賀来佐賀太郎
日本の農商務官僚、実業家
賀来 佐賀太郎(かく さがたろう、1874年1月16日[1] - 1949年4月6日[2])は、日本の農商務官僚、実業家。台湾総督府総務長官。
経歴
編集大分県宇佐郡佐田村(現:宇佐市安心院町佐田)で、佐田賀来氏一族の賀来重八郎の長男として生まれ、親戚の賀来熊次郎(本名は惟達、『大神系譜』の著者)の養子となる。第五高等学校を経て、1899年7月、東京帝国大学法科大学法律学科(英法)を卒業。同年8月、農商務省に入り、鉱山局属となる。1900年11月、文官高等試験行政科試験に合格した。東京鉱山監督署で鉱山監督官として勤務。
1903年9月、台湾総督府に転じ、同年10月、民政部通信局庶務課長に就任。以後、兼通信局海事課長、兼通信局電務課長、兼通信局郵務課長、民政部土木局庶務課長、兼土木局土木課長、専売局長などを歴任。1921年7月、総務長官に就任し、1924年9月まで在任。同年11月、ジュネーブ国際阿片会議に政府代表の一人として参加した。
退官後、熱帯産業株式会社社長、南洋企業株式会社社長などを務めた。
栄典
編集著作
編集- 意見書「支那ノ阿片制度ニ対スル意見」大正5年(「台湾総督府専売局長賀来佐賀太郎提出支那ノ阿片制度ニ対スル意見書ノ件」。アジア歴史資料センター レファレンスコード:A04018110400)
- 「日本帝国の阿片政策」(岡田芳政ほか編『続・現代史資料12 阿片問題』みすず書房、1986年、32 - 50頁)。
脚注
編集参考文献
編集- 内閣「台湾総督府総務長官正四位勲二等賀来佐賀太郎勲章加授ノ件」大正13年。アジア歴史資料センター レファレンスコード:A10112988800
- 『大正人名辞典3 上巻』日本図書センター、1994年(『明治大正史 第13巻』(明治大正史刊行会昭和5年刊)の複製)。
- 『昭和人名辞典 第1巻 東京篇』日本図書センター、1987年(『大衆人事録 第14版』(谷元二編 帝国秘密探偵社昭和17年刊)の改題複製)。
- 『昭和物故人名録 昭和元年-54年』日外アソシエーツ、1983年。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
- 岡本真希子『植民地官僚の政治史 - 朝鮮・台湾総督府と帝国日本』三元社、2008年。
関連項目
編集
公職 | ||
---|---|---|
先代 山脇春樹 |
台湾総督府専売局長 1914 - 1921 |
次代 池田幸甚 |
先代 下村宏 |
台湾総督府総務長官 第8代:1921 - 1924 |
次代 後藤文夫 |
先代 末松偕一郎 |
台湾総督府内務局長 心得 1922 - 1922 |
次代 相賀照郷 |