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民族派

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民族派(みんぞくは)とは、日本における第二次世界大戦後の右翼の一つの傾向、在り方。

概要

戦後日本の右翼は、東西の冷戦構造下において、「民族主義」よりも「反共主義」を主要なテーマとして運動した。右翼は、「昭和維新」を忘れ、ともすれば「資本主義」やアメリカ合衆国の手先のような存在になりがちであった(親米保守)。

斯かる状態に対して、1960年代後半には、「反共」よりも、「民族的視点」と「右からの変革(昭和維新)」を重視する青年学生の勢力が登場する。彼らは、既成の右翼団体(街宣右翼)と一線を画し、「右翼」と呼ばれることを嫌い、自らを「民族派」と呼んだ。

民族派の運動は、三島由紀夫の言動や、新左翼の活動論に大きく刺激され、この時期に飛躍的発展を遂げた。民族派の政治的主張の特徴は、米ソによる世界分割支配をYP体制(ヤルタポツダムの略)と呼んで厳しく批判し、文明論として「反近代」論を展開したことであった。戦前の右翼である玄洋社黒龍会神兵隊などに憧憬の念を持っている者も多い。

一般に民族派とされる野村秋介は、新左翼アナーキストと討論に応じたり、テレ朝の討論番組「朝まで生テレビ!」にも出演した。これらの積極的な言論活動は、既存の右翼が今まで行っていなかったことであり、注目された[1]。なお、元統一戦線義勇軍総裁の見沢知廉は純文学の作家として長く活動していた。

現在注目される活動としては、一部の民族派が東日本大震災及び福島第一原子力発電所事故をうけて「山河を守れ」「国土を汚すな」という視点から「脱原発」を呼び掛けていることがあげられる[2]

2000年代後半に発生し、インターネットを活用して勢力を拡大させた右派系の市民活動について、民族派各団体の反応は様々である。一水会代表木村三浩は、右派系市民グループの持つ排外主義的な側面を「右翼の名に値しないおぞましい集団」[3]と厳しく批判する。その一方で、民族派の流れをくむ維新政党・新風のように右派系の市民グループとの交流を強める団体もある。

関連項目

出典・脚注

  1. ^ 鈴木邦男『右翼は言論の敵か』(ちくま新書 2009年)
  2. ^ 針谷大輔 『右からの脱原発』 ケイアンドケイプレス 2012年11月20日。ISBN490667447X
  3. ^ 【右翼と言えない弱者いじめ】<ヘイトスピーチ>法規制は言論の萎縮に  民族派団体「一水会」代表・木村三浩氏(2013年6月配信・共同通信社)

外部リンク