YAJ

イル・ポスティーノ 4K デジタル・リマスター版のYAJのネタバレレビュー・内容・結末

3.6

このレビューはネタバレを含みます

 旧い作品(1996年)の4Kリマスタと、普段ならあまり食指を動かさないところだが、近所のカフェオーナーKさんお薦めで鑑賞してみた。
 当時は、映画をもうあまり観てなかったスパンに入りつつあったのか、まったくアンテナにひっかかってすらいなかった作品。こんな良作があったのかと、驚いた。

 南イタリアの小さな島を舞台に、純朴な青年が島を訪れた詩人との交流を通して成長していく姿を描いたヒューマンドラマ。予告編のとおりの、ほっこりした交流の様子と、1950年当時を描いた郷愁あふれる時代背景と、島の美しい風景だけで合格点の作品。

 それに加え、登場人物のチリからの亡命詩人パブロ・ネルーダは実在の人物というではないか。実際に作中と同じ頃(1952年頃)、祖国を追われイタリアに身を寄せていたという史実がある。作中、ノーベル文学賞のノミネートだかなんかの手紙がノルウェーから届くが、それはもう少し時代が下ってからのことらしい(1971年)ので、タイトルのIl postino(郵便配達員)との交流を描くために、敢えて挿入した映画的脚色なのだろう。

 そのIl postinoであるマリオを演じたマッシモ・トロイージも、病気を押しての撮影で、クランクアップの12時間後に亡くなったという逸話も鑑賞後知るが、なんとも劇的。話題性というか、売れるべき要素の多い作品だったのに、当時、知ることのなかった己の映画感度の下がりっぷりが思いやられる。

 世界的な詩人、パブロ・ネルーダに世界中から届くファンレター、祖国の政治的同志からの連絡などなどを、せっせと届けるマリオ。女にもてたいという純真な気持ちで詩人に近づき、最初はサインをねだるが、やがて詩作に興味を持つところが、本作の妙味。
 美しい砂浜でネルーダから自作の詩を聞かされ、言葉の海に漂う舟のようと、自身の感想を語るマリオは、語彙こそ乏しいが心の詩人だったのだろう。そんな、マリオと交友を深めていくネルーダの様子もいい。
 詩の技法、メタファ=隠喩をネルーダに教わり、島の食堂の女性ベアトリーチェを口説くクダリは最高におかしい。ベアトリーチェの叔母が姪にへんな虫がついてはと、ネルーダにマリオに詩を教えるなとクレームにくるが、「マリオが、“いんゆ”で姪を口説きにくる」と文句をいう字幕が、あえての平仮名なのが実に巧い! 隠喩がなんたるかもわかっていない識字率の低い島民であることも表しているし、叔母さんの脳内では“いんゆ”の文字は“淫”喩とでも変換されていて、良からぬ手練手管のように思えているのではなかろうか。部屋からライフルを持って飛び出してくるシーンは声を出して笑ったよ。

 詩の、言葉の魅力で、見事ベアトリーチェと結ばれるマリオ。そのあたりで大団円の終幕か、いや、ネルーダの祖国帰還で終わるのかと思ったら、もう少しお話は続き、ちょっぴりビターエンドなところも味わいがあった。

 5年後に島を訪れた詩人に、素敵な贈り物を残しておくマリオ。詩人が、詩作の糧とした自然の音の録音テープ。ちょっと、これは『ニュー・シネマ・パラダイス』のアフルレードが残しておいてくれたキスシーンだけのカットシーンを繋げた映像を彷彿とさせるところ。
 ネルーダ役が、フィリップ・ノワレだけに。
 いや、でも、実は観終わってチラシを改めて見直すまで、アルフレードと同一人物だったとは、いっさい気づかなかった。見事なまでの化けっぷりだなと、そこにも感心した。

 ネルーダが再び島を訪れたときには、マッシモ・トロイージの運命を先取りしかたのように、すでにこの世に居ないマリオだったが、愛しい息子にはパブロと名づけていた。パブリート(ちっちゃなパブロ)と母となったベアトリーチェに呼ばれる幼子の姿に釘付けとなるネルーダ。
 名前という短い「詩」には、いろんな思い、隠喩が込められていると思わせてくれる、すてきなオチだ。
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