平和橋 (広島市)
平和橋 | |
---|---|
欄干 | |
基本情報 | |
所在地 | 広島県広島市 |
交差物件 | 太田川水系猿猴川 |
座標 |
左岸:南区大州、右岸:南区段原 北緯34度23分19秒 東経132度28分54秒 / 北緯34.38861度 東経132.48167度 |
構造諸元 | |
形式 | 3径間連続PC中空床版橋 |
材料 | 上部:PC橋;下部:RC構造;基礎工:鋼管杭 |
全長 | 240m |
幅 | 20m |
関連項目 | |
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式 |
平和橋(へいわばし)は、広島県広島市の猿猴川に架かる道路橋。
なお本項では1980年代まで当地にあった国鉄宇品線の鉄道橋「大洲口鉄橋」についても述べる。
概要
鉄橋から人道橋(歩道橋)を経て、現在の車道と歩道からなる道路橋になった経緯を持つ。
「ひろしま2045 平和と創造のまち」事業により作られた構造物のひとつであり、岸和郎デザインによる。橋中間部の張り出したテラスやウッドデッキ風の歩道が特徴的。
広島市道段原蟹屋線筋の橋であり、北詰(左岸詰)にはマツダスタジアムがあるため、プロ野球開催時には混雑する。スタジアムと市中心部を結ぶシャトルバスもこの橋を通る。上流に広島市道比治山蟹屋線筋の大正橋、下流側に東大橋が架かる。左岸詰には広島県道164号広島海田線(大洲通り)が、右岸側には比治山が広がる。
諸元
- 路線名:広島市道段原蟹屋線
- 橋長:240m
- 幅員:20m
- 上部工:3径間連続PC中空床版橋
- 下部工:RC逆T式橋台2基、RC壁式橋脚2基
- 基礎工:杭基礎
歴史
1894年(明治27年)、広島駅から宇品港(現広島港)に向けて、陸軍省の委託により山陽鉄道が軍用線を建設することになり、猿猴川に上下線2本からなる鉄橋・大洲口鉄橋が同年8月に架橋された。その後、大正に入り上流に大正橋が、昭和初期に入り東大橋が架かる。
1945年(昭和20年)8月6日、原爆被災。爆心地から約2.52kmに位置したが被害はなく、避難者が比治山方向からこの鉄橋を渡って大洲地区へと逃げていった。翌7日には宇品線の初列車第437列車が通過している。
戦後、輸送量低下から上流側の軌道は撤去され単線となり、1948年(昭和23年)残った橋脚を利用して歩行者専用の人道橋「平和橋」が架けられた。
1986年(昭和61年)に宇品線は廃止し、それに伴い軌道は撤去されたが、人道橋はそのまま地元住民の生活道路として使用された。
1995年(平成7年)被爆50年目の節目に市が推進した、優れたデザインのインフラを整備する「ひろしま2045 平和と創造のまち」事業において、平和橋を人道橋から岸和郎がデザインする道路橋に架け替えることが決定した。人道橋に併設する形で2002年(平成14年)6月17日に現在の橋が開通した。その後、人道橋は撤去された。
関連項目
外部リンク
- 初めは鉄橋だった平和橋 - 広島市
- ひろしま2045 平和と創造のまち 対象事業一覧 - 広島市
- 広島原爆戦災誌 第二巻第二編 (PDF) - 広島市