【不思議の国】
トルコものに近年、目が行くようになった。去年トルコ・日本合作の『海難1890』という映画があり(観そこなった)、今年はノーベル賞作家オルハン・パムクの小説『雪』を読んであの国の気質を理解しようと試みた(が挫折した)。きっかけは2013年の旅行だろうが、妙に親日の国であり、またR国からの旅行者の数も1,2を争う人気ぶりが気になってはいる。
一方で、昨今の混沌とする欧州情勢では、アジアとヨーロッパの境界、民族の交差点として、中東の難民問題からウクライナ、ロシアとの関係も含め、国際的にも看過できない位置づけとして存在している感がある。
なもんで勝手に自分の中で注目国のひとつなのだが、今一つ、掴み切れない。別にトルコに限ったことではないけど、情報と体感、感覚と知識のギャップが埋まらない感が大きい。R国でよく見たトルコ航空の楽しいTVCF(下記URL)と現実のトルコという国がどうにも結びつかない感じというか。。。。陰と陽ほど対極ではないけど、明快と不可解が同居していて掴みどころのないイメージ…
【Turkish AirのCM】
メッシとコービーの意地の張り合い編
https://www.youtube.com/watch?v=ruav0KvQOOg&feature=youtu.be
最近の6秒マジックで知られるZack King編
https://youtu.be/9NqSg4dSBvI
そんなこんなで、予告編を観てトルコ映画ということで興味を持って鑑賞予定リストには入れておいた作品だった。結果としては、どちらかというと摩訶不思議トルコのほうの作品だったかな。
本作品が長編デビュー作となる女性のデニズ・ガムゼ・エルギュヴェン監督。 宗教的なのか民族的風習か、国民の99%が見合い婚というお国柄での女性の解放がテーマ。自らの手で運命を切り拓く様を5人姉妹を通じて描き出す、非常に瑞々しい作品。
この5人姉妹の人選が素晴らしい。オーディションによる発掘で、しかも4人が演技経験無しというから驚き。トルコ語が分からないから台詞回しの巧拙が判断できないことが幸いしてか、その素人っぽさが古くからの慣習に抑圧されている感じや、あるいは逆に映画の手法に囚われない自然な演技となっているようで新鮮だった。
原題『MUSTANG』、直訳するなら5人娘ということで『じゃじゃ馬』とでもしたいところだけど、そんな軽妙なタイトルでは収まりつかないほど深くて重いテーマを扱った作品だった。
MUSTANG(=野生の馬)は「溌剌として扱いにくい5人姉妹を象徴して」おり、「物語が素早く展開し、駆け抜けるように進むそのエネルギーが、この映画の核心」とデニズ監督は言う。またストーリの端緒となる黒海の海辺での騎”馬”戦シーンを彷彿とさせる(トルコ語では騎馬戦とは言わないかもしれないけど)。
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(ネタバレ含む)
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監督曰く、お国では「女性であることに関するすべてが、絶えず性的なものに落とし込められている」「女性もしくは少女の行動のすべてが、性的な衝動に駆られているかのように解釈される」現状だとか。故に、女性に選択の自由のない見合い婚の旧慣習を通じ、現代のトルコにおける女性の社会的地位に対しての問題提起として作られた作品ということか。
5人姉妹は厳格な祖母や近隣の老婆らに生活を監視され自由を奪われ、風習に則ってそれぞれの見合いの儀式を経て家を出て行くことになる。最後に残った4女の婚礼前に末っ子が反乱を起こし… というお話だ。
お見合いが当然というのは日本でも100年ほど前は普通のことだったし、現代トルコでさえ、この作品ほど厳しく軟禁状態に置かれるケースも稀だとは思うが、地域の慣習と世界人権宣言的な自由のバランスは非常に難しい問題だと思うところ。監督も国を離れ「フランスに頻繁に滞在していることで持った視点が重要な役割を担っている」と言っているが、要は異国での経験を通しての視点だ。
完全に選択の自由を奪われた状態がいいとは言わないけど、その風土で培われてきた風習にも、それなりの道理はあったのではと思ってしまうのは、男の視点なのかなぁ。 上記のオルハン・パムクも普段はパリに暮らし、外からの視点で祖国を描いているようだけど、客観的視点が常に正しいと言えないとは思う。ただ、こうした文化人が国内から作品発表や意思表明がしにくいという現状には問題があるのだろうけど。
作品はトルコの慣習である見合い婚が中心に描かれる。男性側の家族がそろって女性宅を訪問し、女性側はいかに家庭的であるかを示すためにコーヒー、お茶菓子を振る舞い、手縫いの衣類などを見せ家事の腕前を披露する。そうしたお見合いの儀式が長女、次女、三女、四女と順に描かれる。
三女だか四女のお見合いに反対して末娘がコーヒーの中に塩を入れようとするシーンがある。実際にも気に入らない相手には婿となる男性のカップにこっそり塩を入れ、さりげなく「お断わり」の意思表示をすることがあるらしい(笑) 地元の笑い話で、そうして大量の塩を入れられても見初めた相手だからと男が我慢して飲み干して求婚を果たしたという話や、子どもが両親にその時のコーヒーの味を訊いて、父親は「はちみつ入りだった」と答え、母親は「ウソ、塩入れたのに」なんて言う微笑ましい会話が交わされることもあるそうだ。
実際のところは、そうした機転で女性側の意思表明の手段も残されている。作中も、既に相思相愛の相手がいる長女には、その相手に「見合いを申し込ませろ」と祖母が事前に助言するシーンも描かれていた。
そんなこんなで、風習に則り20歳前後で伴侶をみつければ晩婚だ少子化だと心配する必要もなかろうし、ウソかホントかトルコの離婚率は限りなく0%に近いという(その情報は鵜呑みにできないと思うけど)。とにかく、この作品で描かれた最悪の状況がトルコの婚活の、女性の社会的地位の全てだと早合点は禁物か。自分たちはまた別の視点で、異文化にも敬意を払いつつ、こうした慣習の良し悪しも味わいながら学んでいけばよいのかな。
なので、「各国のマスコミが絶賛」とか、「世界中の映画賞を総なめ」ってあるけど、ご当地トルコではどうなの?というのが、公式サイトなどの情報から伝わってこないところが腑に落ちない点。ひょっとしたら、「我が国の内情を歪曲化して伝える悪意に満ちた作品だ」なんて評が大半を占めている、なんてことはなかろうかと心配してしまう。
さて、トルコへの理解は深まったか? うーん、なかなか難しいところ。不可思議な思いは深まったかもしれない(苦笑)。
長距離バスのターミナルや、イスタンブールへ向かうハイウェの様子や、途中のアンカラの景色など、懐かしい風景が見られて良かった。