証言から浮かび上がる、習近平政権の危うさ
東シナ海での中国軍艦による領海侵犯や、中国軍機が自衛隊機への攻撃動作を仕掛けたことが一部で報じられるなど、中国はここ数か月間、日本に対して極めて威嚇的な行為を繰り返すようになった。また、国内政治の面でも人権派弁護士の大量拘束や、メディア関係者への締め付けに代表される言論統制の強化が進み、中国国内の知識人の間には重苦しい空気が垂れこめている。
こうした習近平政権の締め付けに耐えかね、約2年間におよぶ中国国内での逃亡を経て、2015年2月にタイへ亡命した顔伯鈞という民主活動家がいる。
かつて党内の若手エリートでもあった彼は、今年6月20日に逃亡の経緯を記した手記『「暗黒・中国」からの脱出』(文春新書)を日本で刊行することとなった。中国本土の各省をはじめ、香港やチベット、ミャンマー国境の軍閥支配地まであちこちを逃げ回るストーリーは、まさに驚くべきものだ。
詳しい逃亡の経緯は書籍の内容に譲るとして、本記事では元エリート党員で元官僚でもあった顔伯鈞に、往年の中国国内での民主化運動や中国共産党の内部事情、現在の習近平政権の性質について語ってもらうことにした。
彼の逃亡記の編訳者でもある私(安田峰俊)との対談で浮かび上がるのは、国内外に強面(こわもて)で望む習近平政権と共産党体制の、意外なまでの不安定さと危うさであった――。
北京から逃亡した理由
――まずは改めて自己紹介と、逃亡のきっかけについてご説明をお願いいたします。
顔: 私の名は顔伯鈞。1974年湖南省生まれで、かつては中国共産党員として中央党校(党の最高教育機関)政治経済学専攻の修士課程で学び、その後に地方政府の秘書や、北京工商大学の副教授として働くなかで、民主化陣営に身を投じた人間です。ながらく当局に追われ続け、いまやタイで「不法滞在」の政治亡命者の身です。ずっと党費を払っていませんから、すでに党籍は消えているでしょうね。
逃亡のきっかけは、2012年の春から活発化した「新公民運動」という体制改革運動でした。法学者で人権活動家の許志永氏(現在は懲役4年)の提唱で始まった運動です。中国の社会問題を考えたい市民が、ネットの呼びかけに応じて月に1回の「食事会」を開く活動が主で、一時は中国全土で約10万人が参加する大きなムーブメントになったものです。2013年初頭からは、仲間たちで街頭に出て、党官僚の財産公開を要求する横断幕を掲げる活動もおこないました。
しかし、これに先立つ2012年末ごろから、習近平政権が運動を警戒しはじめました。やがて2013年4月に、親しい活動仲間が次々と拘束される事態が発生。私はこれを見て、北京からの逃亡を選びました。