「美は文化なり」これは知ってた。さもなくば、美は歴史でもある。あるプロポーションとか、あるハーモニーが「美しい」とされるのは、それぞれの文化でもって定義され、歴史の中で再定義をくりかえす。だから、ボニータは「分かる」が、「小町」を美人とするには抵抗がある。 さらに、同じプロポーションやハーモニーといっても、「どの」プロポーションとハーモニーに着目するかは、文化や時代によって違う。ある世紀に『プロポーションがとれている』と見なされたものが、他の世紀ではそう扱われないことがある。 たとえば、中世の哲学者はゴシックの大聖堂について語っているのに、ルネサンスの理論家は黄金分割に基づいた16世紀の神殿のことを考えているという。ルネサンス人にとっては、大聖堂のプロポーションは蛮族の、文字通り「ゴシック(ゴート族の)」のものに見なされる。黄金比や白銀比は美を再構成する基準として有名だが、どこにその比を見