ジョン・スコット・ケルティ
サー・ジョン・スコット・ケルティ(Sir John Scott Keltie FRGS RSS[1]、1840年3月29日 - 1927年1月12日)は、おもに王立地理学会における活動で知られる、スコットランドの地理学者。
サー・ジョン・スコット・ケルティ | |
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1885年撮影 | |
生誕 |
1840年3月29日 スコットランド ダンディー |
死没 |
1927年1月12日 (86歳没) イングランド ロンドン |
職業 | 地理学者 |
著名な実績 | 王立地理学会における業務 |
受賞 |
カラム地理学メダル(1914年) ヴィクトリア・メダル (1917年) |
経歴
編集ケルティは、ダンディーに生まれ、パースで学校教育を受けた。大学は、セント・アンドルーズ大学とエディンバラ大学に学んだ。さらに、エディンバラのスコットランド一致長老教会の神学校 (Theological Hall) にも学んだが、聖職には進まなかった[2]。
1871年にロンドンへ移り住んでマクミラン出版社に勤め、1973年に学術誌『ネイチャー』の副編集長となったが、やがてその傍ら、地理学に関する記事を『タイムズ』紙に寄稿するようになった。1880年には、マクミランが出版する『The Statesman's Yearbook』の編集長となった[2]。
1883年、ケルティは王立地理学会に入会し、程なくして学会活動に深く関わるようになった。1884年には地理教育調査員 (Inspector of Geographical Education) に任じられ、イギリスにおける地理教育の状況を検討する作業を行い、影響力が大きかった150ページの報告書をまとめた。1885年には学会司書 (Society's librarian) となり、1892年にヘンリー・ウォルター・ベイツが死去すると、学会書記助手 (Assistant Secretary of the Society) となったが、当時は正式な書記 (Secretary) が貴族から選ばれた形式上の存在であったため、これは事実上の書記=事務局長にあたる職であった。ケルティが最初に取り組んだ仕事のひとつは、『Proceedings of the Royal Geographical Society』を復活させる形で、1893年に『Geographical Journal』を創刊し、より広い読者に訴えかけることであった。1896年には、正式に書記に就任した[2]。
ケルティは、1915年に学会書記を退職し、アーサー・ロバート・ヒンクスが後任となったが、ケルティは、ヒンクスとともに『Geographical Journal』の共同編集者として1917年まで名を連ねた。
受賞
編集ケルティは、その長い経歴の間に、様々な賞を贈られた。1917年には、王立地理学会からヴィクトリア・メダルを贈られた。また、アメリカ地理学協会のカラム地理学メダルや、パリ地理学会、王立スコットランド地理学会からの金メダルも受賞した[2]
大衆文化の中で
編集2016年の映画『ロスト・シティZ 失われた黄金都市』では、クライヴ・フランシスがケルティを演じた。