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かしも明治座

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かしも明治座
かしも明治座の位置(岐阜県内)
かしも明治座
かしも明治座の位置(日本内)
かしも明治座
情報
旧名称 明治座
用途 芝居小屋
階数 2階建
所在地 508-0421
岐阜県中津川市加子母4793-2
座標 北緯35度42分2.2秒 東経137度23分2.1秒 / 北緯35.700611度 東経137.383917度 / 35.700611; 137.383917 (かしも明治座)座標: 北緯35度42分2.2秒 東経137度23分2.1秒 / 北緯35.700611度 東経137.383917度 / 35.700611; 137.383917 (かしも明治座)
文化財 岐阜県指定有形民俗文化財
指定・登録等日 1972年昭和47年)7月12日[1]
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かしも明治座(かしもめいじざ)は、岐阜県中津川市(旧・恵那郡加子母村)にある芝居小屋である。

概要

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岐阜県指定有形民俗文化財[1]

江戸時代から明治時代にかけて、美濃国および飛騨国(現在の岐阜県)では、地元の人々による地芝居歌舞伎)が盛んに行なわれていた。加子母でも江戸時代中期以前から行われていたとされる[1]。この時期には数多くの芝居小屋が建てられており、明治座もその一つである。地域住民による公演や買芝居(専業劇団の公演)の興行が行われた。

年表

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  • 1894年明治27年)12月10日 - 舞台開き。4日間にわたって地芝居や他地域から招いた一座の公演が行われたとされる[1]。当初の名称は共同演劇場(きょうどうえんげきじょう)[1]
  • 1947年昭和22年) - 大規模な修復を行なう。
  • 1972年(昭和47年)7月12日 - 岐阜県指定有形民俗文化財に指定される[1]
  • 1973年(昭和48年) - 加子母歌舞伎愛好会が設立される[2]
  • 974年(昭和49年) - 加子母歌舞伎愛好会が加子母歌舞伎保存会に改称[2]。加子母歌舞伎の定期公演を開始[2]。以後毎年開催。
  • 1997年平成9年)3月5日 - 引き幕が中津川市指定有形民俗文化財に指定される[3]
  • 1998年(平成10年) - 第1回明治座クラシックコンサートが行われる。以後毎年開催。
  • 2006年(平成18年) - 第十八代中村勘三郎襲名披露公演が行われる。
  • 2015年(平成27年) - 明治座の屋根が創建当時の榑葺屋根(くれぶきやね)に復元される[2]

建築

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建物の間口は19.6メートル、奥行は22.21メートルであり、舞台の奥行は7.85メートルである[1]。木造2階建であり、白壁の切妻造りである。小規模な芝居小屋とはいえ、廻り舞台、仮花道すっぽん奈落を備えている。客席は1階と2階にあり、2階は座敷席である。劇場形式の農村舞台である。

特色

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太平洋戦争中は公演が途絶えたが、現在は加子母歌舞伎保存会による公演(毎年9月)の他、様々な芝居やイベントにも使用されている。普段は一般開放されていて、無料で見学することができる。開館時には明治座活用委員会の「明治座案内人」が館内案内を行っている。

入場料は無料。民間団体の明治座活用委員会が一口300円で[明治座維持修復基金]を募っており、これを入場料の代わりとしている。桧の割り符を300円で購入してもらい、半分に割った片方は領収書として持ち帰り、もう半分には名前等を書いて明治座の壁に掛けて行くことができるもので、現在までに600万円を越える寄付が集まっている。

加子母地区の広報誌であるかしも通信の中に明治座かわら版コーナーが掲載され、毎月情報を発信している。

引き幕は中津川市指定有形民俗文化財に指定されている[3]

現地情報

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所在地
アクセス

岐阜県の芝居小屋

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岐阜県は地芝居が盛んな地域であり、江戸時代から昭和時代に建設された木造芝居小屋が残っている。主な芝居小屋は以下のとおりである。

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 加子母の農村舞台(明治座)”. 岐阜県. 2013年5月14日閲覧。
  2. ^ a b c d 加子母歌舞伎保存会 地歌舞伎
  3. ^ a b 明治座の引き幕”. 中津川市. 2013年5月19日閲覧。

外部リンク

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