谷豊
谷豊(たに ゆたか、1911年 - 1942年3月17日)は、昭和初期にマレー半島で活動した盗賊である。生まれは現在の福岡県福岡市南区。後に日本軍の諜報員となった。
谷豊の生涯
マレーシアに育つ
谷豊は理髪店を営む父の家庭に生まれた。豊が生まれてまもなく、一家はマレーシアに移住した。これ以来、豊は日本人ながらマレーシアの文化に親しんで育つことになる。
「教育は日本で受けさせたい」という親の意向もあり、学齢期にはいったん帰国(祖父母の家に滞在)するものの再びマレーシアへ戻り、マレー人の友人たちとともに青春を過ごした。当時の豊は親分肌で皆に慕われていたらしい。なおマレーシア文化の影響をうけ、このころイスラム教に帰依している。
転機
徴兵検査不合格
二十歳になったとき、徴兵検査を受けるため再び帰国。しかしムスリムの豊にとっては天皇を現人神として絶対視する当時(昭和初期)の日本軍の思想と相容れず、そのために不合格となる。軍隊入りがかなわなかったことは、マレーシア文化のもとに育ちながらも日本人としての意識を強烈に持ち(ある意味、当時の日本人青年としては当然ではあるが)、祖国の役に立つことを夢見ていた豊にとってかなりのショックだったらしい。
妹の惨殺
同じ頃マレーシアでは、満州事変に対して在マレーの華僑たちが排日暴動を起おこしていた。そのさなかにマレーシアの谷家(店舗兼住居)も破壊され、さらにたまたま寝込んでいた豊の妹が暴徒に斬首され殺されてしまう。しかも暴徒は妹の首を持ち去り、さらしものにまでしたともいう(なおこの首は隣家の歯科医が奪還し、遺体と縫い合わせている)。この事件により谷一家は日本へ引き揚げざるを得なくなった。
帰国した母親から事件のことを聞いた豊は激怒し、単身再びマレーシアへ向かった。
盗賊団を組織
再びマレーシアへ戻った豊はマレー人の友人たちと徒党を組み、華僑を主に襲う盗賊団となった。数年の間、マレー半島を転々としながら活動を続けていたようである。
諜報員となる
そんな中、太平洋戦争が始まる。開戦にあたり、まず日本陸軍はマレー半島攻略を第一目標とし、現地に精通した諜報員を欲していた。日本軍の現地工作を担当した特務機関・「F機関」は、日本人でありしかもマレー半島を股にかけて活動する豊らの盗賊団に目をつけ、これを諜報組織に引き込んだ。こうしたことの結果、マレー半島攻略は順調に進んでいった。
谷豊の最期
その後も豊は部下とともに諜報活動に従事していたが、そのさなかに感染したマラリアが原因で死亡した。享年31。遺体は部下らが引き取り、イスラム式の葬礼をおこなったという。現地のどこに葬られたかは不明。
なお諜報員として働いていた豊は軍属ということで戦死あつかいされ、福岡の実家への戦死公報が届けられた。
英雄「ハリマオ」へ
日本軍としてはこの劇的な日本人諜報員・谷豊に戦意高揚のシンボルとしての役割をも見いだし、彼の死は新聞でも報道された。
また、豊は「マレーのハリマオ」または「ハリマン王(ハリマオの転訛)」などとよばれて大々的に宣伝され、映画なども作られた。ハリマオとはマレー語で「虎」を意味する。この名前は「豊のマレーでの通称『ハリマオ・マラユ』」に由来するとも、「豊らの盗賊団を諜報員にした際の作戦名『ハリマオ作戦』」に由来するとも言われているが、いずれにせよ豊が死後英雄視される中で広まった名前である。こうして伝説的な英雄「ハリマオ」の虚像が一人歩きをはじめた。
大戦中に作られたハリマオのイメージは根強く残り、戦後においても『怪傑ハリマオ』として漫画化され、ドラマにまでなった。しかし戦争が過去の物となり、東亜での戦争行為について日本国内で批判的な見方が高まるにつれ、軍国主義のシンボルでもあった英雄「ハリマオ」は忘れ去られていったのである。
ふたたび「谷豊」へ
だが豊没後半世紀を経た20世紀末になって、ようやく一人の人間「谷豊」としての再評価がはじまっている。
豊が愛したマレーシアでも、1996年に初めて彼をテーマとしたドキュメント番組が組まれた。その番組のラストは次の言葉で締めくくられている。
“イギリス軍も日本軍も武器ではマレーシアの心を捉えられなかった。心を捉えたのは、マレーを愛した一人の日本人だった。”
ハリマオを扱った作品
映画
- ハリマオ (1989年・松竹、監督:和田勉、主演:陣内孝則)
- それまでの偶像化されたハリマオに対し、一人の人間としての谷豊にせまった作品。本作での豊は単純な愛国青年であり、軍の特務機関に利用され殺されていった悲劇の人物として描かれている。
- ルパン三世 ハリマオの財宝を追え!!
漫画
- 快傑ハリマオ (原作:山田克郎、作画:石ノ森章太郎)
- 戦時中の「東南アジア某国」を舞台に、現地の独立をめざし活躍するヒーロー・ハリマオを描く冒険活劇。ハリマオのキャラクターは戦時中の映画の影響をもろにうけている。
ドラマ
- 快傑ハリマオ(1960年・日本テレビ、宣弘社制作)
- 上記漫画の映像化作品。宣弘社が月光仮面からまもなく手がけた作品で、月光仮面同様、子ども向け覆面ヒーロードラマの走り。外見上も、覆面(厳密にはサングラス)・二丁拳銃という点が共通している。
参考文献
- 山本節『ハリマオ~マレーの虎、六十年後の真実』大修館書店、2002 ISBN 4-469-23221-1