評論家・山崎元の「王様の耳はロバの耳!」
山崎元が原稿やTVでは伝えきれないホンネをタイムリーに書く、「王様の耳はロバの耳!」と叫ぶ穴のようなストレス解消ブログ。
旨い焼き鳥が食べたい
拙宅からの徒歩圏内に、飲食店は数多く、その中の一軒に、かつて数年間贔屓にしていた焼鳥屋がある。焼鳥屋としてよくあるように、その店の店名にも「鳥」の文字が入っている。その「鳥●」には、数年前まで素晴らしく上手い焼き手が居た。
当時の彼は五十代前半くらいだったのだろうか。細面の寡黙な人で、既に串を打って下ごしらえしてあるネタを、大胆に塩を振ってから、さまざまに仰ぎ方を変えつつ団扇を休むことなく動かし続けて、炭火で焼いていた。カウンターが中心の店で、カウンターに約10人、奥にテーブル席があって、最大20名くらいのキャパシティーの店だが、彼が一人で焼いていた。カウンター内に1人助手が居て、カウンターの外に着物姿の女性が2人ウェイトレスの役割を果たすという体制だったが、焼き手の忙しさが突出していた。
ネタが下ごしらえ済みで、カウンター前の冷蔵ケースに納まっているとはいえ、いつも満員に近いあの店で、一人で焼きを担当する彼は本当に多忙だった。しかし、焼き上がりは、ネタの種類毎に個別に的確で、焼け方にバラツキは全くなく、正確な仕上がりだった。
ささみは表面だけが硬くならない程度に焼けていて中はひんやりと冷たいレアに保たれていた。殊に見事なのはレバだった。鳥レバが大きめに切られてまとめて串を打たれ、モスラの幼虫のような姿になったその串は、強く塩を振られた表面だけパリッとした歯ごたえがあるが、中は暖かく火が通っていながら、信じられないくらいジューシーだった。このレバがないと寂しいので、私は、入店すると直ぐに、ネタケースの中のレバの串の在庫本数を確認するほどだった。皮や、ぼんじり、手羽先のような油の多いネタは、中まで完全に火が通っていて、口の中には油の香ばしさがぱっと広がり、表面は程良くぱりぱりと焼けていて歯触りが良かった。つくねも、焦がすことなく中まで火が通った熱々のつくねだった。野菜を焼いても、焦がすこともなければ、縮ませることもなく、しかし、青臭さを残さずに焼いてくれた。
多くの串を塩・タレで両方で出していたが、私も含めて、殆どの客が「塩で」と頼んでいた。特別に珍しいものは何もないが、全てのネタが堂々としていた。
焼き手は、景気よく塩を振って、あとはひたすら炭火で焼くだけだ。それだけで、全てが旨い。他店と広く較べた訳ではないが、当時の「鳥●」は、焼き鳥ではここがベストだろうと思ったし、鳥料理としての一つの完成形であったと思う。あの焼き手は、つくづく名人なのだと当時は思ったし、それは今でも変わらない。
当時、私は、ささみのサビ焼き(ささみをレアに焼いてワサビを乗せたもの)から始まって、かしわ、レバ、皮、ししとう、ぼんじり、うずらの卵、ぎんなん、かも、つくね、最後に手羽先といった調子で、単品の串を10本少々食べて、鳥丼又は鳥茶漬けで締める、というような食べ方をしていた。平均よりもやや大食らいの客だが、ビール2杯に、日本酒2合位を飲んで、支払いは1万2千円前後(何人かで食べに行くので、一人当たり)だった。焼鳥屋さんとしては高級店で、簡単な接待にも使われていたし、外国人のお客さん(接待されている人が多かった)も多かった。安い店ではないが、価格を考えた満足度は十分高かった。
店に最初の変化が訪れたのは10年くらい前だっただろうか。この焼き手が、おそらくは突発性難聴で、耳が不自由になった。片耳に聴力が少し残っていて、補聴器を入れて、相手に大きな声で話して貰うと、言葉が聞こえるらしいし、彼が話すことは出来るのだが、会話が少し不自由になった。
店では、はじめの頃、大きな声で注文して下さいと言われていたが、その後、注文はカウンター内の助手に通すようになった。私はいつもポストイット(正方形のもの)を持っていたので、連れの分も含めて、これに注文を3種類くらいまとめて書いて、助手ないし、焼き手ご本人に渡していた。帰り際には、「おいしかった」、「どうもありがとう」と口の動きも分かるようにはっきり告げて帰ることにしていたが、その度に嬉しそうに笑ってくれた。こちらは上機嫌だから、握手をして帰ったこともあっただろうか。
もともと寡黙な人だし、それで私としては何の不自由もなかったのだが、本人は時々いらだたしそうにすることがあった。事情を知らない客とは、時々意思の疎通を欠くことがあったようだ。
たぶん、耳の調子が悪くなって2年くらい経ったときだったと思うが、この焼き手が店を辞めてしまった。店主らしき女性に訊いても、辞めた事情や、彼のその後は教えてくれなかった。だから、どんな事情で辞めたのか、私は知らない。ある日その店を訪ねたら、焼き手が代わっていたのだ。
中年の男性2人が新たな焼き手だった。やはり、あの店の焼き手は1人では大変な仕事量だったのかと再確認した思いだったが、問題は、すっかり味が変わってしまったことだった。経営的には上手く行っているように見える店だったし、値段からみても、経験者を雇ったのだろうと思うが、正直に言って、味が著しく落ちた。ネタ・ケースを見る限り、ネタの質や、下ごしらえの内容が変わった感じはしない。少なくとも、大きくは違わないだろう。
塩を振って、炭で焼くというプロセスも同じだ。しかし、ささみのサビ焼きには表面の香ばしさがないし、焼き終えた串の姿を手で何度もぐずぐずと整えるので、視覚的にも旨そうな感じがしない。最も楽しみだったモスラの幼虫(=レバ)も、下ごしらえの形は同じだが、味は普通の生焼けの鳥レバだ。こうなると、かしわも弾力が乏しく思えるし、ぼんじりなどの脂身はスッキリ焼けていないように感じる。物理的に全てがダメだったわけではないのだろうが、こちらの心理的にはもうすっかりダメだった。
店の感じや居心地は決して悪くないのだが、それからその店に行く気は全く起きなくなってしまった。
それにしても、全く同じものを、同じ設備で焼いて、焼き手によってこんなに味が違うものだとは思わなかった。焼き鳥の世界も奥が深い。
「鳥●」の焼き手が代わって、2年くらい経った時だっただろうか。私が当時勤めていたUFJ総研に一通の葉書が届いた。差出人は、あの上手い焼き手だった。
「私は、鳥●にいた、耳の悪かった者で、辞める前にお礼を言おうと思っていたけれども、その機会がなかった。先日テレビを見ていたら、あなたが映っていて、勤め先が分かったので、一言当時のお礼を言いたくて、この葉書を書いた」というようなことが、あらまし書いてあった。現在どうしているか、ということは何も書いてなかった。
差出人の住所氏名が書いてあったので、「その後、お元気でしょうか。あなたの焼いた焼き鳥は最高に美味しかった。現在でもこれからでも、焼き鳥をまた焼くことがあったら、是非そのお店に伺いたいので、教えて欲しい」というような返事を出したが、その後、返信はない。
今にして思うと、「あなたの焼き鳥が食いたい」という一点だけが勝った、いささか思いやりのない手紙だったかも知れない。彼は、体調がすぐれないなど、働くことができない状態だったのかも知れないし、「鳥●」に遠慮して、自分が新たに働いている店の名前は出すまいと思っていたのかも知れなかった。
その時に、どんな返事を書けば良かったのか、今でも分からないが、焼き鳥が焼き手によってかくも異なる奥の深いものなのかということと共に残念な思い出として記憶に残っている。
先日、数年振りに、「鳥●」にランチの焼き鳥丼を食べに入ってみた。ランチは昔からやっていたのかどうかは分からないが、値段を考えるとどうということのない焼き鳥丼だった。焼き手が、あの時に見た後任者の2人のどちらかだったのかは、記憶が定かでない。周囲は、飲食店の激戦区なので、他に客はいたが、ランチ時なのにカウンターに所々という客の入りで、店内がくすんで見えたし、手洗いの清掃も不十分だった。店自体は続いているようだが、夜にまた来てみたいとは思わなかった。
その数ヶ月後、店の近所のバーに、焼鳥屋の女主人が、店で着ているのと同じ着物を着て年配の客とおぼしき男性と一緒に入って来て、かなり酩酊した状態で、あれやこれやと飲み物を注文しているのを見かけた。「鳥●」は、きっと夜の雰囲気も変わったのだろうと思った。
上手い焼き手が焼いた、香ばしく焼けた焼き鳥がまた食べたい。
最近、焼鳥屋ではなく、少し変わった鰻を出す鰻屋なのだが、焼きの上手い若い料理人を見つけた。同じものを焼いても、彼が焼くと、ひと味違うようだ。今度、彼の焼いた鳥を食べてみよう。密かに期待している。
当時の彼は五十代前半くらいだったのだろうか。細面の寡黙な人で、既に串を打って下ごしらえしてあるネタを、大胆に塩を振ってから、さまざまに仰ぎ方を変えつつ団扇を休むことなく動かし続けて、炭火で焼いていた。カウンターが中心の店で、カウンターに約10人、奥にテーブル席があって、最大20名くらいのキャパシティーの店だが、彼が一人で焼いていた。カウンター内に1人助手が居て、カウンターの外に着物姿の女性が2人ウェイトレスの役割を果たすという体制だったが、焼き手の忙しさが突出していた。
ネタが下ごしらえ済みで、カウンター前の冷蔵ケースに納まっているとはいえ、いつも満員に近いあの店で、一人で焼きを担当する彼は本当に多忙だった。しかし、焼き上がりは、ネタの種類毎に個別に的確で、焼け方にバラツキは全くなく、正確な仕上がりだった。
ささみは表面だけが硬くならない程度に焼けていて中はひんやりと冷たいレアに保たれていた。殊に見事なのはレバだった。鳥レバが大きめに切られてまとめて串を打たれ、モスラの幼虫のような姿になったその串は、強く塩を振られた表面だけパリッとした歯ごたえがあるが、中は暖かく火が通っていながら、信じられないくらいジューシーだった。このレバがないと寂しいので、私は、入店すると直ぐに、ネタケースの中のレバの串の在庫本数を確認するほどだった。皮や、ぼんじり、手羽先のような油の多いネタは、中まで完全に火が通っていて、口の中には油の香ばしさがぱっと広がり、表面は程良くぱりぱりと焼けていて歯触りが良かった。つくねも、焦がすことなく中まで火が通った熱々のつくねだった。野菜を焼いても、焦がすこともなければ、縮ませることもなく、しかし、青臭さを残さずに焼いてくれた。
多くの串を塩・タレで両方で出していたが、私も含めて、殆どの客が「塩で」と頼んでいた。特別に珍しいものは何もないが、全てのネタが堂々としていた。
焼き手は、景気よく塩を振って、あとはひたすら炭火で焼くだけだ。それだけで、全てが旨い。他店と広く較べた訳ではないが、当時の「鳥●」は、焼き鳥ではここがベストだろうと思ったし、鳥料理としての一つの完成形であったと思う。あの焼き手は、つくづく名人なのだと当時は思ったし、それは今でも変わらない。
当時、私は、ささみのサビ焼き(ささみをレアに焼いてワサビを乗せたもの)から始まって、かしわ、レバ、皮、ししとう、ぼんじり、うずらの卵、ぎんなん、かも、つくね、最後に手羽先といった調子で、単品の串を10本少々食べて、鳥丼又は鳥茶漬けで締める、というような食べ方をしていた。平均よりもやや大食らいの客だが、ビール2杯に、日本酒2合位を飲んで、支払いは1万2千円前後(何人かで食べに行くので、一人当たり)だった。焼鳥屋さんとしては高級店で、簡単な接待にも使われていたし、外国人のお客さん(接待されている人が多かった)も多かった。安い店ではないが、価格を考えた満足度は十分高かった。
店に最初の変化が訪れたのは10年くらい前だっただろうか。この焼き手が、おそらくは突発性難聴で、耳が不自由になった。片耳に聴力が少し残っていて、補聴器を入れて、相手に大きな声で話して貰うと、言葉が聞こえるらしいし、彼が話すことは出来るのだが、会話が少し不自由になった。
店では、はじめの頃、大きな声で注文して下さいと言われていたが、その後、注文はカウンター内の助手に通すようになった。私はいつもポストイット(正方形のもの)を持っていたので、連れの分も含めて、これに注文を3種類くらいまとめて書いて、助手ないし、焼き手ご本人に渡していた。帰り際には、「おいしかった」、「どうもありがとう」と口の動きも分かるようにはっきり告げて帰ることにしていたが、その度に嬉しそうに笑ってくれた。こちらは上機嫌だから、握手をして帰ったこともあっただろうか。
もともと寡黙な人だし、それで私としては何の不自由もなかったのだが、本人は時々いらだたしそうにすることがあった。事情を知らない客とは、時々意思の疎通を欠くことがあったようだ。
たぶん、耳の調子が悪くなって2年くらい経ったときだったと思うが、この焼き手が店を辞めてしまった。店主らしき女性に訊いても、辞めた事情や、彼のその後は教えてくれなかった。だから、どんな事情で辞めたのか、私は知らない。ある日その店を訪ねたら、焼き手が代わっていたのだ。
中年の男性2人が新たな焼き手だった。やはり、あの店の焼き手は1人では大変な仕事量だったのかと再確認した思いだったが、問題は、すっかり味が変わってしまったことだった。経営的には上手く行っているように見える店だったし、値段からみても、経験者を雇ったのだろうと思うが、正直に言って、味が著しく落ちた。ネタ・ケースを見る限り、ネタの質や、下ごしらえの内容が変わった感じはしない。少なくとも、大きくは違わないだろう。
塩を振って、炭で焼くというプロセスも同じだ。しかし、ささみのサビ焼きには表面の香ばしさがないし、焼き終えた串の姿を手で何度もぐずぐずと整えるので、視覚的にも旨そうな感じがしない。最も楽しみだったモスラの幼虫(=レバ)も、下ごしらえの形は同じだが、味は普通の生焼けの鳥レバだ。こうなると、かしわも弾力が乏しく思えるし、ぼんじりなどの脂身はスッキリ焼けていないように感じる。物理的に全てがダメだったわけではないのだろうが、こちらの心理的にはもうすっかりダメだった。
店の感じや居心地は決して悪くないのだが、それからその店に行く気は全く起きなくなってしまった。
それにしても、全く同じものを、同じ設備で焼いて、焼き手によってこんなに味が違うものだとは思わなかった。焼き鳥の世界も奥が深い。
「鳥●」の焼き手が代わって、2年くらい経った時だっただろうか。私が当時勤めていたUFJ総研に一通の葉書が届いた。差出人は、あの上手い焼き手だった。
「私は、鳥●にいた、耳の悪かった者で、辞める前にお礼を言おうと思っていたけれども、その機会がなかった。先日テレビを見ていたら、あなたが映っていて、勤め先が分かったので、一言当時のお礼を言いたくて、この葉書を書いた」というようなことが、あらまし書いてあった。現在どうしているか、ということは何も書いてなかった。
差出人の住所氏名が書いてあったので、「その後、お元気でしょうか。あなたの焼いた焼き鳥は最高に美味しかった。現在でもこれからでも、焼き鳥をまた焼くことがあったら、是非そのお店に伺いたいので、教えて欲しい」というような返事を出したが、その後、返信はない。
今にして思うと、「あなたの焼き鳥が食いたい」という一点だけが勝った、いささか思いやりのない手紙だったかも知れない。彼は、体調がすぐれないなど、働くことができない状態だったのかも知れないし、「鳥●」に遠慮して、自分が新たに働いている店の名前は出すまいと思っていたのかも知れなかった。
その時に、どんな返事を書けば良かったのか、今でも分からないが、焼き鳥が焼き手によってかくも異なる奥の深いものなのかということと共に残念な思い出として記憶に残っている。
先日、数年振りに、「鳥●」にランチの焼き鳥丼を食べに入ってみた。ランチは昔からやっていたのかどうかは分からないが、値段を考えるとどうということのない焼き鳥丼だった。焼き手が、あの時に見た後任者の2人のどちらかだったのかは、記憶が定かでない。周囲は、飲食店の激戦区なので、他に客はいたが、ランチ時なのにカウンターに所々という客の入りで、店内がくすんで見えたし、手洗いの清掃も不十分だった。店自体は続いているようだが、夜にまた来てみたいとは思わなかった。
その数ヶ月後、店の近所のバーに、焼鳥屋の女主人が、店で着ているのと同じ着物を着て年配の客とおぼしき男性と一緒に入って来て、かなり酩酊した状態で、あれやこれやと飲み物を注文しているのを見かけた。「鳥●」は、きっと夜の雰囲気も変わったのだろうと思った。
上手い焼き手が焼いた、香ばしく焼けた焼き鳥がまた食べたい。
最近、焼鳥屋ではなく、少し変わった鰻を出す鰻屋なのだが、焼きの上手い若い料理人を見つけた。同じものを焼いても、彼が焼くと、ひと味違うようだ。今度、彼の焼いた鳥を食べてみよう。密かに期待している。
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