北谷町
北谷町(ちゃたんちょう)は、沖縄県中頭郡に属する町。沖縄本島中部西海岸に位置している[1]。
ちゃたんちょう 北谷町 | |||||
---|---|---|---|---|---|
アメリカンビレッジ(観覧車は現存しない) | |||||
| |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 九州地方 | ||||
都道府県 | 沖縄県 | ||||
郡 | 中頭郡 | ||||
市町村コード | 47326-0 | ||||
法人番号 | 6000020473260 | ||||
面積 |
13.91km2 | ||||
総人口 |
28,616人 [編集] (推計人口、2024年11月1日) | ||||
人口密度 | 2,057人/km2 | ||||
隣接自治体 | 沖縄市、宜野湾市、中頭郡嘉手納町、北中城村 | ||||
町の木 | センダン | ||||
町の花 | フィリソシンカ | ||||
北谷町役場 | |||||
町長 | 渡久地政志 | ||||
所在地 |
〒904-0103 沖縄県中頭郡北谷町桑江一丁目1番1号 北緯26度19分12秒 東経127度45分50秒 / 北緯26.32003度 東経127.76386度座標: 北緯26度19分12秒 東経127度45分50秒 / 北緯26.32003度 東経127.76386度 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |
概要
編集北谷町の町名は「きたたんまきり」に由来し、「きたたん」は古い地名であり、「まきり」は琉球特有の行政区画単位を意味する(間切も参照)[1]。 1577年に尚真王が「きたたんおきて」と称する地方役人に給した辞令書が初出とされる[1]。「北谷」の漢字は1609年の島津侵入(琉球侵攻)以降に日本の幕藩体制に組み込まれる過程で漢字が当てられた[1]。
西海岸に位置する美浜地区には、観光客や駐留米軍関係者に人気のスポットアメリカンビレッジがあり、地域でも比較的大規模なイオン琉球(旧・琉球ジャスコ)イオン北谷店(イオン北谷ショッピングセンター)といった娯楽・店舗施設を擁しており、多くの地元県民や観光客が訪れている。
北谷町内にはキャンプ・フォスター、キャンプ桑江(キャンプ・レスター) 嘉手納飛行場、陸軍貯油施設の4つの米軍関係施設があり、町の総面積の52.3%を占めているため、残りの6.64 km2に約2万8000人の町民が暮らしている。
地理
編集町字一覧
編集村制時の8村を引き継いだ以下の8字を置いていた。
- 伊礼(いれい)
- 桑江(くわえ)
- 砂辺(すなべ)
- 玉代勢(たまよせ)
- 北谷(ちゃたん)
- 伝道(でんどう)
- 浜川(はまがわ)
- 平安山(へんざん)
1951年、字が以下の通り再編された。8字中4字は廃止され、残る4字も分割により区域が減ったものが多い。
- 伊平(いへい):伊礼・平安山の一部より新設。
- 大村(おおむら):玉代勢・伝道の一部より新設。
- 上勢頭(かみせいど):伊礼・平安山の一部より新設。
- 北前(きたまえ):北谷の一部より新設。
- 桑江(くわえ)
- 下勢頭(しもせど):浜川の一部より新設。
- 砂辺(すなべ)
- 玉上(たまがみ):玉代勢の一部より新設。
- 北谷(ちゃたん)
- 浜川(はまがわ)
- 吉原(よしはら):伝道・平安山の一部より新設。
以下はそれ以後に新設された字である。
以下は既存の字の一部から町名として設置された区域である。
- 北前1丁目(年不詳、住居表示未実施)
- 北谷1 - 2丁目(年不詳、住居表示未実施)
- 美浜1 - 3丁目(年不詳、住居表示未実施)
- 桑江1丁目(2022年、住居表示実施)
- 伊平1 - 2丁目(2022年、住居表示実施)
このうち北前1丁目、北谷1・2丁目界隈をハンビーともいう。元々在日米軍海兵隊のハンビー飛行場があったためそう呼ばれる。
このほか、町内は以下の行政区に分かれる。
- 上勢
- 桃原
- 栄口
- 桑江
- 謝苅
- 北玉
- 宇地原
- 北前
- 宮城
- 砂辺
- 美浜
河川
編集- 白比川
隣接する自治体
編集人口
編集北谷町と全国の年齢別人口分布(2005年) | 北谷町の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 北谷町
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
北谷町(に相当する地域)の人口の推移
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||
総務省統計局 国勢調査より |
歴史
編集北谷間切は安仁屋・北谷・桑江・平安山・砂辺・野国・屋良・嘉手納・山内の9つの村から成り立っていた。
- 1671年:安仁屋が宜野湾間切に編入。
玉代勢・伝道・伊礼・浜川・野里を新設。
- 1908年4月1日:島嶼町村制施行に伴い、北谷間切が北谷村となる。役場は砂辺に置かれる。
- 1945年4月:沖縄戦で米軍の上陸地点となり即時に村全域が占領された。
- 1946年10月:桃原地区の一部への住民移動が許可される。
- 1947年1月:謝苅地区への住民移動が許可されたが、県内有数の穀倉地帯であった地勢のいい平坦地は許可地域とならなかった。そのため人々は地勢の険悪な土地を切り開いて住み着き、現在の謝苅の密集地区が形成される。
- 1948年12月4日:嘉手納など村北部が嘉手納村として分村(1976年に嘉手納町となる)[2]。
- 1980年4月1日:町制施行。
- 1981年12月:キャンプ・フォスターのハンビー飛行場がすべて返還される。
- 1988年10月11日:北谷町運動公園が開設される。
- 1997年頃からアメリカンビレッジの造成工事が着工される。
- 2004年頃までにアメリカンビレッジの造成工事がほぼ完成する。
- 2007年頃からデポアイランドの造成工事が着工される。
行政
編集- 町長・渡久地政志
郵便
編集郵便配達は沖縄市にある沖縄郵便局が行う。
- 北谷桑江郵便局
- 北谷宮城郵便局
- 北谷郵便局
- ハンビー郵便局
教育
編集高等学校
編集中学校
編集小学校
編集- 北谷町立北谷小学校(敷地は市町境に面する沖縄市にある)
- 北谷町立北玉小学校
- 北谷町立浜川小学校
- 北谷町立北谷第二小学校
専修学校
編集専門学校
編集アメリカ軍立
編集DoDEA (アメリカ軍立):
- キリン小学校 (キャンプ・フォスター)[3]
- クバサキ高校 (キャンプ・フォスター) (北中城村)[4]
放送
編集- FMニライ(79.2MHz)北谷町・嘉手納町・宜野湾市(放送エリア)
交通
編集バス
編集路線バス
編集以下の路線が町内を通っている。下表の運行会社の「琉」は琉球バス交通の路線、「沖」は沖縄バスの路線。どちらも記載されている路線は両社の共同運行路線を示す。
番号 | 路線名 | 運行会社 | 起点 | 終点 | 市町村 | 北谷町内の主な経由地 |
---|---|---|---|---|---|---|
20 | 名護西線 | 琉球 沖縄 |
那覇BT | 名護BT | 那覇市 - 浦添市 - 宜野湾市 - 北谷町 - 嘉手納町 - 読谷村 - 恩納村 - 名護市 | 国道58号(北谷、桑江、伊平、砂辺) |
120 | 名護西空港線 | 那覇空港 | ||||
28 | 読谷(楚辺)線 | 那覇BT | 読谷BT | 那覇市 - 浦添市 - 宜野湾市 - 北谷町 - 嘉手納町 - 読谷村 | ||
29 | 読谷(喜名)線 | |||||
228 | 読谷おもろまち線 | おもろまち駅 | ||||
43 | 北谷線 | 沖縄 | 那覇BT | 北谷町役場 | 那覇市 - 浦添市 - 宜野湾市 - 北谷町 | 北谷、桑江 |
62 | 中部線 | 琉球 | 読谷BT | 砂辺駐機場 | 読谷村 - 嘉手納町 - 沖縄市 - 北谷町 | 謝苅、アメリカンビレッジ、北谷宮城 |
63 | 謝苅線 | 那覇BT | 具志川BT | 那覇市 - 浦添市 - 宜野湾市 - 北谷町 - 沖縄市 - うるま市 | ハンビータウン、謝苅 | |
263 | 謝苅おもろまち線 | おもろまち駅 | ||||
75 | 石川北谷線 | 東山駐車場 | 北谷町老人福祉センター | うるま市 - 沖縄市 - 北谷町 | 北谷高校 | |
96 | 北谷〜イオンモール線 | 沖縄 | 北谷町役場 | ライカム | 北谷町 - 北中城村 | 桑江、ファイヤーステーション前 |
112 | 国体道路線 | 琉球 | 那覇BT | 具志川BT | 那覇市 - 浦添市 - 宜野湾市 - 北谷町 - 沖縄市 - うるま市 | 北谷、桑江、伊平、上勢頭 |
その他のバス路線
編集那覇空港と町内の観光地・リゾートホテルを結ぶリムジンバスが運行されている。いずれも路線バスと同様の方法で利用可。
フィーダー交通
編集支線公共交通 デマンドバス
編集2021年7月よりデマンドバスとして「C-BUS」[5]を運行している。
2017年6月19日より2021年6月20日までは同名のコミュニティバスとして町域の北半分を運行する北コース、南半分を運行する南コースの2路線を運行していた。
域内公共交通 美浜シャトルカート・美浜シェアカート
編集2021年3月より 美浜(アメリカンビレッジ〜フィッシャリーナ)ボードウォークで海沿いルートを運行
2020年7月より 美浜(アメリカンビレッジ周辺)公道ルートで運行
道路
編集北谷町と米軍基地
編集日本軍の中飛行場があったため米軍の上陸地点となった北谷町は、多くの住民の命が失われた。現在も4つの米軍関係施設があり、米軍基地が町の総面積の52.3%を占めている。
北谷町の米軍基地
編集- 嘉手納飛行場:19,855千平方メートル(北谷町約3,635千平方メートル・18%)
- キャンプ桑江:675千平方メートル(北谷町)
- キャンプ瑞慶覧:5,450千平方メートル(うち北谷町2,571千平方メートル)
- 陸軍貯油施設:1,277千平方メートル(うち北谷町408千平方メートル)
返還された米軍基地
編集- ハンビー飛行場の返還
- キャンプ瑞慶覧の382千平方メートルが返還され、ハンビー・タウンとなる。美浜タウンリゾート・アメリカンビレッジは一大観光地となる。北谷町の試算では、1991年から2002年までの12年間で、経済波及効果は1726億円。固定資産税は357万円は2億8600万円と81倍に。以前の基地雇用では100人たらずが、返還によって2000人の雇用創出となった。
- メイ・モスカラー射撃訓練場の返還
- 土地区画整理事業を進め、商業業務施設を中心とした都市開発がすすめられ、1996年から2002年のわずか7年間で、経済波及効果は402億円に、固定資産税も192万円から1億8500万円と56倍に増えた[6]。
- その他
著名な出身者
編集北谷町を撮影した映像作品
編集脚注
編集- ^ a b c d “北谷町議会の概要(令和6年版)”. 北谷町議会. 2024年9月4日閲覧。
- ^ “嘉手納町の歴史”. 嘉手納町. 2021年2月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年2月10日閲覧。
- ^ “About Our School” (英語). Killin Elementary School. 2024年2月5日閲覧。
- ^ “About Our School” (英語). クバサキ高校. 2024年2月5日閲覧。
- ^ 北谷町公式サイト『北谷町コミュニティバス(C-BUS)デマンド運行』
- ^ “全商連 全国商工新聞”. www.zenshoren.or.jp. 2021年1月4日閲覧。
外部リンク
編集- 公式ウェブサイト
- 北谷町観光協会 | 沖縄の観光情報
- 北谷町に関連する地理データ - オープンストリートマップ
- 地図 - Google マップ