと思いますよ。 「忘れずよ 松の葉ごしに 波かけて 夜ふかく出し 佐野の月かげ」後鳥羽上皇の御製である。 歴史もある、響きもいい、なにより市民が愛着をもっている地名を、わずかな銭のために捨てることはない。 かつて愛知県では「南セントレア市」というとんでもない市名が生まれそうになった。知多半島の先端にある「南知多
この国の歴史の中でもトップクラスの人気を誇る織田信長が、天正10年(1582)6月2日の未明に京都本能寺に斃れた。享年49歳である。この時期、対外的には魔王のような強さを見せた信長だったが、内にいる敵には脆弱だった。まさか、近衛師団を率いる明智光秀が造反するとは夢にも思わなかったに違いない。だから、本能寺の警護は甘く、そこを光秀に突かれた格好だ。 私は中世日本に彗星のごとく現れた危険な英雄を惜しむ。もしこのまま信長が成長していったときに、どこまで日本の版図を広げただろう。『信長公記』など信長に関する文献をずいぶん漁ったけれども、この人物を知れば知るほど、その可能性の広大さに驚かされる。まだ、49歳でしかない。74歳で死んだ毛利元就、徳川家康まで25年もある。北条早雲ならばまだ37年も生きることができる。この時間を信長に渡せば、果たしてこの国の歴史はどうなっていただろう。 例えば信長は南蛮貿
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