今日の昼のワイドショーは、柔道女子日本代表の園田隆二監督とコーチの選手への暴力問題を取り上げていた。園田監督により暴力やパワーハラスメント行為を受けていた女子選手15人が柔道連盟を飛び越えて日本オリンピック委員会(JOC)に告発。園田監督がきょう辞任表明した。
全日本柔道連盟(全柔連)は、園田監督が約2年半前から暴力をふるっていた事態を把握しながら、選手への謝罪で解決を図ろうとし、問題を公表してこなかったことを認めている。
全柔連の幹部や柔道関係者の多くは「運動での暴力は許される」と考えているのだろう。園田監督は「負けたのは精神がたるんでいる」という類の常套句で、日本最強の女子選手に身体的な暴力を振るったという。「死ね」という言葉の暴力も使ったそうだ。
大阪の桜宮高校の男子生徒自殺事件での先生の暴言や暴力と同じだ。テープレコーダーの巻き戻し。
TBSのワイドショーで、陸上選手だった為末大さんが「運動選手の練習中の暴力は日本の文化であり、トップを据え変えてもどうしようもない」と話していた。同感だ。
昭和の漫才師、花菱アチャコ(1897-1974)と、コメディアンの伴淳三郎(1908-1981)が出演した「二等兵物語」(1955年制作)を映画館で見た。もちろん子どもの頃で、父に連れられて見に行った。古参の兵隊が新兵を殴っていた。精神を鍛えるためだとかなんとか言っていた。子ども心の記憶だ。
「暴力で精神を鍛える」は、旧軍の兵舎から現在の運動選手に受け継がれている文化。運動選手だけではない。一般人も会社などで「精神」とやらをよく言う連中がいる。「精神論」を100%否定するわけではないが、「精神論」を重視すると、おかしなことになる。この意味で合理的で現実的でない日本人が多い。
暴力ざたは日本だけではないようだ。1月31日付朝日新聞25面に、ロスアンゼルス五輪金メダリストの山下泰裕さんが2004年のアテネ五輪の「事件」について話していた。
「韓国の女子選手が敗退すると、控室で男性コーチがその選手を平手打ちした。居合わせたカナダ選手が、驚き、国際オリンピック委員会に連絡した。指導を受けた国際柔道連盟はこのコーチのIDをはく奪した。韓国連盟幹部から『全身全霊で体罰の一掃に努めます』と謝罪があり、IJF理事だった私は『日本も同じ。私も努めます』と答えた記憶がある」
韓流ドラマをテレビで見ていると、一般市民の間でも手を出すシーンがここかしこにある。東アジアの民族はどうも非合理と精神主義暴力を重んじるようだ。
桜宮高校の問題でも筆者は申し上げたが、暴力を選手にふるって成績が上がるなら、筆者でも全日本女子柔道のコーチに就任できる。
精神主義という魔物を社会から一掃してほしい。まずはコーチが経験と理論を教えて、選手の短所を指摘。選手が克服できなければ、それを選手と考える。そして最後に精神的な闘争心がくる。ただ、精神的な闘争心は個人の問題。フェアープレーの精神と相まって闘争精神は最後に個人が培うのではないのか。それをコーチがサポートする。
高校時代に運動部にいた経験から、選手やコーチの中には「闘争心と精神が軟弱でなければ必ず勝てる」と思い込んでいる。旧日本軍もそうだった。自分より20倍も強い相手に精神論を唱えたところで勝てるわけがない。常識だ。運動部のコーチや選手の多くは日本人の中の日本人だ。
ある一線を超えると無鉄砲になる日本人は怖いと思う外国人もいる。軍備を持つと何をやらかすかわからないと思う外国人もいる。否定できないところがつらい。精神主義重視の文化はここらあたりで幕としたいものだ。
全日本柔道連盟(全柔連)は、園田監督が約2年半前から暴力をふるっていた事態を把握しながら、選手への謝罪で解決を図ろうとし、問題を公表してこなかったことを認めている。
全柔連の幹部や柔道関係者の多くは「運動での暴力は許される」と考えているのだろう。園田監督は「負けたのは精神がたるんでいる」という類の常套句で、日本最強の女子選手に身体的な暴力を振るったという。「死ね」という言葉の暴力も使ったそうだ。
大阪の桜宮高校の男子生徒自殺事件での先生の暴言や暴力と同じだ。テープレコーダーの巻き戻し。
TBSのワイドショーで、陸上選手だった為末大さんが「運動選手の練習中の暴力は日本の文化であり、トップを据え変えてもどうしようもない」と話していた。同感だ。
昭和の漫才師、花菱アチャコ(1897-1974)と、コメディアンの伴淳三郎(1908-1981)が出演した「二等兵物語」(1955年制作)を映画館で見た。もちろん子どもの頃で、父に連れられて見に行った。古参の兵隊が新兵を殴っていた。精神を鍛えるためだとかなんとか言っていた。子ども心の記憶だ。
「暴力で精神を鍛える」は、旧軍の兵舎から現在の運動選手に受け継がれている文化。運動選手だけではない。一般人も会社などで「精神」とやらをよく言う連中がいる。「精神論」を100%否定するわけではないが、「精神論」を重視すると、おかしなことになる。この意味で合理的で現実的でない日本人が多い。
暴力ざたは日本だけではないようだ。1月31日付朝日新聞25面に、ロスアンゼルス五輪金メダリストの山下泰裕さんが2004年のアテネ五輪の「事件」について話していた。
「韓国の女子選手が敗退すると、控室で男性コーチがその選手を平手打ちした。居合わせたカナダ選手が、驚き、国際オリンピック委員会に連絡した。指導を受けた国際柔道連盟はこのコーチのIDをはく奪した。韓国連盟幹部から『全身全霊で体罰の一掃に努めます』と謝罪があり、IJF理事だった私は『日本も同じ。私も努めます』と答えた記憶がある」
韓流ドラマをテレビで見ていると、一般市民の間でも手を出すシーンがここかしこにある。東アジアの民族はどうも非合理と精神主義暴力を重んじるようだ。
桜宮高校の問題でも筆者は申し上げたが、暴力を選手にふるって成績が上がるなら、筆者でも全日本女子柔道のコーチに就任できる。
精神主義という魔物を社会から一掃してほしい。まずはコーチが経験と理論を教えて、選手の短所を指摘。選手が克服できなければ、それを選手と考える。そして最後に精神的な闘争心がくる。ただ、精神的な闘争心は個人の問題。フェアープレーの精神と相まって闘争精神は最後に個人が培うのではないのか。それをコーチがサポートする。
高校時代に運動部にいた経験から、選手やコーチの中には「闘争心と精神が軟弱でなければ必ず勝てる」と思い込んでいる。旧日本軍もそうだった。自分より20倍も強い相手に精神論を唱えたところで勝てるわけがない。常識だ。運動部のコーチや選手の多くは日本人の中の日本人だ。
ある一線を超えると無鉄砲になる日本人は怖いと思う外国人もいる。軍備を持つと何をやらかすかわからないと思う外国人もいる。否定できないところがつらい。精神主義重視の文化はここらあたりで幕としたいものだ。