深川 (江東区)
深川(ふかがわ)は、東京都江東区の町名。現行行政地名は深川一丁目および深川二丁目。以前の亀住町、万年町、冬木町1丁目、和倉町1丁目に当たる。全般的に「深川」と呼ばれる場合は、深川1、2丁目だけでなく、より広い範囲を指し、かつての深川区全域に当たる。
深川 | |
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町丁 | |
北緯35度40分34秒 東経139度47分49秒 / 北緯35.676078度 東経139.797008度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 東京 |
特別区 | 江東区 |
地域 | 深川地域 |
人口情報(2023年(令和5年)1月1日現在[1]) | |
人口 | 4,150 人 |
世帯数 | 2,733 世帯 |
面積([2]) | |
0.214733252 km² | |
人口密度 | 19326.3 人/km² |
郵便番号 | 135-0033[3] |
市外局番 | 03(東京MA)[4] |
ナンバープレート | 江東 |
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地理
編集東京都江東区の西側に位置し、深川地域に属する。北で平野、東で冬木、南で富岡、南西で門前仲町、西で福住と隣接する。江東区深川は、首都高速9号線深川線の北側から運河までの一帯で、北西端には清澄橋、北東端には木更木橋があり、清澄通りを境に西側が1丁目、東側が2丁目になる。当地を含む広域の深川一帯(旧:深川区)は、地名を冠した深川丼(深川めし)が名物としても知られる。
河川
編集- 仙台堀川
- 海辺橋
- 清澄橋
歴史
編集いわゆる「深川」と呼ばれる広域地域(深川区全域)は、慶長の初期 (1596~1614)、江戸がまだ町造りを始めたばかりの頃、摂津国(現:大阪府)から移住してきた深川八郎右衛門が小名木川北岸一帯の開拓を行い、その深川の苗字を村名とし、これがこの地一帯を呼ぶ名称となった[5]。江戸初期には漁師町だったが、明暦の大火 (1657) 以降に開発され、万治2年 (1659) に両国橋が架けられたことで急速に都市化し、永代寺(現:江東区富岡)の門前は料理屋や屋台の並ぶ繁華街になり、やがて岡場所が出来、信仰と行楽の場所として多くの人々が訪れる地域となった[6]。
この広域の深川一帯には、材木商人として財を成した紀伊国屋文左衛門や奈良屋茂左衛門も一時邸を構える(紀伊国屋は現:江東区清澄、奈良屋は現:江東区白河)。1702年(元禄15年)の大石良雄率いる赤穂浪士が吉良義央邸に討ち入った事件では、一行は富岡八幡宮(現:江東区富岡)の前の茶屋で最終的な打ち合わせのための会議を開いたと伝えられる。曲亭馬琴は深川(現:江東区平野)で生まれ、平賀源内(現:江東区清澄)や松尾芭蕉(現:江東区常盤)、伊能忠敬(現・江東区福住)なども住んだ。
1878年、郡区町村編制法施行に伴い、深川一帯にある99町が統合されて、東京15区の一つとして深川区が成立した。ついで1889年市制町村制施行によって横十間川より西側の地域全てが深川区になる(横十間川以東は南葛飾郡大島村に編入された)。これらはいずれも現在の江東区深川よりはるかに広い範囲である。戦後1947年に城東区と合併し、現在の江東区となる。
関東大震災後、何度か区画整理と町名改正が成され、深川区の亀住町、万年町、冬木町1丁目、和倉町1丁目と呼ばれていた地域が江東区深川1丁目と2丁目に改正された(江東区の町名参照)。
永代島
編集現在の江東区富岡付近は永代島と呼ばれた河口の中洲だったが、江戸初期より深川一帯は埋立と開拓が進められた。永代寺、富岡八幡宮もここに創建された。また江戸の芥溜は深川(永代島、のちには越中島)へ運ばれて埋め立てられた。
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地名の由来
編集近世まではただの茅野であったが、徳川家康の入国により天正18年(1590年)から開削が進められていた小名木川の北側を、摂津国出身の深川八郎右衛門ほか6人が開拓し、慶長元年(1596年)に深川村を創建したのが始まりであるという[7]。
世帯数と人口
編集2023年(令和5年)1月1日現在(東京都発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
深川一丁目 | 1,079世帯 | 1,710人 |
深川二丁目 | 1,654世帯 | 2,440人 |
計 | 2,733世帯 | 4,150人 |
人口の変遷
編集国勢調査による人口の推移。
年 | 人口 |
---|---|
1995年(平成7年)[8] | 3,899
|
2000年(平成12年)[9] | 3,591
|
2005年(平成17年)[10] | 3,527
|
2010年(平成22年)[11] | 3,467
|
2015年(平成27年)[12] | 3,952
|
2020年(令和2年)[13] | 4,133
|
世帯数の変遷
編集国勢調査による世帯数の推移。
年 | 世帯数 |
---|---|
1995年(平成7年)[8] | 1,744
|
2000年(平成12年)[9] | 1,705
|
2005年(平成17年)[10] | 1,799
|
2010年(平成22年)[11] | 1,882
|
2015年(平成27年)[12] | 2,344
|
2020年(令和2年)[13] | 2,606
|
学区
編集区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2023年4月時点)[14][15]。
丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
深川一丁目 | 全域 | 江東区立明治小学校 | 江東区立深川第二中学校 |
深川二丁目 | 12~30番 | ||
1〜11番 | 江東区立数矢小学校 |
交通
編集鉄道
編集町域内の地下に都営地下鉄大江戸線が通るが駅は設置されていない。最寄駅は東京メトロ東西線・都営大江戸線の門前仲町駅または東京メトロ半蔵門線・都営大江戸線の清澄白河駅である。
バス
編集道路
編集事業所
編集2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[16]。
丁目 | 事業所数 | 従業員数 |
---|---|---|
深川一丁目 | 107事業所 | 1,473人 |
深川二丁目 | 191事業所 | 2,126人 |
計 | 298事業所 | 3,599人 |
事業者数の変遷
編集経済センサスによる事業所数の推移。
年 | 事業者数 |
---|---|
2016年(平成28年)[17] | 267
|
2021年(令和3年)[16] | 298
|
従業員数の変遷
編集経済センサスによる従業員数の推移。
年 | 従業員数 |
---|---|
2016年(平成28年)[17] | 3,739
|
2021年(令和3年)[16] | 3,599
|
施設
編集深川地域
編集江東区のうち旧深川区については現在も深川地域とされる。ただし、臨海部については、湾岸地域と分類されることが一般的である。深川江戸資料館(白河一丁目)が出来たり、深川めしが東京駅の駅弁のメニューに登場したりで、脚光を浴びるようになった。また、江東区深川の町域外にも深川不動堂(富岡一丁目)など、深川の地名のつく施設が置かれる。
祭礼
編集歴史
編集江戸時代末期に芸者遊びが盛んになった頃この深川の地で「深川芸者」が発足したこの深川芸者は現在オーストラリア人の紗幸さんを中心として日本の伝統の美しさを継承している。
旧町名
編集深川地域内の現行行政地名
編集著名な出身者
編集その他
編集日本郵便
編集脚注
編集- ^ a b “住民基本台帳による東京都の世帯と人口(町丁別・年齢別) 令和5年1月” (CSV). 東京都 (2023年4月6日). 2023年12月17日閲覧。 “(ファイル元のページ)”(CC-BY-4.0)
- ^ “『国勢調査町丁・字等別境界データセット』(CODH作成)”. CODH. 2024年1月6日閲覧。(CC-BY-4.0)
- ^ a b “深川の郵便番号”. 日本郵便. 2023年11月17日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月24日閲覧。
- ^ 江東区の地名由来江東区役所、2017年3月16日
- ^ 深川の軽子江戸食文化紀行、歌舞伎座
- ^ 平凡社『日本地名歴史大系』「東京都:江東区 > 旧深川区地区 > 深川 > 〔小名木川の開削〕」、ジャパンナレッジ版、閲覧日2013-12-11。
- ^ a b “平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年3月28日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年5月30日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年6月27日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2012年1月20日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2017年1月27日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) -男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等”. 総務省統計局 (2022年2月10日). 2022年2月20日閲覧。
- ^ “区立小学校の通学区域”. 江東区 (2023年4月1日). 2024年1月6日閲覧。
- ^ “区立中学校の通学区域”. 江東区 (2023年4月1日). 2024年1月6日閲覧。
- ^ a b c “経済センサス‐活動調査 / 令和3年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 事業所数、従業者数(町丁・大字別結果)”. 総務省統計局 (2023年6月27日). 2023年9月15日閲覧。
- ^ a b “経済センサス‐活動調査 / 平成28年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 都道府県別結果”. 総務省統計局 (2018年6月28日). 2019年10月23日閲覧。
- ^ “郵便番号簿 2022年度版” (PDF). 日本郵便. 2023年10月28日閲覧。