連載『片山晃 東証相場録』の第3回は、1999年のマザーズ市場の創設から、その直後のITバブル崩壊、さらには2003年の歴史的な底打ちまでを振り返る。ITバブル崩壊以降の日本株は下落率、下落期間の長さ共に悲惨であったが、それだけに反転した際のエネルギーも大きかった。そして、雪解け後の日本市場では、デイトレーダーと呼ばれた開拓者たちの中から、常識外れのリターンをたたき出す若者が誕生することになる。
東証マザーズの誕生直後は
ネットバブルに沸いたが……
東証マザーズは1999年11月に創設された。当初の計画を大きく前倒ししての出発だったといわれている背景には、同年6月に米ナスダックを運営するNASD(全米証券業協会)とソフトバンクとが共同でナスダック・ジャパンを大阪証券取引所に開設すると発表したことがある。
ナスダック・ジャパンの仕掛け人は、もちろん孫正義氏だ。後に経営統合して現在のJPXとなる東証と大証は、2011年までは別々の取引所として競い合う関係にあった。
わが国の「ベンチャー企業活性化の起爆剤」に。その使命を負った新市場で初上場の栄誉を勝ち取ったのは、インターネット総合研究所(IRI)とリキッド・オーディオ・ジャパンの2銘柄である。
彼らが東証の鐘を鳴らしたのはドットコムバブル真っ盛りの年の瀬だ。世間ではミレニアムだとかY2K問題は本当に起きるのかといった話題で持ちきりであった、99年12月22日のことである。
インターネット関連のコンサルティングとシステム開発を手掛けるIRIは、公開価格1170万円に対して初値は5300万円、時価総額にして7000億円という信じ難い株価を付けた。IRIの上場前期の売上高は7.2億円に過ぎないから、実績PSR(株価売上高倍率)は1000倍弱という水準である。狂気と呼ぶ他にないバリュエーションだ。
ドットコムバブルといえば米国のナスダックを連想しがちだが、日本でもインターネットという未知の産業への期待感は途方もないバブルを生み出していた。
インターネットでの音楽配信事業を手掛けるリキッド・オーディオ・ジャパンも、300万円の公開価格に対して610万円の初値が付き、時価総額は793億円と大きな期待を背負っての船出にこぎ着けた。
これほど高い株価が付いた理由には、発行済株式総数の少なさがある。現在では取引所から1単元当たりの取引金額を適切な水準にするよう指針が出ているが、かつての新興企業は極端に株数が少ないことが通例であり、この2銘柄の発行済株式総数は共に1万2000株程度であった。
日本市場における個別企業の株価の最高記録としては、当時ジャスダックに上場していたヤフーが2000年に刻んだ1株1億6790万円というものがある。機敏なオンライントレードもない時代に、一体どんな人々がどのような思いでこの株を売買していたのか。今を生きるわれわれにはその胸中を推し量ることはできない。
話を戻そう。マザーズ上場第1号だった2銘柄は既に市場から退出している。
IRIは、アイ・エックス・アイという東証2部のIT企業を買収したが、この会社が大規模な粉飾決算を行っていたことが発覚して突如破綻。その余波で経営危機に直面したIRIはオリックスによる買収を受け入れることになり、上場企業としての歴史に幕を下ろした。
一方、リキッド・オーディオ・ジャパンの方は最初から存在自体が間違いというような企業だった。
華々しくスタートした東証マザーズだが、直後にITバブルが崩壊。日本株は厳冬の時代を迎える。だが、どんなに厳しく長くても、明けない冬はない。そして雪の下では、常識外れのリターンをたたき出す新しいタイプの投資家が誕生しようとしていた。