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'''松本 七郎'''(まつもと しちろう、[[1911年]][[11月15日]] ‐ [[1990年]][[5月15日]])は、 |
'''松本 七郎'''(まつもと しちろう、[[1911年]][[11月15日]] ‐ [[1990年]][[5月15日]])は、[[日本]]の[[政治家]]。元[[衆議院議員]](11期)。 |
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福岡県[[北九州市]]出身<ref name = "kotobank">[http://kotobank.jp/word/%E6%9D%BE%E6%9C%AC+%E4%B8%83%E9%83%8E-1677975 松本 七郎とは]コトバンク。2016年9月19日閲覧。</ref>。実業家・[[松本健次郎]]の七男。[[1937年]]、[[慶應義塾大学]]法学部[[政治学|政治科]]を卒業<ref>慶応義塾編『慶応義塾総覧 昭和15年』慶応義塾、1940年、275-276頁。</ref>。同大法学部助手、高等部講師、[[時事新報]]記者、[[黒崎播磨|黒崎窯業]]社員を経て[[1946年]]、戦後初の総選挙で福岡2区から初当選した<ref name="kotobank"/>。<!--[[黒崎播磨|黒崎窯業]][[取締役]]などを務める。--><!--出典を確認できません-->[[日本社会党]]では教宣局長、国際局長などに就いた。 |
福岡県[[北九州市]]出身<ref name = "kotobank">[http://kotobank.jp/word/%E6%9D%BE%E6%9C%AC+%E4%B8%83%E9%83%8E-1677975 松本 七郎とは]コトバンク。2016年9月19日閲覧。</ref>。実業家・[[松本健次郎]]の七男。[[1937年]]、[[慶應義塾大学]]法学部[[政治学|政治科]]を卒業<ref>慶応義塾編『慶応義塾総覧 昭和15年』慶応義塾、1940年、275-276頁。</ref>。同大法学部助手、高等部講師、[[時事新報]]記者、[[黒崎播磨|黒崎窯業]]社員を経て[[1946年]]、戦後初の総選挙で[[福岡県第2区 (中選挙区)|福岡2区]]から初当選した<ref name="kotobank"/>。<!--[[黒崎播磨|黒崎窯業]][[取締役]]などを務める。--><!--出典を確認できません-->[[日本社会党]]では教宣局長、国際局長などに就いた。 |
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[[1949年]]、妻であった松尾千代子と離婚。松尾は[[文化放送]]で[[プロデューサー]]を務めながら引き取った子供を育てた<ref>訃報欄 松尾千代子さん(元プロデューサー)『朝日新聞』1970年(昭和45年)1月19日朝刊 12版 15面</ref>。 |
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[[日本社会党]]に属し、1960年の安保国会では[[飛鳥田一雄]]・[[石橋政嗣]]・[[岡田春夫]]・[[戸叶里子]]らとともに「安保7人衆」の一人として政府追及の先頭に立った。 |
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== 年譜 == |
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*[[1969年]](昭和44年)-[[第32回衆議院議員総選挙]]当選(10期目) |
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* 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』[[日外アソシエーツ]]、2003年。 |
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2024年6月30日 (日) 02:29時点における最新版
松本 七郎 まつもと しちろう | |
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生年月日 | 1911年11月15日 |
出生地 | 福岡県 |
没年月日 | 1990年5月15日(78歳没) |
出身校 | 慶応義塾大学法学部 |
前職 | 慶応義塾大学講師 |
所属政党 | 日本社会党 |
称号 | 勲一等瑞宝章 |
親族 | 父・松本健次郎(貴族院勅選議員) |
選挙区 | 福岡2区 |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 1946年 - 1953年 |
選挙区 | 福岡2区 |
当選回数 | 6回 |
在任期間 | 1955年 - 1972年 |
選挙区 | 福岡2区 |
在任期間 | 1976年 - 1979年 |
松本 七郎(まつもと しちろう、1911年11月15日 ‐ 1990年5月15日)は、日本の政治家。元衆議院議員(11期)。
経歴
[編集]福岡県北九州市出身[1]。実業家・松本健次郎の七男。1937年、慶應義塾大学法学部政治科を卒業[2]。同大法学部助手、高等部講師、時事新報記者、黒崎窯業社員を経て1946年、戦後初の総選挙で福岡2区から初当選した[1]。日本社会党では教宣局長、国際局長などに就いた。
1949年、妻であった松尾千代子と離婚。松尾は文化放送でプロデューサーを務めながら引き取った子供を育てた[3]。
日本社会党に属し、1960年の安保国会では飛鳥田一雄・石橋政嗣・岡田春夫・戸叶里子らとともに「安保7人衆」の一人として政府追及の先頭に立った。
年譜
[編集]- 1946年(昭和21年)-第22回衆議院議員総選挙初当選
- 1947年(昭和22年)-第23回衆議院議員総選挙当選(2期目)
- 1948年(昭和23年)-第24回衆議院議員総選挙当選(3期目)
- 1952年(昭和27年)-第25回衆議院議員総選挙当選(4期目)
- 1953年(昭和28年)-第26回衆議院議員総選挙次点
- 1955年(昭和30年)-第27回衆議院議員総選挙当選(5期目)
- 1958年(昭和33年)-第28回衆議院議員総選挙当選(6期目)
- 1960年(昭和35年)-第29回衆議院議員総選挙当選(7期目)
- 1962年(昭和37年)-衆議院外務委員会理事
- 1963年(昭和38年)-第30回衆議院議員総選挙当選(8期目)
- 1965年(昭和40年)-衆議院日本国と大韓民国との間の条約及び協定等に関する特別委員会理事
- 1966年(昭和41年)-日本対外文化協会理事長(会長は松前重義)
- 1967年(昭和42年)-第31回衆議院議員総選挙当選(9期目)
- 1969年(昭和44年)-第32回衆議院議員総選挙当選(10期目)
- 1972年(昭和47年)-第33回衆議院議員総選挙次点
- 1975年(昭和50年)-北九州市長選挙次点
- 1976年(昭和51年)-第34回衆議院議員総選挙当選(11期目)
- 1979年(昭和54年)-第35回衆議院議員総選挙次々点
- 1980年(昭和55年)-第36回衆議院議員総選挙次々点
- 1982年(昭和57年)-勲一等瑞宝章受章
親族
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 衆議院・参議院編『議会制度七十年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1962年。
- 広瀬弘『大衆人事録 第二十三版 西日本編』帝国秘密探偵社、1963年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
議会 | ||
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先代 八百板正 |
衆議院逓信委員長 1977年 - 1978年 |
次代 石野久男 |