現在のスーダン・ナイル川州にある小村ホシュ・バンナガに生まれる。母語はアラビア語[注釈 1] であり、いわゆるアラブ系スーダン人である[注釈 2]。初等教育を終えた後、家族とともに首都ハルツームに移る。甥の話では、中等教育を受ける初日に柄の悪い生徒に絡まれたが、すぐに撃退したという[2]。 1960年にスーダン軍に入隊。1966年にエジプトの首都カイロの士官学校を卒業。落下傘部隊で士官を務め、1973年にはエジプト軍の一員として第四次中東戦争に従軍。この際の経験が後の政治家の歩みを決める出来事になったとも先述の甥が語っている[2]。 1975年から1979年にはアラブ首長国連邦での駐在武官、1979年から1981年に部隊司令官、1981年から1987年までは首都ハルツームの機甲落下傘旅団長を歴任[3]。1981年、准将に昇進。1983年から始まった第二次スーダン内戦では南部の黒人有力民族デ