情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士(ヤメ蚊)日隅一雄

知らなきゃ判断できないじゃないか! ということで、情報流通を促進するために何ができるか考えていきましょう

シンポ「メディアとデモクラシー」~第5の権力とは…(九州日仏学館主催)

2006-09-23 23:59:43 | イベント情報(行かれた方はぜひご感想を)
とても,面白そうなセミナー(←クリック)が行われます。【立法権、行政権、司法権の3つの権力に対する「第4の権力」、すなわち民主主義社会において市民が拠りどころとしてきた報道の力が崩壊したことを認めざるをえない。実際に、マルチメディアグループが発展したことによって、それ自体の利益が市民の利益よりも優先され、メディアは独立した権力となりつつある。イグナシオ・ラモネは、メディアの自由は民主主義の基本であり、表現の自由の一部に過ぎないという前提に立ち返り、メディアやコミュにケーションといった力に対抗しうる市民的な「第5の権力」権力が出現する条件について考察する。】というが,このイグナシオ・ラモネ氏は,ル・モンド・ディプロマティーク誌(←クリック)紙の編集総長。う~ん,近くだったら絶対行くんだが…。


■■HPの引用開始■■

「民主主義は機狽オているか」。これは福岡で7月に開催された世界政治学会2006福岡大会のテーマです。この世界政治学会に際し、九州大学・西南学院大学・九州日仏学館は、現代における民主主義の機狽フ問題点の1つであるメディアとデモクラシーの関連に焦点をあて、この問題についての考察を深めます。


プログラム

1- 基調講演 :
「グローバル化時代のメディア –第5の権力」
イグナシオ・ラモネ(ル・モンド・ディプロマティーク編集総長)

立法権、行政権、司法権の3つの権力に対する「第4の権力」、すなわち民主主義社会において市民が拠りどころとしてきた報道の力が崩壊したことを認めざるをえない。実際に、マルチメディアグループが発展したことによって、それ自体の利益が市民の利益よりも優先され、メディアは独立した権力となりつつある。イグナシオ・ラモネは、メディアの自由は民主主義の基本であり、表現の自由の一部に過ぎないという前提に立ち返り、メディアやコミュにケーションといった力に対抗しうる市民的な「第5の権力」権力が出現する条件について考察する。

フランス語による講演。同時通訳付き。(40分)

「メディア・権力・ポピュリズム –デモクラシーの(不)可能性について-」
高橋 哲哉氏(哲学者、東京大学大学院総合文化研究科教授)


現代日本のマスメディアは、デモクラシーの担い手であるどころか、デモクラシーの破壊者になっていないだろうか?実際にわれわれは、マスメディアが、大衆の欲望に迎合するだけでなく、大衆の欲望を挑発し、それを創り出すことに気づいている。高橋哲哉はこの過程を示し、そうした方法がどのようにしてポピュリズム型権力の不可欠の要素となっていくのかを明らかにしていく。

日本語による講演。同時通訳付き。(40分)


2- ラウンドテーブル・討論

司会:田中 一彦 氏(西日本新聞編集局総務)

パネリスト:

イグナシオ・ラモネ氏(ル・モンド・ディプロマティーク編集総長)

高橋 哲哉氏(哲学者、東京大学大学院総合文化研究科教授)

加藤 千洋氏(朝日新聞編集委員、テレビ朝日「報道STATION」コメンテーター)

飯田 正剛氏(弁護士、東京弁護士会人権擁護委員会委員長)

討論は日本語とフランス語で行われます。同時通訳付き。


日時:9月30日(土)13時~17時
会場:福岡国際会議場国際会議室 501(福岡市博多区石城町2-1)
入場無料(要予約)
ご蘭・E問合せ:九州日仏学館(Tel 092-712-0904 / Fax 092-712-0916)

■■引用終了■■



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「国のために」とは?~国旗国歌論争の背景にある個人的見解

2006-09-23 17:35:23 | 有事法制関連
前に一度書いたことがあるが,私は,1945年4月,沖縄作戦に向かった大和ら艦隊が,米軍に一斉に降伏をしていたら,日本の無条件降伏も早期になされ,広島,長崎の原爆投下もなかったのではないか?と思う。少なくとも,沖縄作戦でなくなった多くの方の命は失われることはなかった。

1945年4月,日本の敗戦は,冷静に考えれば,明白だった。その時点では,早期に降伏することこそが,「国のために」行うべき行為だったのだ。

沖縄作戦を指揮した者たちは当然,日本が敗戦に向かっていること,沖縄作戦で多くの者が犠牲になることが分かっていた。そうであるならば,勇気をふるって,「命令に背き」全艦隊を降伏させることが最も「国のために」なることだったのではないだろうか?そうすれば,国民にも厭戦気分が広がり,戦争は早期に解決したはず…。


これは,1つの考えに過ぎない。「国のため」ということが一方向から考えることができないことを考えるための材料のようなものだ。

そして,上で述べたことは国旗国歌論争にもいえると思う。「日の丸」「君が代」に負のイメージを持ち続け,それを伝えることが「国のため」になるのか,ならないのか?

1945年4月,「国のため」に大和を降伏させると言ったら,即座に「非国民」との誹りを受けたであろう。

いま,「日の丸」「君が代」に負のイメージを抱き,そのメッセージを生徒に伝えることは果たして「国のため」になるのか?ならないのか?それは,振り返ったときにはじめて分かることではないだろうか。


第2次大戦の教訓は,「間違っている」と思われる政府批判も,少なくともそれがメッセージ伝達に止まる限りは認めること…ではないか?実は「間違っていない」かもしれないからだ。

したがって,国歌斉唱時に起立しないというメッセージを伝達することが「間違っている」と評価されるとしても,伝達する自由そのものは保障することが,「過ちを繰り返さない」ために必要なことではないか,と思う。





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杉浦大臣「血塗られても英国は変えぬ」~じゃぁ何かい,英国で教師が不起立で処分されているのかい?

2006-09-23 16:48:17 | そのほか情報流通(ほかにこんな問題が)
朝日新聞(←クリック)によると,【東京地裁判決を受け、杉浦法相は22日の閣議後の記者会見で、「個人的な一議員としての感想」と強調した上で、英国旗「ユニオンジャック」を例に引き、「『血塗られたユニオンジャック』という表現があるくらいだが、それでも英国民は国旗として変えない。そこを思い起こしてほしい」と話した。】という。しかし,判決は国旗を変えろなどとは言っていない。教師が不起立・ピアノ伴奏拒否でで処分されるのはおかしい,と言っているだけ。だから,杉浦大臣の発言は,英国で教師が同様の理由で処分されていることが前提となる。杉浦大臣,その辺はどうですか?


読売の社説(←クリック)にもあきれるね。
【「指導」がなくていいのだろうか。不起立で自らの主義、主張を体現していた原告教師らは、指導と全く相反する行為をしていたと言えるだろう。 】
国旗・国歌を説明することと自分が国旗国歌に対していかなる信条を持っているかは別である。そもそも,入学式,卒業式に国歌斉唱が本当に必要か否かについて根本的な検討もせず,判決がおかしいというのは,批判として稚拙だ。諸外国では,国歌斉唱がされているのだろうか?


小泉も相変わらずの馬鹿っぷり。【社会人になって国歌も歌えない、国旗に敬意も表せないのは外国で変に思われる。】(読売←クリック)不起立で教師が処分された国があるのかい。ないなら,そんなことで処分することこそ,諸外国からは,「全体主義的な異常な国」と見られることになるのではないのかい?







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このポスターって問題ある,ない?~あるって思うんだなぁ

2006-09-23 00:04:49 | そのほか情報流通(ほかにこんな問題が)
このポスターに問題があると思うか,思わないか…これって結構分水嶺かも…。











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