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鹿児島県道73号鹿屋高山串良線

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主要地方道
鹿児島県道73号標識
鹿児島県道73号鹿屋高山串良線
路線延長 22.219km
制定年 1982年(主要地方道として)
起点 鹿児島県鹿屋市浜田町
主な
経由都市
肝属郡肝付町
終点 鹿児島県鹿屋市串良町有里(宮下交差点)
接続する
主な道路
記法
国道269号(起点)
鹿児島県道68号鹿屋吾平佐多線(鹿屋市吾平町)
国道220号(終点)
テンプレート(ノート 使い方) PJ道路
鹿屋市浜田町(起点)
肝付町新富

鹿児島県道73号鹿屋高山串良線(かごしまけんどう73ごう かのやこうやまくしらせん)は、鹿児島県鹿屋市浜田町を起点とし、同市吾平町肝属郡肝付町(旧高山町)を経由して鹿屋市串良町に至る県道主要地方道。総延長・実延長はともに22.219キロメートル、改良率は95.8パーセント(2007年4月1日現在)。

沿線

鹿児島湾(錦江湾)沿岸部の鹿屋市浜田町から国道269号と別れ、峠を越える。大姶良地区は肝属川支流の大姶良川を併走するかたちで東進する。

鹿屋市吾平町中心部の吾平町交差点 - 吾平町麓交差点間は県道68号鹿屋吾平佐多線と重複するものの、当区間は県道73号として運用されている。

肝付町に入ってからはロードサイド店舗が目立つようになる。旧高山町中心部からは北進するため、東進する(志布志湾国道448号方面へ向かう)場合は県道539号高山吾平線を利用することになる。鹿屋市串良町までは旧大隅線と併走し、宮下交差点で国道220号に合流し終点となる。

歴史

旧大姶良村[1]の主要道路として開通した里道が前身であり、現在の路線(主要地方道)としては1982年12月17日に認定された[2]。かつての一般県道小浜高山線(鹿屋市浜田町 - 肝付町間)・新富吾平線(肝付町内)[3]・主要地方道串良内之浦大根占線[4](肝付町新富 - 串良町間)を合わせたもので、鹿屋 - 高山間は一般県道からの昇格・高山 - 串良間は路線名変更となった。

現在の鹿屋市域には1890年代を中心に県道や里道が整備された[5]ものの、いずれも旧大姶良村の周縁部を通過するのみであった。このため、鹿屋村、大姶良村、姶良村(後の吾平町、現在の鹿屋市)、高山村(現在の肝付町)の協力により1911年[6]に鹿屋村高須から高山村に至る里道を整備した。このとき開通した区間の一部は、現在県道545号永吉高須線として指定されており、現在県道73号として指定されている浜田 - 永吉間は1930年に開通した。

主な接続道路

脚注

  1. ^ 1941年に鹿屋町・花岡村と合併し鹿屋市となる。
  2. ^ 県道の路線認定一覧表 - 鹿児島県例規集(鹿児島県告示1863号)。
  3. ^ 一部は現在の県道高山吾平線。
  4. ^ 新富 - 波見間は現在の県道高山吾平線、波見 - 大根占間は現在の国道448号。
  5. ^ 1890年に古江 - 志布志間(現在の国道220号)、1893年に古江 - 大根占間(現在の県道68号・国道269号)、1894年に鹿屋 - 内之浦間(現在の県道68号など)が開通している。
  6. ^ 『鹿屋市史 下巻』の年表による。

関連項目

参考文献

  • 鹿屋市史編さん委員会・編 『鹿屋市史 下巻(改訂版)』 鹿屋市、1995年3月、285-286頁。
  • 角川日本地名大辞典46 鹿児島県』角川書店、1983年。
  • 『平成18年度道路現況調書』 鹿児島県土木部道路維持課、2007年。
  • 『平成19年度道路現況調書』 鹿児島県土木部道路維持課、2008年。