世界最大の石油埋蔵国であるベネズエラが大変なことになっている。
ベネズエラでは、原油価格の低迷とバラマキ財政のツケで、財政赤字が急速に拡大。年間1000%近いインフレが進行し、国民生活は破たん寸前にある。こうした状況を打開するため、8月18日、マドゥ-ロ大統領は、野党多数の議会の立法権を停止し、7月30日に投票が行われた、与党議員だけで構成される改憲議会で大統領独裁色の強い憲法改正を強行しようとしている。
こうした独裁姿勢、人権無視に対して、米国は当初、マドゥーロ大統領の個人資産凍結等の限定的な経済制裁を実施したが、8月25日には、石油取引自体には及ばないものの、政府や国営企業の金融取引の制限を含む経済制裁を発表した。トランプ大統領は、さらに踏み込んで、武力行使の可能性も示唆した。
今回は石油大国であるベネズエラが、どうしてこんな状況に陥ったか。その要因を考えてみたい。
ベネズエラの歴史
ベネズエラは、スペインとの独立戦争を経て、1811年独立した。同国の正式国名は「ベネズエラ・ボリバル共和国」と独立の英雄、ラテンアメリカの指導者であるシモン・ボリバルの名が冠されている。1958年に、民主制を確立。それ以降は、選挙による大統領選出、二大政党による政権交代が行われ、概ね、米国とも協調的な関係を維持してきた。
1960年のOPEC(石油輸出国機構)創設にあたっては、当時のアルフォンソ石油相とサウジアラビアのヤマニ石油相が指導的役割を果たし、サウジ、クウェート、イラン、イラクとともに、ベネズエラが創設メンバーとなった。その後、70年代に2度の石油危機を経て、地域大国として経済的にも発展した。
チャベス前大統領の時代
ところが、1999年に、貧困層の支持をうけて、チャベス前大統領が就任してからは、カリスマ的な国民的人気と豊かな石油収入を背景に、反米色を鮮明にし、社会主義的政策に転換した。端的に言えば、貧困層に対する教育・医療・住宅の無償化など大衆迎合的なバラマキ政策と外国資本の接収を含む経済ナショナリズムを推進したのだ。
2002年のクーデタ騒ぎと国営石油会社(PDVSA)のゼネストを国民的人気で乗り切った後は、一段とチャベス大統領の強権的姿勢が強化された。PDVSAの立て直しとともに、国営石油会社の権益拡大のために、エクソンモービルやシェブロン等の国際石油会社(メジャー)権益の接収を強行するなど、資源ナショナリズムを明確にした。また、2006年9月の国連総会において、当時のブッシュ(子)米大統領の後で登壇したチャベス前大統領は、「悪魔の匂いがする」と壇上で十字を切ったことが記憶に残る。
マドゥーロ大統領の登場
2013年3月のチャベス大統領逝去後、4月の大統領選挙で、マドゥーロ副大統領が僅差で勝利し、チャベス路線を継承した。
マドゥーロ新大統領は、もともとバスの運転手で、チャベス側近として頭角を現し、後継指名を受けていたものの、チャベス元大統領ほどのカリスマはなく、治安や経済状況の悪化で国民の不満も高まっていった。
チャベス元大統領のバラマキ政策は、2000年代の原油価格高騰が支えであった。だが、マドゥーロ大統領が不運であることには、2014年下期から原油価格が暴落、半減した。そのため、経済は急激に悪化し、国際通貨基金(IMF)の2017年見通しによれば、経済成長率は▲7.4%、インフレ率は720%、失業率は25.3%となっている。
また、現在、政府や国営企業の債務返済は、PDVSAの米国でのパートナーであるCITOGO株式を担保としたロシアの貸し付けでデフォルトを回避している状況にある。中国にも、支援を要請しているところである。
2014年時点で、原油生産はOPEC加盟国第6位、世界第10位で、石油輸出は全輸出の約80%、石油収入は国家収入の約40%を占めていた。
なお、ベネズエラの経済悪化の影響が最も深刻なのが、キューバである。ベネズエラからの経済援助が細り、米国との経済関係の改善を余儀なくされた。それが、2015年7月の米国・キューバの国交回復の背景である。
最大埋蔵国としてのベネズエラ
世界最大の石油埋蔵国は、現在、サウジアラビアではない、ベネズエラである。
石油埋蔵量の統計として権威ある『Oil & Gas Journal(OGJ)』は、2010年版以降、ベネズエラのオリノコ河流域一帯の超重質原油である「オリノコタール」約1120億バレルを商業的に生産可能であるとして、石油確認埋蔵量として計上した。その結果、OGJの2016年末時点の確認埋蔵量は、べネズエラ3009億バレル、サウジ2665億バレル、カナダ1607億バレル、イラン1584億バレルの順になっている。
「オリノコタール」は、従来型の原油とは異なる鉱床から回収される「非在来型原油」の一種である。いわば、新型の原油であるが、アスファルトのように、超重質の密度が高く、低品位で生産・出荷には手間のかかる原油である。
石油埋蔵量は、一般に、「ある時点における経済条件と技術条件で商業的に回収(生産)可能と評価される量」と定義される。したがって、原油価格の上昇と技術の進歩によって、拡大するものであり、日本語の「埋蔵」の語感とは、かなり異なる。また、この石油埋蔵量を当該年の石油生産量で除した数字は「可採年数」であるが、地球上に存在する石油の資源量の一つの目安ではあるものの、決して、「枯渇までの年数」ではない。
「資源の呪い」と「石油の呪い」
ベネズエラにおいては、こうした豊富な石油資源を十分に活用できないばかりか、むしろ、豊富な資源が政治経済の足を引っ張ることになったと言える。
経済学に、「資源の呪い」という言葉がある。
資源の豊富な国においては、資源輸出に経済が依存し、製造業が育たない、あるいは、資源価格の変動により、国内経済が安定しないなど、経済成長がかえって阻害される状況を指す。例えば、1970年代終わり、北海で天然ガスが発見され、オランダの国際収支は改善したものの、為替レートが高止まりし、失業率が上昇するなど経済が停滞した「オランダ病」もその一例である。
まさに、ベネズエラやアラビア(ペルシャ)湾岸諸国など、石油モノカルチャー、石油依存の大きな産油国に見られる現象である。
ところが、近年、国際政治学にも、「石油の呪い」という言葉が登場してきた。
統計学的分析の結果、石油依存の大きい産油国ほど、国家による家父長的支配、人権無視といった独裁政治が横行しやすいという状況を意味する。民主主義における「代表なくして課税なし」の逆で、「課税しないから民主主義はない」という状況になりかねないとしている(マイケル・L・ロス『石油の呪い』吉田書店)。
従来から、湾岸産油国では、王家・首長家と国民の間には、「人権・民主主義の制限と引き換えに、高福祉・非課税を保障する」という一種の社会契約があるとする見方もある。チャベス、マドゥーロ両大統領のやって来たことは、貧困層重視とは言え、この傾向が強すぎる。
このように、2014年下期以降の原油価格低迷で、現在、ベネズエラは破たん寸前であるが、1980年代半ばの原油価格低迷では、ソビエト連邦が破たんしている。石炭・天然ガスを含む資源価格暴落の一方で、レーガン大統領(当時)の「スターウォーズ」への対抗・アフガン戦争の泥沼化など軍事支出の増大を招き、連邦は分裂した。これも「石油の呪い」であったのだろう。
無資源国「日本」の優位性
さて、わが国では、太平洋戦争開戦の経緯や1970年代に2度の石油危機の記憶から、資源国をうらやむ傾向が強い。日本にとって、これらの経験は、トラウマなのだろう。エネルギー安全保障においては、すぐに、エネルギー自給率が問題とされる。確かに、原発が止まり、自給率が一桁台半ばの水準であることはいかがなものかと思われる。
しかし、この各国間の相互依存関係が深化している国際社会において、自給率の数字がどれだけ意味があるのか。いざとなれば、石油には官民で200日を超える備蓄がある。仮に、ホルムズ海峡の航行が止まったとしても、困るのは日本だけではない。中国、インド、韓国、台湾など石油消費国が、皆で、我慢するしかない。
問題は、太平洋戦争の時や最近の北朝鮮のように、わが国だけが選択的に供給差別を受けることである。これだけは何としても回避しなければならない。
おそらく、わが国は、無資源国ゆえ、高度経済成長に成功したのであろう。その時々の国際情勢・経済情勢から、最も効率的なエネルギー選択を行ってきたのではないか。
ベネズエラの政治的・経済的混乱を見ると、無資源国ではあるが、モノづくりの国、日本に生まれて本当に良かったと思うのだ。
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