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インテレビジョン

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インテレビジョン
メーカー バンダイ / マテル
種別 据置型ゲーム機
世代 第3世代
発売日 アメリカ合衆国の旗 1980年[1]
日本の旗 1982年
CPU General Instrument(現:モトローラCHS事業部)製CP1610
対応メディア ロムカセット
コントローラ入力 ケーブル
売上台数 約300万台
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インテレビジョン とは、アメリカの玩具メーカーであるマテルが1980年に発売した家庭用ゲーム機。日本では、1982年7月にバンダイから発売された[2]。英語での表記は「Intellivision」で発音は「インテリビジョン」[2]。「intelligent television」からの造語である。

家庭用ゲーム機としては初めて16ビットCPU(CP1610[3] 0.9MHz)を採用し、グラフィック能力は解像度160×96ドット、16色表示、スプライト8枚と、当時ヒットしていたAtari2600よりも一歩抜きん出た表現力を誇り、アメリカではそこそこの人気を得ることができた。販売台数は20万台を記録[4]

しかし、1982年に発売した日本では、49,800円という高めの価格から位置づけを高級機としてデパートを中心に発売したものの、販売台数は3万台弱にとどまった。これを反省材料にバンダイは翌1983年香港のメーカーが開発したというアルカディアを19.800円とより廉価な価格設定でリリース[5]。インテレビジョンはアルカディアにその座を取って変わられることになり、日本ではわずか一年で市場から消えた。日本でのテレビCMは漫才コンビツービートが出演していた。

北米市場ではスポーツキャスターのジョージ・プリンプトンを起用したアタリVCSとの比較CMキャンペーンやケーブルTV回線を利用したダウンロードサービスなど家庭用ゲーム業界初の試みもあり、Video Game Crash(アタリショック)の煽りを受けて1984年にマテル社はエレクトロニクス部門を売却し家庭用ゲーム市場から撤退するものの、インテリビジョンの権利はエレクトロニクス部門のスタッフが中心となって新たに設立されたIntellivision Inc.(後にINTV Corp.に改名)に引き継がれ、当初は売れ残った在庫を処分していたが、後にメールオーダーという形で新モデルの本体や新作ソフトも販売されるなど、結果としてINTV Corp.は1991年まで業務を継続し、最終的にインテリビジョン本体の総出荷台数は300万台に達した。

コントローラ

インテレビジョンのコントローラは当時の他のゲーム機と同じく、持ったときに縦長になる。コントローラの下にある円盤(これがファミコン以降のゲーム機の十字キーに相当する)を親指で操作し、もう片方の手でコントローラの上半分を下からホールドする形になる。

コントローラの上半分には電話機のような上から1・2・3、4・5・6、7・8・9、*・0・#の12ボタン、さらに側面両側にボタンが2つずつの16ボタン(右上ボタンと左上ボタン、右下ボタンと左下ボタンは同機能のため、機能としては14種類)を装備している。このようにボタンが多くなると操作がわかりづらくなることを懸念してか、ゲームカートリッジにはコントローラにかぶせる操作ガイドシートが付属している[2](上写真左側コントローラには、『Astro Smash』用の操作ガイドが装着されている)。

コントローラはこれまた電話機のようなカールコードで本体とつながっており、使わないときは本体のコントローラ用スペースにぴったり納まるようになっている。

ゲームソフト

インテレビジョンゲームソフトの一覧(英語)参照。

インテレビジョンのゲームソフトを集めたアンソロジー形式のソフト、「Intellivision Lives!」がXboxニンテンドーゲームキューブPlayStation 2でリリースされている(日本未発売)。

2010年3月から、Xbox 360Game Room内で、「Space Armada」や「Nightstalker」など数タイトルのダウンロード配信が開始された。

脚注

  1. ^ 正確には、1979年カリフォルニア州フレズノで試験販売が行われている。
  2. ^ a b c テレビゲームファーストジェネレーション 第2回:TVゲームグラフティー[〜1984年日本編] ファミ通.com 2012年12月14日
  3. ^ CP1610 - Intellivision Wiki
  4. ^ 杉本研一『任天堂のファミコン戦略 1千万家庭の情報ネットワーク』ぱる出版、1986年、p.95
  5. ^ 赤木哲平『セガvs.任天堂 マルチメディア・ウォーズのゆくえ』日本能率協会マネジメントセンター、1992年、pp.92-93