その①、その②、その③、その④の続き
1986年6月から10月までの5ヵ月間、小島剛一氏はトルコ政府の許可を得てトルコの言語の研究調査を始めた。氏の研究がトルコ政府にとって有益なものであると判断したようだ。但し、「研究調査の手助け」として随行員を付けている。実際は監視役であるのはいうまでもなく、最初は随行員P氏が同行する。歴史学者で専攻はオスマン・トルコ帝国史、フランス語とアラブ語が出来るというP氏だが、熱烈なイスラーム原理主義者という。
P氏は小島氏に、「トルコ語にアラブ語とペルシャ語の交じったものがクルド語である。したがってクルド語はトルコ語の方言である」と小島氏に「教え」ようとする。小島氏はそれに対してクルド語の実例を挙げ、P氏のいう3言語のいずれも相当しない基本的な語材と文構造をどう説明するのか、と問う。大学教授であるはずのP氏は、非学術的な答え方をするのだ。
「それはあとから変わったんですよ。そんなのは重要なことじゃありません。クルド人はもともとトルコ人だから、クルド語はもともとトルコ語なんです」
P氏はクルド語のことを何も知らなかったのだ。オスマン・トルコ帝国史が専攻ならば、オスマンル語こそがトルコ語にアラブ語とペルシャ語が交じったものであることを知っていてもよさそうだが、小島氏はそれを言うのは控えたそうだ。さらにP氏はイスラムが世界的に非常な勢いで広まっていて、日本でも日に日に信者が増えている、とも言ったとか。
「日本人高速イスラーム改宗説」は、これまでもトルコで小島氏は聞いたそうだ。コンヤ県南西部のベイシュヒル湖のほとりを歩いていた時に話しかけてきた人がその話をしていたという。日本では最近、大学教授が3千人回教に改宗した、と。
その数字に疑念を示した小島氏に対し、「あなたは日本に住んでいないから知らないのですよ。私はB新聞を読んだから、日本のことはなにもかも知っています」、がその答え。B新聞とは第一面の半分くらいを半裸の若い女の写真が占めている8頁ほどの日刊紙らしいが、そんな新聞がトルコで発行されていたとは意外だった。
その後数日、「T新聞で読んだ」「H新聞で読んだ」と言って同じ数字を挙げる人に小島氏は何人も出会ったという。T新聞はトルコで最大の発行部数を誇る、B新聞と同じ体裁の日刊紙らしいが、氏の説明からはクオリティペーパーには程遠いような……
オルハン・パムクの小説『雪』に登場した地方紙発行者の話は興味深い。情報や数値を誤魔化し、それを悪びれずこう開き直る。アメリカの新聞も同じだろうが、新聞というものは読者の見たいと思うことを書くのだ、と。今風に言えばフェイクニュース量産といえる。
但し、「日本人高速イスラーム改宗説」なら、日露戦争直後からあったのだ。宿敵ロシアの敗北はトルコを狂喜させたが、ついにミカドがイスラームに改宗、人前ですらすらコーランを読んだという話まであったという。トルコに限らずイスラーム圏では願望妄想を現実と一致させる傾向があるにせよ、来日ムスリムの増加とメディアやネットの影響で、「日本人高速イスラーム嫌悪症」の方が増えているだろう。
「研究調査の手助け」というより聞き取り調査中に横から口をはさみ、妨害しているのが明らかなP氏だが、トルコの地方要人も研究調査には協力的ではない。ディヤルバクル県のU知事の言い分は、トルコ政府の少数民族に対する公式見解の見本そのものである。
「私は言語学者ではないから詳しいことはわかりませんが、クルド語は『言語』ではありません。トルコ語なら「アッラー・ラーズ・オルスン(うまく行きますように)」というところを、クルド語では「アッラー・ラーズ・べ」と言うそうです。アッラーもラーズもトルコ語です。クルド語が本当に『言語』なら、これ程他の言語が入り込むはずがない。クルド語が『言語』ではない証拠です……」
アッラーは非回教徒にも知られている有名なアラブ語で、イスラームに帰依した他の民族の言葉と同じくトルコ語にも外来語として定着した。ラーズもまたアラブ語からの外来語という。にも拘らず、U知事は平然とアッラーをトルコ語と言ったのだ。どうせ異教徒の日本人には分らないだろうと、“嘘”をついたのか?
知り合いのムスリムから聞いたという話を信じてはいけない、何を言おうが異教徒には分かりやしないという馬鹿にした姿勢も目立つ……、と言った池内恵氏の話を思い出す。
ちなみにトルコでは県知事は選挙制ではなく、国が任命するそうだ。フランスと同じ制度だという。もし21世紀の現代は変わっていたとしても、あのフランスが'80年代半ばまで国が県知事を任命していたとは知らなかった。日本でさえ県知事は選挙で選ばれるのに、フランスが中央集権と云われる背景がやっと理解できた。
その⑥に続く
◆関連記事:「サイクス=ピコ協定 百年の呪縛」
このブログに対する小島氏の批判が載っています。
先に別のコメンターさんから小島氏による厳しい批判記事を紹介して頂いたので知っています。昨日21:38に件の記事にコメントを入れていますが、非表示にすることを決め込んだようです。
ただ、私は記事内で氏を「根拠の無い嘘吐き呼ばわり」など全くしておらず、面識のない人に逆恨みなどするはずもない。そもそも小島氏がブログをしていたことは今回初めて知ったほどです。拙記事をきちんと読まれた方なら、悪意に満ちた「根拠の無い嘘吐き呼ばわり」をしていないことが判るはず。
いずれにせよ、原文と違う表記や誤記述は完全に私の落ち度なので、叱責されても当然でした。引用箇所はほぼ原文どおりに修正しましたが。
公平な判断をされて頂き有難うございました。あの御仁が歪曲と息巻いていたのは、これまで散々「歪曲」引用をされたと思い込んでいるのでは?トルコ政府にとってあの本は禁書対象なのは想像に難くないし、そのシンパ(日本人協力者もいるはず)から「逆恨み」「歪曲」「根拠のない嘘つき」呼ばわりされ、すっかり神経症になってしまったとしか見えません。
県知事の任命制に驚いておられますが、実はブルガリアでは、今も県知事は内閣からの任命制です。
地方自治体としては、基本的には、郡(日本で言えば市町村の単位)しかなく、県は、その地方の国有財産などを管理するのが主たる業務で、県内に所在する複数の郡の行政、施策などに対して「指導」する権限もあるにはあるけど、さほどそういう「指導」がよくなされているとも聞きません。県には、県議会が付属していないので、役所としても小規模です。
なお、大きな郡の一部地域には、kmetstvo(一応「村」と訳す)というものがおかれ、kmet(町長、或は村長と言う感じ)を公選する場合があるけど、このkmetstvo=クメツトヴォには、村議会が付属していないので、村長とその下の役人数名がいるだけです。このほかに、大都市には、Rayon(区)というのがあり、ここでもkmetが公選されるけど、この場合も、区議会は付属しないので、やはり完全な自治体とは言えない。
まあ、国によって行政の在り方は異なるというか。
なお、今回のトルコに関する情報は、少々小生にも意外な感じですね。韓国同様に、うっかり異論をはさめない、大上段の「正解、正しい意見」と言うのが決まっている・・・とは?
ブル人とトルコ人の社会には、オスマン時代に一緒に暮らしていたせいで、共通点が多いと思っていたけど??
トルコに、70もの少数民族が存在するというのも、初めて聞いた話です。とはいえ、小生はトルコはイスタンブールとエディルネしか知らないし、言葉もあまり通じないから、よく知らないとしか言えないけど。
ブルも県知事は内閣からの任命制をとっており、県には県議会が付属していないことは日本人からみれば驚きです。元共産圏で長くトルコの支配下にあったブルならともかく、フランスで県知事が国から任命されることはもっと驚きました。他の欧州諸国は知りませんが、EUの要の大国フランスの事情は意外に日本では知られていないと思います。
著者はトルコに70もの少数民族が存在すると主張していますが、本人はあくまで言語学者に過ぎず、アナトリア専門家や文化人類学者ではありません。専門学者がどのような見解を示しているのかは不明ですが、きちんと論拠を示さなければ仮説にすぎないでしょう。
ネットで罵詈雑言を吐く者は珍しくありませんが、その類の内実は小心者であることが殆どでしょう。弱い犬ほどよく吠える、と昔から云われるし、元から何か強い鬱屈があり、ネットで八つ当たりするようになったと思います。それがすっかり病み付きになり、当人は倫理的と自惚れている罵詈雑言も、殆どは揚げ足取りや因縁にちかいものばかり。言語学者の成れの果てがネット罵詈雑言依存症(笑)
あの老人、黛まどかさんのことも非難していたのですか??小島氏は池内恵氏も罵倒していたし、要するに方々の著名人に噛みついているらしい。尤もしていることはネット掲示板で著名人をこき下ろす引きこもりニートと同じだし、所詮は「負け犬の遠吠え」。もし氏が学界で高い評価を得ていれば、ブログもかなり変わっていたと思います。
心理学者や精神科医ではないためASかどうかは分りませんが、書込みからはかなり病的な印象を受けました。ネットの匿名性を目の敵にする氏ですが、アンケートに答える匿名の賛同者の存在は許す。本来の学問に専念しようとしても、トルコ政府からマークされており、現地調査も絶望的。
そもそもマイナー言語など、偏屈学者を除いて殆どの人は関心を持ちません。それに人工知能の台頭で、下手すると言語学は淘汰される学問かも。