個人的メモのために書き起こしました。
岩田聡氏の訃報に驚き業績の周知の一助に。夕刊フジ(84年1月14日)取材のHAL入社一年目の記事。入社時に社長に経営に口を出させる事、仕事を任す事と注文を付け、技術者でありながら営業や管理も行うという、後年の活躍の原点が見えてきます。 pic.twitter.com/e7DIofqNTd
— ぜくう@東A50b(8/14) (@Area51_zek) July 13, 2015
ベンチャービジネスの若者たち <18> 岩崎 寿次
コンピューターのソフトウエアおよびハードウエアの開発メーカー。パソコンやゲームマシンのゲームソフト販売、パソコン用各種装置の輸出などで伸びてきた。設立=昭和55年、本社・東京、資本金・1500万円、年商4億5000万円、従業員15人。*1
HAL ハル 研究所の 岩田 聡さん 24
営業もやれば管理もやる
おまえは何のために大学にはいったんだ、とそれはすごい剣幕だった。考えてみれば父が怒るのもムリはない。東工大を出て学生時代のアルバイト先に就職しようというのだ。チッポケな赤字のソフトウエアハウスに。
岩田聡さん(札幌出身、東京工大工学部情報工学科卒)は、しかし、こんな体験はいましかできないと思った。大企業もいいだろうが自分は会社を動かしたいのだ。
五十七年四月、ハル研究所に入社。
新卒は岩田さんを含めて二人。これで社員数が五人になった。すぐ課長になった。部下は社員一人にアルバイトの学生十人。かれらは主にゲーム用プログラムをつくっている。ところが入社早々に胃かいようで入院。勢いよく飛びこんだ会社だったけれど、先々を考えるとさすがに不安になった。
事情はすぐに変わった。一年後、会社が黒字に転じたのだ。在庫も一掃した。これで十年は持つな、と思った。
入社時に社長に注文をつけた。ひとつ、経営に口を出せること。ふたつ、仕事をまかせてくれること。だからエンジニアではあるけれど、岩田さんは営業もやる、人の管理もやる、賃借対照表も見る。
勤務時間はあってないようなものだ。学生たちが集まるのは夜、あるいは土、日。土曜日はたいてい泊まりになる。これも好きだから苦にはならない。
だが、くやしいのは、まだ日本ではソフトの評価が低いことだ。プログラマーも使い捨ての風潮がある。それをなんとかしたい。ハル研究所なら、そんな仕事もやれると岩田さんは思っている。
(『ベルーフ』編集長)
飲みくちスッキリ ソフト&マイルド。
*1:数値は記事当時の情報です。