大聖堂とバザール (The Cathedral and the Bazaar) Eric S. Raymond 著
The Cathedral and the Bazaar: Japanese山形浩生 YAMAGATA Hiroo 訳 の「伽藍」をすべて「大聖堂」に置換してみた。(やっちゃいました)
伽藍とバザールの「伽藍」ってなんだろう。 - 未来のいつか/hyoshiokの日記
概要
この論文ではまず、大成功したフリーソフト/オープンソースプロジェクト fetchmail を分析する。このソフトは、Linux の歴史から導かれる、ソフト工学についての意外な理論を試すという意図で実施されたプロジェクトである。本論ではその理論を、二種類の根本的にちがった開発スタイルという形で論じている。一つは FSF やそのまねっ子たちの「大聖堂」モデルで、それに対するのが Linux 界の「バザール」モデルだ。この2つのモデルが、ソフトのデバッグ作業の性質に関する、正反対の前提からそれぞれ生じていることを示す。続いて Linux 体験に基づき、「目玉の数さえ十分あれば、どんなバグも深刻ではない」という仮説を支持する議論を展開し、利己的エージェントによる自己修正システムとの 有益な対比をしてみる。そしてこの洞察がソフトウェアの未来に対して持つ意味について、いくつか考察を行って結論としている。
目次
- 大聖堂方式とバザール方式
- なにはともあれメールは通せ
- ユーザは大事な財産
- はやめのリリース、しょっちゅうリリース
- バラがバラでないのは?
- Popclient から Fetchmail へ
- Fetchmail の成長
- 続・Fetchmail の教訓
- バザール方式の前提条件とは
- フリーソフト/オープンソースの社会的な意義
- マネジメントとマジノ線について
みたいな感じ。すいません、冗談です。
山形さんが言うように、The Cathedral and the Bazaarがこんなに広く読まれるなんてことは、当時誰も想像していなかった。それだけ影響力が大きかったという歴史の一こまである。