図説金枝篇を読んでニセ科学について考えた
- 作者: サージェームズジョージフレーザー,メアリーダグラス,サビーヌマコーマック,内田昭一郎
- 出版社/メーカー: 東京書籍
- 発売日: 1994/10/31
- メディア: 単行本
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呪術の理論と、その実施例たる(ヨーロッパを中心とした)実際の慣習、祭りや儀式についてまとめられた本。
この本自体が抜粋であるにもかかわらず圧倒的な物量で攻めてくるよ!
この本は一見、未開人に大して傲慢に見える。
さらっと読み出すと未開人はこんな野蛮な習慣を持っていて、キリスト教Tueeee!みたいな受け取り方になりかねないんですが、時代背景を考えなきゃいけない。
この本は1890年に最初のバージョンが出て、10年後に書き直され、そこからさらに5年掛けて書き直されてそのたびに量が増えているしろもの。それを短くまとめた本が後世に出て、さらに図を追加した本が出て、その翻訳が日本で1994年に出たわけです。でもまあ、1890年の考え方で書かれていると思って良いのです。
ダーウインの「種の起源」が1859年初版ですな。メンデルの法則が1865年。
「アダムとイブを神様が作りました」ってのが揺らぐ要素のとっかかりが見つかってからまだ30年しか経ってないのです。そりゃキリスト教Tueeee!ですわな。時代として。
で、序文の解説や訳者の後書きにも書いてあるんだけど、その時代の人としてはフレーザー卿はすごく客観的だし、時代の潮流として「未開人は馬鹿だから野蛮な風習を持っているんだ」だったのを「未開人は未開人の知識の範囲において最大限合理的に動いている」というのを貫いた人なのね。
殺される神というメインテーマ。
で、現代に生きている自分から見て読むと、キリスト教もフレーザーが未開の風習として説明するとおりの習慣や教義をきっちり持ってるわけ。なんでキリストは死んで復活したかって言うと、ヨーロッパの土着宗教に限らず狩猟採集農耕の習慣のある様々な社会において、「神は定期的に殺されて蘇り、世界や共同体に利益をもたらす」ものだからなの。定番なわけ。定期的にってのは実は1年のサイクルだったり王の代替わりだったりするわけね。
で、なんであっちでもこっちでも神様が殺されちゃあ生き返ってるんだろうか、源流が一つってわけでもないのになんでなんで?ってのがフレーザー卿の大研究なわけですよ。この本を読むとそこがわかってくるわけです。
証拠として挙げられる実例も興味深い。
フレーザー卿は、ほとんど自分で調べに出かけない人だったらしいですな。既存の報告やら本やらから集めてまとめただけなんだそうで。だから地球のうらっかわの日本の記述なんて結構めちゃくちゃなんで割り引いて考えなきゃいけないんだけど、それにしても生き生きとした事例の数々が出てくるので、それだけでも楽しめます。
呪術社会に生きる人は論理的で合理的。でも科学的ではない。
この本の凄いのは、ついでに呪術についてしっかり学べちゃうこと。しかも個々の呪術じゃなくて、根本原理だよ!コレを習得すると「水からの伝言」とかがよく考えられた呪術であるとわかります。3章と4章を読むだけであなたもカリスマ呪術師に!
呪術の基本原理。
60ページより。
- 類似の法則
- 似たものは似たものを生み出す。結果は原因に似る。
- 感染の法則(接触の法則)
- 接触した物は影響を与え合う。また、かつて互いに接触していた物は、その後物理的な接触が無くなったとしても、引き続きある距離を置きながら互いに作用し合う。
二つをまとめて共感呪術と呼びます。
これらを応用して肯定的な結果を生むと予想されるなら魔法が成立。否定的な結果が予想されるならタブーが成立します。
おまじないを作り放題ですね!
例えば呪いの藁人形。
基本法則で水伝を解説してみる。
「ありがとうと書いた紙を水を入れた瓶に貼ると水が腐らない。また、それを凍らせると美しい結晶ができる。」
もう感動するほどベタにはまってます。
- ありがとうという言葉はきれいな言葉である。
- きれいな言葉を書いた紙はきれいな物である。(類似。言葉と文字は一緒。文字を書いた紙も言葉と一緒。呪札の完成。)
- きれいな言葉を書いた紙を貼ると、貼った物に影響が出る。(感染)
- きれいな言葉の影響で水がきれいになる。(類似)
- きれいになった水は、瓶から出したとしても、さらに凍らせたとしても、きれいな言葉の影響が持続する。(感染)
- 凍らせた結晶にはきれいな言葉の影響が出るので、きれいになる。美しい結晶になる。(類似)
よろしいですか、ここまで一貫して法則通りに合理的にやってきてますよね。科学的じゃないけど、呪術としてとても正統なのです。ホメオパシーとかももろにあてはまるよ。
呪術と科学は、何が違うのか?
似た条件を用意すれば似た結果になる。科学における再現性が「同じ条件を用意すれば同じ結果になる」ってのと似てますよね。
また、直接接触した物同士が影響を与え合うことはしばしばありますよね。
呪術ってのは結局、科学が生まれる萌芽なんです。論理が生まれる元なんです。
条件Aを満たすと結果Bが起こる…「どうしておこったの?」をきちんと突き止めれば科学。そこを行わないで「じゃあCならDだな!」とはやとちれば呪術。
離れた物が影響を及ぼした。不思議だ。「なぜ及ぼしたか?そもそも及ぼしたのだろうか?」をきちんと突き止めれば科学。「一度くっついたらずっとつながってるんだよ!理屈は気にすんな!魂とか心とか!」では呪術。
なんで?どうして?と突き詰めてきちんと解明しなければ、それは呪術なんです。無根拠な因果を信じることが呪術への第一歩なのです。
呪術的青少年育成
よくわからないものや恐ろしげな物に接触させて育てれば青少年はよくわからないものや恐ろしげな物になってしまう。だから遠ざけなければならない。じゃあ携帯電話は危険だ!インターネットは危険だ!ゲームも禁止だな!映画なんか見てると馬鹿になる!小説なんて読ませると馬鹿になる!野球なんてやると馬鹿になる!(野球の伝来当初、新聞でそういう投稿記事があったそうな。)新しければ、よくわからなければ、何でも駄目なわけですな。
基本的なタブーの原理を適用するだけで充分です。呪術には正しい因果なんて必要ないのです。
で、最後にここに繋いでみたり。
http://miau.jp/1209319200.phtml
呪術は楽しいけどさ、
政治とか教育とか経済活動とかは、科学的にやろうよ。