古城茂幸
読売ジャイアンツ #51 | |
---|---|
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 千葉県柏市 |
生年月日 | 1976年1月12日(48歳) |
身長 体重 |
174 cm 77 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 内野手 |
プロ入り | 1997年 ドラフト5位 |
初出場 | 1999年4月7日 |
年俸 | 3,700万円(2012年) |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
| |
この表について
|
古城 茂幸(ふるき しげゆき、1976年1月12日 - )は、読売ジャイアンツに所属するプロ野球選手(内野手)。千葉県柏市出身。
経歴
プロ入り前
中央学院高等学校時代は野球部に所属。3年生のとき、夏の県大会に出場したが、準決勝で成田高校に2-3で惜敗。国士舘大学時代は東都大学野球連盟2部リーグにおいて、3度の打率3割をマーク。50m5秒91の俊足を生かし[1]通算35盗塁を記録した[2]。
1997年、ドラフト会議で、日本ハムファイターズから5位指名を受けて入団。
日本ハム時代
プロ入り後は約1年間二軍生活だったが猿渡寛茂2軍コーチ(当時)とひたむきな練習に取り組み[1]、1999年4月7日の西武ライオンズ2回戦(東京ドーム)で一軍公式戦初出場を果たす。同年4月29日の福岡ダイエーホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)戦(東京ドーム)で初安打を記録した。
打撃の成績は高い方ではないが守備は安定しており(『掃除機』の異名をとった)、以降はしばしば守備固めで起用される。2003年には遊撃手としてゲーム補殺11というパシフィック・リーグタイ記録を作っている。また、2004年のアテネオリンピック期間中には、日本代表選手として派遣された金子誠の穴を埋める活躍を見せた。しかし打撃で伸び悩み、2005年シーズン以降、古城と同様に守備を売りとするタイプの飯山裕志の活躍で出場機会が激減し、シーズンの大半を二軍で過ごした。
2006年のシーズン開幕直前に巨人の岡島秀樹との交換トレードで實松一成と共に読売ジャイアンツに移籍[3]。
巨人時代
6月15日の対オリックス・バファローズ戦では、移籍後初スタメンでタイムリーヒットを放つなど、チームの連敗[4]阻止に貢献し、その後も三遊間のキーマンとして活躍した。
2006年シーズンの代打成功率・得点圏打率は4割を超え、日本ハム時代には見られなかった打撃面の成長が窺える。
2007年のオープン戦では三塁手・遊撃手としての守備固めや代走の他に、一塁手としてスタメン出場までした。守備に不安のある選手が多いジャイアンツの中で期待される存在となっており、日本ハム時代より出場機会が遥かに増え、内野4ポジションを全て守り、年間無失策の好成績を残した。打率は振るわなかったが、得点圏打率は3割を超えており勝負強さは健在だった。
2008年は前年同様内野4ポジション全てを守った。内野のユーティリティプレイヤーとして1軍に定着し、出場機会はプロ入り後最多。得点圏打率は2割前半となり、数字の上では前年までの勝負強いバッティングは影を潜める結果となった。ただし、下記エピソードにある通り要所では効果的なバッティングを見せている。
2009年は前半戦は主に前年のレギュラーの木村拓也や寺内崇幸、脇谷亮太が起用されていたため出番が少なかったが、中盤に木村と寺内が不振に陥り、脇谷が怪我で離脱すると8番セカンドに定着、一時は得点圏打率が4割を超えるなど[5]勝負強い打撃でチームに貢献。結果的に前年より出場機会は減ったものの打席数は大幅に増え、打率.251 2本塁打 18打点の成績を残し、クライマックスシリーズ、日本シリーズでも好成績を残した。
2010年は、脇谷の台頭もあり、前年より少ない67試合の出場に留まる。ポストシーズンのCSファイナルステージでは直前に腰を負傷した坂本勇人に代わって遊撃手でスタメン出場した。
2011年は寺内に内野の守備要員のポジションを奪われ、開幕一軍を逃す。8月3日の対阪神戦で、同点で迎えた最終回、阪神タイガースの藤川球児から自身初(対藤川に限れば巨人選手では初)となるサヨナラホームランを放った。この際、お立ち台で「茂ちゃんフィーバー」と騒いだ。
プレースタイル
捕ってから投げるまでが早く、高い守備力を誇る内野手。内野ならどこでも守ることができる。バッティングも巧く、意外性がある。走塁でのミスが目立つものの、打撃でそのミスを挽回することが多い。
人物
日本ハムで7年間、そして巨人でもチームメイトの小笠原道大のあだ名をとって原監督からは小ガッツとも言われている[6]。
北海道日本ハムファイターズは2009年から背番号に0および00を使用しない予定であり、2011年現在は球団史上0を付けた最後の選手となっている。
大の巨人ファンだった父親は長男に長島茂雄から「茂」の字を貰い茂幸と名づけた。子供の頃からキャッチボールやバッティングを教えたが、本格的に野球をするのは高校に入ってからと言いつけていた。茂幸は小学校で体操や陸上に熱中し運動神経のよさを発揮していたが、一時こっそり少年野球チームの練習に加わったりしていた。中学では体操部に入ろうとしたが、進学した年に体操部が廃部し、代わりに野球部に入部した[1]。また、巨人へのトレード移籍が決まった際に父親は大興奮で喜んだという[1]。
「飛ばせ古城・・・」の歌詞で始まる日本ハム時代の応援歌の原曲は、任天堂スーパーファミコンのソフト『MOTHER2』に使われた「Smiles and Tears」であった。ジャイアンツ移籍2年目の2007年度は「シャープに振り抜け古城・・・」の歌詞で始まる新しい応援歌が用いられている。
2007年10月20日の CS2ndステージ、中日ドラゴンズとの第3戦の9回裏、大道が無死の場面でヒットを打ち、古城が大道の代走として出場した。次の打者デーモン・ホリンズの打球は元・チームメイトであるレフト上田佳範への浅いフライとなったが、その際に一塁を大きく飛び出してしまいダブルプレーとなり、反撃のチャンスをつぶしてしまった。その後、そのままゲームセットとなり、巨人は中日に敗れ、CS敗退となってしまった[7]。
2008年6月17日の対オリックス戦(福島県営あづま球場)でプロ入り初のサヨナラ打(犠牲フライ)をたたき出した直後のお立ち台で「福島のみなさん、やりましたぁー!」と絶叫し、ファンの喝采を浴び、その後同年7月3日のヤクルト戦で日ハム時代の同僚だった押本健彦から逆転2ランを放った際のお立ち台でも「東京ドームのライトスタンドのみなさん、やりましたぁー!」と雄たけびを挙げ、またもファンの喝采を浴びた。これはよみうりランドで練習していた時にお立ち台に立ったら叫ぶとファンと約束したセリフだった[1]。しかし、このことについて夫人から「あなた、はしゃぎすぎですよ」と窘められたとのこと。
その為か、8月25日の対中日戦でサヨナラ2点タイムリーを打った際のヒーローインタビューでは「やりましたぁー!」は出なかったが、これについて質問されると「興奮して忘れてました」と答えた。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1999 | 日本ハム | 10 | 10 | 10 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | .100 | .100 | .100 | .200 |
2000 | 38 | 28 | 23 | 4 | 7 | 0 | 1 | 0 | 9 | 2 | 4 | 2 | 1 | 0 | 4 | 0 | 0 | 7 | 1 | .304 | .407 | .391 | .798 | |
2001 | 45 | 48 | 43 | 6 | 7 | 1 | 1 | 0 | 10 | 2 | 2 | 2 | 1 | 0 | 3 | 0 | 1 | 9 | 0 | .163 | .234 | .233 | .467 | |
2002 | 62 | 62 | 57 | 10 | 8 | 1 | 0 | 0 | 9 | 0 | 3 | 2 | 4 | 0 | 1 | 0 | 0 | 15 | 0 | .140 | .155 | .158 | .313 | |
2003 | 36 | 89 | 78 | 14 | 21 | 5 | 0 | 0 | 26 | 3 | 1 | 1 | 5 | 0 | 6 | 0 | 0 | 18 | 1 | .269 | .321 | .333 | .654 | |
2004 | 59 | 117 | 103 | 13 | 21 | 3 | 1 | 1 | 29 | 7 | 4 | 1 | 1 | 0 | 10 | 0 | 3 | 19 | 0 | .204 | .293 | .282 | .575 | |
2005 | 27 | 61 | 54 | 2 | 9 | 0 | 0 | 0 | 9 | 4 | 0 | 1 | 2 | 1 | 4 | 0 | 0 | 11 | 1 | .167 | .220 | .167 | .387 | |
2006 | 巨人 | 50 | 58 | 52 | 4 | 18 | 3 | 0 | 0 | 21 | 4 | 4 | 0 | 1 | 0 | 4 | 1 | 1 | 9 | 1 | .346 | .404 | .404 | .808 |
2007 | 71 | 80 | 68 | 13 | 13 | 3 | 0 | 0 | 16 | 5 | 5 | 4 | 5 | 0 | 7 | 0 | 0 | 13 | 1 | .191 | .267 | .235 | .502 | |
2008 | 83 | 182 | 159 | 16 | 34 | 8 | 0 | 3 | 51 | 16 | 6 | 5 | 8 | 2 | 8 | 1 | 5 | 32 | 3 | .214 | .270 | .321 | .591 | |
2009 | 77 | 204 | 179 | 14 | 45 | 5 | 1 | 2 | 58 | 18 | 3 | 3 | 3 | 2 | 10 | 2 | 10 | 39 | 2 | .251 | .323 | .324 | .647 | |
2010 | 67 | 96 | 82 | 10 | 20 | 1 | 0 | 2 | 27 | 7 | 2 | 1 | 1 | 0 | 10 | 1 | 3 | 17 | 3 | .244 | .347 | .329 | .676 | |
2011 | 74 | 157 | 134 | 12 | 33 | 3 | 1 | 1 | 41 | 12 | 1 | 0 | 5 | 1 | 11 | 3 | 6 | 29 | 1 | .246 | .329 | .306 | .635 | |
通算:13年 | 699 | 1192 | 1042 | 120 | 237 | 33 | 5 | 9 | 307 | 80 | 35 | 22 | 37 | 6 | 78 | 8 | 29 | 220 | 14 | .227 | .298 | .295 | .593 |
- 2011年度シーズン終了時
記録
- 初出場:1999年4月7日、対西武ライオンズ2回戦(東京ドーム)、9回裏にナイジェル・ウィルソンの代走として出場
- 初先発出場:1999年4月29日、対福岡ダイエーホークス6回戦(東京ドーム)、7番・三塁手として先発出場
- 初安打:同上、2回裏に西村龍次から投手前内野安打
- 初盗塁:2000年6月11日、対オリックス・ブルーウェーブ13回戦(グリーンスタジアム神戸)、2回表に二盗(投手:川越英隆、捕手:三輪隆)
- 初打点:2000年7月8日、対千葉ロッテマリーンズ15回戦(千葉マリンスタジアム)、9回表に川俣ヒロアキから中前適時打
- 初本塁打:2004年7月19日、対西武ライオンズ17回戦(札幌ドーム)、3回裏に松坂大輔から右越ソロ
背番号
- 0 (1998年 - 2005年)
- 51 (2006年 - )
登場曲
脚注
- ^ a b c d e 雑誌『週刊ベースボール』2008年8月18日号 「白球入魂 やりました! 古城茂幸」43-47ページ
- ^ [1](「スポニチアネックス」)
- ^ 日本ハム実松、古城と巨人岡島がトレード(ニッカンスポーツ・コム 2006年3月24日16時19分)
- ^ 当時、ジャイアンツは8連敗を喫していた。
- ^ 最終的には.302である。
- ^ 2010年3月20日放送『ズームイン!!サタデー』(プロ野球熱ケツ情報)より。
- ^ 前日までに巨人は中日に2敗と後がなくなり(2007年のCSは3勝で勝ち抜け)、この日も4対2と劣勢であった。