2022.09.10

最悪の安倍政権を望んだ「民意」とは? 「国葬」の正体を本気で考える《白井聡》

東大でシンポ開催

岸田首相、強行の背景

7月8日に銃撃、殺害された安倍晋三元首相の国葬をめぐって、国論は二分しています。国葬の評判は、はっきり言ってかんばしくない。どの社の世論調査結果も、過半数の国民が国葬実施に反対していることを示しています。

こうなるとマスコミの報道は喧しくなります。いわく、「検討する」を言うばかりで決断力に欠けると見られた岸田文雄首相が珍しく自ら決断を下したことが完全に裏目に出た。あるいは、国葬を強く提案したのは麻生太郎氏であり、安倍元首相の岩盤支持層や安倍派の議員の支持をとりつけるために「やれ」と言った、岸田氏は国葬実施の決定を後悔している、といった具合です。

国葬の評判が悪い理由についても、さまざまに取り沙汰されています。

やはり、安倍氏殺害事件をきっかけに旧統一教会と自民党との癒着問題が表面化し、安倍氏こそその癒着の結節点の中心にいたことが明らかになるにつれ、国葬という異例中の異例の扱いに値する政治家であったのか、疑念が国民のあいだで高まってきたということ、そしてそれにつれて、「暴力には屈せず、民主主義を守るとの意思表示を行なう」といった国葬の意味づけも空虚なものに見えてきたこと、などが挙げられています。

さらに、国葬が弔問外交の場となることも国葬の意義として強調されていましたが、海外の大物政治家の来日は限られたもの成る気配であり、この意義も疑わしいものになりつつあります。

Photo by GettyImagesPhoto by GettyImages

しかし、永田町の住人の右往左往など、本質的にはどうでもよいことです。また、安倍晋三氏の政治家としての実績への評価が厳しいものとならざるを得ないことなど、私から見れば、自明のことです。

私は、「安倍氏の功罪についてはさまざまな評価がある」といったどっちつかずの評価をする気はありません。私は2013年3月刊行の著書『永続敗戦論──戦後日本の核心』の原稿を、2012年末の総選挙・第二次安倍政権の成立を横目に書いていましたが、そのときからすでに、「最低最悪の政権ができて、最低最悪の政治が行なわれるだろう」と確信していました。

そして、内外の現実を眺めるに、残念ながらその予測は的中したと言わなければなりません。安倍政権の功績だと世上評されてきたもののほとんどは、まやかしにすぎませんでした。この点については、私が6月に刊行した『長期腐敗体制』(角川新書)で詳しく分析しましたので、ぜひそちらをご参照ください。

本当の問題は、国葬をめぐる政治家たちのさまざまな思惑や、国葬の是非といった事柄ではありません。それらは問題の入り口にすぎません。なぜ、安倍政権が長く続いてしまったのか、その継続を望んだ民意とは何であったのか。そして、まさにこの民意を見込んで岸田政権は国葬の実施を決めたわけです。

「安倍元首相を称賛し、《民主主義を守り抜く》とか何とかもっともらしいことを言えば、政権支持率は上がるだろう」──国民をバカにしきった本音がそこにはあります。しかしながら、すぐに付け加えなければなりませんが、この間、安倍政権、そしてその後継である岸田政権は、最大多数の票を得てきたのですから、政権のこうした国民観は、的外れなものではなかったはずなのです。