水科慶子
水科 慶子(みずしな けいこ、伊藤 慶子、いとう けいこ、1944年 - )は、松竹歌劇団(SKD)出身の女優。伊藤正次演劇研究所を運営後、Ito・M・Studioを設立・主宰。(Ito・M・Studio 公式サイト → https://ito-m-studio.com/index.html )
来歴・人物
編集出演
編集映画
編集- 『ママおうちが燃えてるの』川頭義郎監督(1961年松竹映画)[1]
- 『酔っ払い天国』渋谷実監督(1962年松竹映画)[2]
- 『パラキンと九ちゃん 申し訳ない野郎たち』市村泰一監督(1962年松竹映画)[3]
- 『晴子の応援団長』酒井欣也監督(1962年松竹映画)[4]
- 『かあさん長生きしてね』川頭義郎監督(1962年松竹映画)[5]
- 『喜劇 団地親分』市村泰一監督(1962年松竹映画)[6]
- 『下町の太陽』山田洋次監督(1963年松竹映画)[7]
- 『二人だけの砦』渋谷実監督(1963年松竹映画)[8]
- 『100万人の娘たち』五所平之助監督(1963年松竹映画)[9]
- 『鏡の中の裸像』中村登監督(1963年松竹映画)[10]
- 『彼女に向かって突進せよ』市村泰一監督(1963年松竹映画)[11]
- 『馬鹿まるだし』山田洋次監督(1964年松竹映画)
- 『いいかげん馬鹿』山田洋次監督(1964年松竹映画)[12]
- 『乾いた花』篠田正浩監督(1964年松竹映画)[13]
- 『日本脱出』吉田喜重監督(1964年松竹映画)[14]
- 『にっぽんぱらだいす』前田陽一監督(1964年松竹映画)[15]
- 『戦場の野郎ども』堀内真直監督(1964年松竹映画)[16]
- 『喜劇大親分』酒井欣也監督(1965年松竹映画)[17]
- 『裸の青春』水川淳三監督(1965年松竹映画)[18]
- 『ヤサぐれの掟』湯浅波男監督(1965年松竹映画)[19]
- 『なつかしい風来坊』山田洋次監督(1966年松竹映画)[20]
- 『おはなはん』野村芳太郎監督(1966年松竹映画)[21]
- 『喜劇 一発勝負』山田洋次監督(1967年松竹映画)[22]
テレビ
編集脚注
編集- ^ “松竹 ママおうちが燃えてるの”. 松竹株式会社. September 25 2022閲覧。