情報通信法制がらみで、山本達也さんが書かれた「アラブ諸国の情報統制 インターネット・コントロールの政治学」(慶應義塾大学出版会)を読んだ。インターネットがいかに統制しやすいシステムであるか、アラブ諸国がいかに統制を志向し現実に統制しているかがよく分かった。詳細は次の機会にするとして、この本のなかで、政治体制を分類してその特徴を記載した表が掲載してあり、日本が民主主義とはいえないことを改めて実感したので、まずはそこから紹介したい。この表は、「民主化の理論・民主主義への移行と定着の課題」という本によるものらしい。
表では、政治体制を、民主主義、権威主義、全体主義、ポスト全体主義、スルタン主義の5つに分類したうえ、それぞれの体制について、多元主義、イデオロギー、動員、リーダーシップという4点のに関する特徴が記載されている。
例えば、多元主義について、民主主義では、「責任能力ある政治的多元主義。経済、社会、および組織内生活における広範な領域の多元的自治がそれを強化する。法的に保護された多元主義は『社会コーポラティズム』とは矛盾しないが、『国家コーポラティズム』とは矛盾する」とあるのに対し、権威主義では、「責任能力のない限定的な政治的多元主義を伴う政治システム。しばしば、かなり広範な社会的・経済的多元主義が存在する。権威主義体制においては、大部分の多元主義は体制以前の社会に由来する。しばしば反対派のための一定の空間が存在する」とされている。
ちょっと、難しいが、多元主義とは、簡単に言うと、利益集団が多数存在し、それらの意思が反映するシステムということであり、社会コーポラテズムとは労働組合が一定の政治的力をもっているシステム、国家コーポラティズムとは全体主義(戦前の日本、ドイツ)のことです。日本はどちらに近いでしょうか…。
分かりやすいのは、イデオロギーについて。民主主義では「異議申立の手続き的規則と市民権に対する広範な知的コミットメントが存在する。目的論的なものではない。少数派の権利、法、個人主義の価値が尊重される」が、権威主義では「精緻な指導的イデオロギーはないが、独特のメンタリティーを持つ政治システム」とされる。
かなり、日本の立場が明確になってきますね。
さらに、動員については、民主主義では、体制による動員が低く、市民参加が多いことに価値を見いだすが、権威主義では、集中的な政治動員はないとされる。
また、リーダーシップについては、民主主義では自由選挙に基づくが、権威主義では指導者あるいは小グループが権力を行使し、官僚の自由度が高いとされる。
ここまで来れば、日本がサミット、少なくとも民主主義を前提とするサミットに参加する資格がないことが明確になってくる。
権威主義維持のために、死刑などがポピュリズムの道具として使われていることは事実であり(そうじゃないなら、公害などの問題で苦しむ人に対して、国を代表して訴訟をする法務大臣としての責任も口にするはずだ)、そういう意味では法相は、「死に神」というよりも「死の商人」といったほうが、的確かもしれない。
で、情報通信法構想、やっぱり、ここでネットの自由を確保しないと権威主義から民主主義への脱却は困難となる。疑似反対派ではなく、真の反対派(現政権に対する)の空間を守り、マスメディアに残る反対派空間を拡大しよう!
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★「憎しみはダークサイドへの道、苦しみと痛みへの道なのじゃ」(マスター・ヨーダ)
★「政策を決めるのはその国の指導者です。そして,国民は,つねにその指導者のいいなりになるように仕向けられます。方法は簡単です。一般的な国民に向かっては,われわれは攻撃されかかっているのだと伝え,戦意を煽ります。平和主義者に対しては,愛国心が欠けていると非難すればいいのです。このやりかたはどんな国でも有効です」(ヒトラーの側近ヘルマン・ゲーリング。ナチスドイツを裁いたニュルンベルグ裁判にて)
★「News for the People in Japanを広めることこそ日本の民主化実現への有効な手段だ(笑)」(ヤメ蚊)
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表では、政治体制を、民主主義、権威主義、全体主義、ポスト全体主義、スルタン主義の5つに分類したうえ、それぞれの体制について、多元主義、イデオロギー、動員、リーダーシップという4点のに関する特徴が記載されている。
例えば、多元主義について、民主主義では、「責任能力ある政治的多元主義。経済、社会、および組織内生活における広範な領域の多元的自治がそれを強化する。法的に保護された多元主義は『社会コーポラティズム』とは矛盾しないが、『国家コーポラティズム』とは矛盾する」とあるのに対し、権威主義では、「責任能力のない限定的な政治的多元主義を伴う政治システム。しばしば、かなり広範な社会的・経済的多元主義が存在する。権威主義体制においては、大部分の多元主義は体制以前の社会に由来する。しばしば反対派のための一定の空間が存在する」とされている。
ちょっと、難しいが、多元主義とは、簡単に言うと、利益集団が多数存在し、それらの意思が反映するシステムということであり、社会コーポラテズムとは労働組合が一定の政治的力をもっているシステム、国家コーポラティズムとは全体主義(戦前の日本、ドイツ)のことです。日本はどちらに近いでしょうか…。
分かりやすいのは、イデオロギーについて。民主主義では「異議申立の手続き的規則と市民権に対する広範な知的コミットメントが存在する。目的論的なものではない。少数派の権利、法、個人主義の価値が尊重される」が、権威主義では「精緻な指導的イデオロギーはないが、独特のメンタリティーを持つ政治システム」とされる。
かなり、日本の立場が明確になってきますね。
さらに、動員については、民主主義では、体制による動員が低く、市民参加が多いことに価値を見いだすが、権威主義では、集中的な政治動員はないとされる。
また、リーダーシップについては、民主主義では自由選挙に基づくが、権威主義では指導者あるいは小グループが権力を行使し、官僚の自由度が高いとされる。
ここまで来れば、日本がサミット、少なくとも民主主義を前提とするサミットに参加する資格がないことが明確になってくる。
権威主義維持のために、死刑などがポピュリズムの道具として使われていることは事実であり(そうじゃないなら、公害などの問題で苦しむ人に対して、国を代表して訴訟をする法務大臣としての責任も口にするはずだ)、そういう意味では法相は、「死に神」というよりも「死の商人」といったほうが、的確かもしれない。
で、情報通信法構想、やっぱり、ここでネットの自由を確保しないと権威主義から民主主義への脱却は困難となる。疑似反対派ではなく、真の反対派(現政権に対する)の空間を守り、マスメディアに残る反対派空間を拡大しよう!
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★「政策を決めるのはその国の指導者です。そして,国民は,つねにその指導者のいいなりになるように仕向けられます。方法は簡単です。一般的な国民に向かっては,われわれは攻撃されかかっているのだと伝え,戦意を煽ります。平和主義者に対しては,愛国心が欠けていると非難すればいいのです。このやりかたはどんな国でも有効です」(ヒトラーの側近ヘルマン・ゲーリング。ナチスドイツを裁いたニュルンベルグ裁判にて)
★「News for the People in Japanを広めることこそ日本の民主化実現への有効な手段だ(笑)」(ヤメ蚊)
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