泥田坊
泥田坊(どろたぼう)は、鳥山石燕による画集『今昔百鬼拾遺』にある日本の妖怪[1]。
概要
石燕による泥田坊は顔が片目のみで手の指が3本しかなく、泥田から上半身のみを現した姿で描かれている[2][1][3]。『今昔百鬼拾遺』の解説文には、
むかし北国(ほくこく)に翁あり子孫のためにいささかの田地をかひ置て寒暑風雨をさけず時々の耕作おこたらざりしに この翁死してよりその子 酒にふけりて農業を事とせずはてにはこの田地を他人にうりあたへれば夜な々々目の一つあるくろきものいでて 田をかへせ々々とののしりけり これを泥田坊といふとぞ
とあり、北国に住む翁が、子孫のために買い込んだ田を遺して死んでしまい、その息子は農業を継ぐどころか酒ばかり飲んで遊びふけっており、夜な夜な田に一つ目の者が現れ「田を返せ、田を返せ」と罵ったとある。現代、そのような伝承は当時の他の文献や民間伝承などでは確認されておらず、未詳であるとされている[2][1]。
昭和・平成以後の妖怪に関する文献では石燕の解説文をもとに、農業を営む老人が田を遺して死んだ末、放蕩息子を怨んで泥田坊という妖怪と化したものとして解説されている[3]。
小説家・山田野理夫の著書『東北怪談の旅』には、「ドロ田坊」という題で山形県にあった話として以下のように述べられている。庄内に住むアキという女が、夫の半左衛門が川の工事に狩り出されてずっと家を空けているので、毎日家で怠けていた。しかし周囲から「田で働いているみんなと同じように家から出ろ」と言われ、仕方なく家を出たものの、田植えもせずにぶらぶらしていた。あるとき山へ入ったアキは、見かけない若者に会い、彼と契って毎日楽しむようになった。やがて半左衛門が仕事を終えて家へ帰ると、アキがいない。人づてにアキがよく山へ行っていると聞き、その山へ行ったところ、蛇を股に巻きつけたアキが卵を産み落としていた。呆れた半左衛門は、アキに蛇の妻になれと言い、離婚を言い渡した。アキが山を降りて田のあぜ道を歩いていたところ、田から泥だらけの坊主「ドロ田坊」が現れ、「蛇の子を産むより田植えをしろ」と言い放ったという[4]。
多田克己による『幻想世界の住人たちIV』では、昭和に入ってからのものであるとして、太平洋戦争中、基地建設のために多くの農地が撤収された農民たちが、逮捕されたり行き場を失って浮浪者となったりした末に不遇な死を遂げ、その怨念が泥田坊と化して祟りを起こしたと記しており、減反政策が進むさなかにも新たな泥田坊が生まれているかもしていれない、と解説している[3]。