映画館に行けなくなった者

PERFECT DAYSの映画館に行けなくなった者のレビュー・感想・評価

PERFECT DAYS(2023年製作の映画)
5.0
2025年最初のレビュー。長文で失礼します。
一度観た後、すぐにまた観ました。
平山の姿を瞼に焼き付けることが、今後の自分の人生を左右する気がして。
私はこの作品を『ベルリン天使の詩』から繋がる作品、と勝手にとらえています。
なんでそう感じたのかというと、銭湯のシーンで、でした。
平山が老人たちに会釈して、「あ、会釈した!」と思ったのです。
『ベルリン天使の詩』では、下界する天使が同僚天使にこう言います。
「近所の人と、わかるかわからないかの会釈をしたい!」
だから、「あ、会釈した!……え、天使?」と急にそんな発想が。
そして『ベルリン天使の詩』は「下界して成功した天使」であり、平山は「下界して成功していない天使」なんだ、と感じました。でも「成功していない=失敗」というわけではなく、それこそが人生そのもの、です。
『ベルリン天使の詩』は『東京画』の後に撮影されています。
『東京画』は小津安二郎、そして笠智衆へのリスペクト、があります。
そしてほかの方も指摘されている通り、「平山」は笠智衆の役名です。
さらに…
・『ベルリン天使の詩』でも本作でも、モノクロとカラーの映像が交差する。
・平山は元々は上流階級の父親(=神)の子(=天使)であったが、反発し、出奔した(天使が下界)
といった共通点もあります。
ところが『ベルリン天使の詩』では、天使は恋人と共に歩む(人と深く接する)のですが、本作の平山は……人と深く接しません。
わざと接しないのではなく、接することが何故かできない、のです。
まるで呪いのように。
高畑勲が描いた『竹取物語』ではかぐや姫は罪のために「人が深く接しようとして苦悩する」様を描いています。
ところが平山はなぜか「人と深く接したくても、接することができない」ような描き方がされています。
つまりそういう意味で、『ベルリン天使の詩』とは共通点が多いのですが、対極にあります。
だからこその、ラストなんだと思います。
そしてあのラストの平山の顔……。
私は、ヴェンダースと同じドイツ出身、かつノーベル文学賞受賞者である、ヘルマン・ヘッセを思いました。
彼の『シッダールタ』のラストと、ある意味で近い。
平山は<「完璧な日々」を暮らしている>が、<「完璧な日々」を暮らしていない>。
それは矛盾している表現だけど、そうとしか言えない。
だから苦悩を知っており、でも平山はそれを超越しかけている。

わたしのとっては、映画では、かつてない、主人公でした。
私は、彼のようになれないけど、すこしは近づきたい。
たぶん平山もそんな気持ちで、ホームレスの男性を見ている。
音楽も素晴らしい。

年初から仕事をするなかで、こんな言葉が偶然、届きました。

「今日に生きよう! 明日はあてにしないこと」
ホラティウス