松平直春

日本の江戸時代後期の大名。越後糸魚川藩5代藩主松平直益次男で、糸魚川藩6代藩主(越前松平氏分家8代当主)。従五位下日向守・出雲守

松平 直春(まつだいら なおはる)は、江戸時代後期の大名越後国糸魚川藩の第6代藩主官位従五位下日向守出雲守

 
松平直春
時代 江戸時代後期 - 明治時代
生誕 文化7年9月19日1810年10月17日
死没 明治11年(1878年6月22日
戒名 至誠院
墓所 東京都府中市多磨町多磨霊園
官位 従五位下日向守出雲守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家斉家慶家定
越後糸魚川藩
氏族 清崎松平家
父母 父:松平直益、母:松平直泰娘・幹
兄弟 称念寺某、直春、江田某、益志
佐藤某室、田村某室、曽根某室、
河合方利
正室:佐竹義知の娘・熊姫
側室:田辺氏
直廉、釣、安屋、謐、前田某正室
養子:直静
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生涯

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文化7年(1810年)9月19日、第5代藩主・松平直益の次男として誕生。

文政9年(1826年)9月14日、父の隠居により跡を継ぐ。天保4年(1833年)、日光祭礼奉行に任じられた。安政4年(1857年)5月24日、4男・直廉に家督を譲って隠居したが、安政5年(1858年)に直廉が茂昭と名を改め本家の福井松平家を継いだため、明石松平家から直静を養子に迎えて糸魚川藩を継がせ、自身は幼少の直静に代わって藩政をとった。明治5年(1872年)に東京へ移っている。

明治11年(1878年)に死去した。享年69。

系譜

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父母

正室

側室

  • 田辺氏

子女

養子


脚注

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  1. ^ 最初は糸魚川藩主後に福井藩主松平春嶽の養子。