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土岐頼寧

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土岐頼寧
時代 江戸時代後期
生誕 文政9年5月15日1826年6月20日
死没 弘化4年8月10日1847年9月19日
墓所 東京都品川区北品川東海寺春雨庵
官位 従五位下伊予守
幕府 江戸幕府 奏者番
主君 徳川家慶
上野沼田藩
氏族 土岐氏
父母 土岐頼潤土岐頼功
兄弟 頼寧土岐頼功正室ら
堀親寚養女
頼之
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土岐 頼寧(とき よりやす)は、江戸時代後期の大名上野国沼田藩10代藩主。官位従五位下伊予守。沼田藩土岐家13代。

略歴

文政9年(1826年)5月15日、8代藩主土岐頼潤の五男として江戸にて誕生。

誕生後間もなく父が没したため、家督は堀家から養子となった頼功が継いだ。天保2年7月20日、頼功の養子となる。天保10年(1839年)7月28日、12代将軍徳川家慶に拝謁する。天保11年6月7日、頼功の隠居により家督を継いだ。天保12年12月16日、従五位下・伊予守に叙任する。

弘化4年(1847年)5月26日、奏者番に就任する。同年8月10日、22歳で死去し、跡を養嗣子の頼之が継いだ。墓所は萬松山東海寺の春雨庵。

系譜