辛口KOJIの 「キリリ」 といこう!!

HIV陽性者の家族と友人の会1st.geocities.yahoo.co.jp/gl/base_kobe

ゆとり教育はエイズ教育を!!

2008年04月24日 | エイズの活動
ある方の古いブログを拝見していたら、ゆとり教育の是非について書かれていました。賛否両論のゆとり教育ですが、そもそも賛否の根拠に乏しいと私は考えています。

新たな訪問者の方がいらっしゃいますから、ぜひ、書きたいと思いますので、もうよくご存知の方は、スルーして下さい。後半部の、エリートのことについて書いたところは、ちょっと見て欲しいですが、、、。

学力重視か、個性の育成かという議論は、本来のゆとり教育の議論ではないように私は思っています。

つまりゆとり教育で、どんなプログラムを用意するかを、先ず論じなければならないのだろうと思います。

私のエイズ教育は、中学のゆとり教育の時間に行なわれています。そして、それは、「学力も個性も伸ばす」ことを目標にしています。どちらか一方なんて考えるのは、そもそもゆとり教育を狭義に捉えていて、可能性を摘んでしまっているように思います。

つまり、「性と生について考える」中で、そもそも人は何のために生まれてきたのかを考えます。そして、エイズが映し出す様々な不条理が、同じ今を生きる人間にとって悲惨なことになってしまっていること。一番大事なことは、「日本に生まれてきただけで餓えることもなく学びもできること」。つまり、生きてるだけで丸儲けということを生徒達と分かち合うことなんです。

その問いはと言えば、「あなたは、なぜ、日本人ですか?」とか、「あなたは、なぜ、男ですか?」、「私は、なぜ、ゲイでしょうか?」ということから始まるんですね。

生徒達は、真剣に色々と考えくれます。

地球規模の不条理、例えば、「貧困・飢餓」のようなものは、全て人的要因によるもので、一部の先進国の搾取がそれを支えているというようなことも考えるんですね。神戸では、来月、G8環境サミットが開催されますが、この問題も根っこは同じなんでしょう。

「私は誰で、何のために生まれてきて、どう生きて死んでいくのか?」という本当に大きなテーマをエイズで学ぶことなんです。

「差別は人間の恥」とか、「しっかり勉強して医師・看護師になって病気の人たちを助けたい」とか、「スポーツをしっかりやってレギュラーになって途上国の子どもに教えたい」とか、本当に素晴らしい考えに目覚めてくれるんですね。

その結果、学力も体力も上がって、人としてどう生きるかを中学生が学んでいるんですよ。この教育効果は、計り知れないと教育委員会も先生方も確認しているんです。特に保護者の皆さんの評価が高いんです。

「偏見のある、大人である私たちを越えて、深い学びができている。この学校に子どもが学べることを親として誇りに思う」とか、「子どもと繁内さんとの出会いはあまりにも大きい」なんて、絶賛されたら、こちらが非常に恥ずかしくなります。(笑)

ゆとり教育の失敗は、全て大人の失敗だと思います。教えあぐねた失敗を全く語ることなく、学力低下に摩り替えるのはお門違いと言えるでしょう。

そして、大事なことは、子ども達をHIV感染から守るという大人の務めがあるということです。

賛否は、あると思いますが、私は、こう思っているんですよ。

日本は、資源のない国で、貿易に頼らなければ生きていけない国です。食糧や石油を輸入し、加工品を輸出する。つまり、平和でなければならないのです。

また、常に最先端の技術を開発し続けなければ、付加価値のあるものを作り続けなければ、人件費の安い途上国に生産を奪われて、少子高齢化の中で、人口が減り続け活力を失う社会にまつしぐら。つまり、子ども達の生きる日本社会は、思いのほか厳しいということをしっかり伝えることが必要なんですね。山ほどある国の借金のことも。みんなこのままでは、あなた達にそっくり残ることも。

そして、ここからが大事です。日本は、性教育がほとんどできていない現状があります。特に進学校ほどできていない。私は、神戸ですから、近い将来の夢として、灘、甲陽という全国的にみても学力が極めて高い高校がありますから、そこで性教育がしたいですね。

日本のような国が富むためには、0.3%の超優秀な人材が必要です。そして、3%の優秀な人材が必要です。将来の日本を牽引してくれる頭脳が必要です。だから、どうしてもこの子達が、HIVに感染してもらっては困るんですね。

平均学力を上げることも必要ですが、それとともに超優秀な世界的に活躍できる人材が必要なんです。その時に、大事なことは、利己的な偏差値が高いだけのお馬鹿な大人に育てるのではなく、「人として」分かち合える心を持った大人に育って欲しいと私は心から思っているんですよ。

こんなことを押えながら授業を進めるのに、私がゲイであろうがなかろうが、全く関係ないし、当たり前のように中学校でカムアウトして授業ができるんです。

つまり、私がいかに子どもたちが好きで、よりよく生きて欲しいと思っているかが、教員や保護者の方にも十分に伝わるんですね。私にとっては、つまらぬ差別や偏見の話(小局)ではなく、それを逆手にとって、被差別の中にある当事者が、社会に資すること(大局)を目的にした授業なんでしょう。

私には、授業でゲイをカムアウトすることなど何でもないのですが、それに勇気をもらったと感じてくれる子どももいます。それはそれでいいとも思います。

絶対に譲れないことは、性差を理由にした差別・偏見に苦しむ子ども達を放置している教育現場の現状なんです。それを差別だと責めるのではなく、あえて、私がゲイであることをカムアウトすることで、「いじめるなら、私をいじめてみなさい」という気持ちを持って授業をしているんですよ。(爆)

ここが実は、神戸の人権の活動のこだわりなんです。少数者がカムアウトして高い志を持ったら、社会的にも教育の現場でも、ものすごい力が生まれるんですね。

それが私の授業を聞いてくれる声の出せない性的少数者の子どもの少しの励みになればいいと本当に思いますし、私の授業を受けてカムアウトした生徒もいます。もちろん理解が進んでいることは言うまでもありません。

単に、「性的少数者の人権」だけを声高に叫んでも、何とかの遠吠え状態なら、今一度しっかり戦略を組まないと、本当に相手にされないと私は考えています。

先日、そんな話をしていたら、「あなたが政治を志せばいいんです!!」と言われてびっくりしました。私は絶対にそんなことはしません!!(笑)

いつも発信をしている、「着眼大局・着手小局」の実践を、念頭において、独自の活動を神戸で仲間と続けることができるのは、本当に幸せだと思っています。

神戸の性的少数者の若い人たちが育っていることを、私は本当に誇りに感じているこの頃です。


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