数日前に、なぜだか知らないがアーサー・ラブジョイの本を訳し始めた話は書いた。
で、それとまったく関係なしにやりはじめちゃったのが、このクルーグマンの本だ。
で、訳文がこれ。
クルーグマン『開発、地理、経済理論』(3章はまだ途中全部やっちゃいました)
もちろん著作権というものがあるので、クリックして読んだりしてはいけないよ。
なんでこんなのやってるのか? おもしろいから。これは1990年代の前半、クルーグマンが最もおもしろくて天才的なひらめきを次々に発揮していた時期の話だ。そしてそこのテーマは、開発経済学と経済地理学。まあぼくがやらんでだれがやる、というような本ではある。
とはいえ、こうした分野そのものの中身に切り込んだというよりは、なぜこういう分野が1950年以降イマイチぱっとしなかったのか、という話ではある。そして答は簡単。どっちも収穫逓増がとっても大事だった分野で、その頃の理論家たちはそれをちゃんとモデル化するツールを持っていなかったから、というもの。
もちろん、その経済地理に関する話は、この時期にすでに並行して後の『空間経済学』につながる研究となっていろいろ展開されていたわけだ。
また、話の一部は後の『自己組織化の経済学』にも発展している。こっちの分野は、その後投げ出されたようではあるけれど。
そして、本書でもそのモデルも一応提示されてはいるけれど、まだ未完成となっている。その意味で、ストレートな経済学理論の探究というよりは、余技の手すさびというような位置づけで、過渡期の本ではある。
そして何より、訳したところまではそれぞれの分野のレビューをして、その洞察や意義や問題についていろいろ見ていておもしろいんだけど、最後の第3講になると、経済学におけるモデルの意義という話になって、もちろんモデル盲信はいけないし、モデル化できないからといって無視するのはひどいけど、まあしょうがないんじゃないの、という生ぬるい結論になってしまうので、ちょーっと拍子抜け。
でも、この頃のクルーグマンの常として、いろんな漠然としたアイデアの提示の仕方は非常におもしろい。そしてそのアイデアを思いつきにとどまらずちょっとしたモデルにまとめるやり方も。その思いつきは、開発経済学にも経済地理にも、いまだに少し示唆を持っていると思う。そして結局、開発経済学と経済地理学のどちらも、泥臭いし詰められてはいないけど、その洞察自体は決してまちがっていたわけではないってことで、それを勉強してきたぼくも決して無駄ではなかったということで、めでたしめでたし、ではある。
あと、第2講の最後で、新都市経済学の話が出てくるけど、これを見るとMITで不動産経済学の教授が、がんばってエッジシティやロサンゼルス/フェニックスのような茫漠と広がった都市の存在を示すモデルを説明してくれた理由がわかるなあ。ここで「新都市経済学は、単一中心の都市しかモデルかできない」と言われたのにむかついたんですねー。
残りの第3講も、まあここまでやったらそのうち仕上げるとは思うけど。 ←そんなことを言っている翌日には仕上げました。
ところでこの本には邦訳がすでにあった。
ただし、あんまりうまい翻訳ではなかったうえ、出て間もなく訳者の高中が論文盗用騒ぎで失墜したせいもあってか、目立たずにすぐ消えてしまったような記憶がある。出版社の文真堂は、早稲田の郵便局の裏にあるのを以前ふと見つけて、ちょっと感慨深かったりしたけど、小さかったなー。もう少しこの本の販促かけられなかったのは痛手だったんじゃないか、と他人事ながら心配ではあった。再訳で再刊したければこの訳文提供しまっせ? もう翻訳契約の期限切れてるだろうからあんまり関係ないのか。ついでに、同じクルーグマンの高中訳『国際貿易の理論』も消えたのかな?まああちらは、読む人は原文でも問題なく読むだろうけど……
ちなみに話はまた本書に戻るけれど、ぼくとしては、自分の勉強してきた都市論の一部である都市経済学/地域経済学と、仕事でやっている開発経済学の意外な (ネガティブなとはいえ) 共通性の指摘という意味で非常におもしろかった。たぶんこの両分野は、実はちがう分野ではなく、本当は一つの分野なんじゃないかという気さえしてはいる。それを統合するような話というのはありえるのかなー、とかね。
また一方で、本書で言われている、開発経済学の大論理なんかだれももう提示しないというのは、実務屋としては「そうなの?」という感じ。なんでも自由市場とか、なんでも民営化とか、なんでも制度とか、開発経済学の少なくとも現場は、昔から、なんか乱暴な大理論が降ってくるところではあるのだ。が、まあ理論面での話と援助の現場での流行りというのは、また話が別ではある。
それと、本書の話には、いささか個人的には首を傾げるところがある。第3講の冒頭にこうある。
いいえ、こうした分野が放置されたのは、その土壌が手持ちの道具にはふさわしくないと思われたからでした。経済学者たちは、ビッグプッシュ開発も、経済地理学についておもしろいことは何一つ、ますます期待されるようになっていた厳密性をもってモデル化はできないのに気がつき、そのためあっさりその分野をほったらかしたのでした。
さて、経済学者たちが「モデル化できない」と気がついた、というのは本当だろうか? もしそうであるなら、なぜクルーグマンが1990年代になってこんな講演/本を書かねばならなかったのか? その当時の経済学者たちがなぜ「これはおもしろい問題だけどさあ、収穫一定では扱い切れない話じゃないの? いまはちょっと扱い切れないのでは?」と一言言ってあげなかったの?
やっぱクルーグマンのこの言い方は岡目八目だとは思う。彼なりに、収穫逓増によりなんかおもしろいモデル構築の可能性ができたと思ってふりかえってみて、初めてそれがわかったのではないだろうか。当時の経済学者は、その立派な主流派経済学者たちですら、これが収穫逓増に関係した問題なんだということも理解できていなかったとは思う。まあこれは揚げ足取りではあるけれど。