グレンデール (哨戒フリゲート)
艦歴 | |
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発注 | |
起工 | 1943年4月6日 |
進水 | 1943年5月28日 |
就役 | 1943年10月1日 |
退役 | 1951年10月29日 |
その後 | ソ連に貸与。返還後タイへ貸与。 タイで記念艦として公開。 |
除籍 | 1951年11月20日 |
性能諸元 | |
排水量 | 基準 1,430トン 満載 2,415トン |
全長 | 303 ft 11 in (92.6 m) |
全幅 | 37 ft 6 in (11.4 m) |
吃水 | 13 ft 8 in (4.1 m) |
機関 | ボイラー3基 5,500軸馬力 タービン2基 2軸推進 |
最大速力 | 20ノット (37 km/h) |
航続距離 | |
乗員 | 190名 |
兵装 | 3インチ50口径対空砲3門 40mm機関砲 4門 20mm機関砲 9門 ヘッジホッグ 1基 対潜爆雷投射機(Y砲)8基 爆雷投下軌条 2条 |
グレンデール (USS Glendale, PF-36) は、アメリカ海軍の哨戒フリゲート。タコマ級フリゲートの1隻。艦名はカリフォルニア州グレンデールに因む。
艦歴
[編集]グレンデールは1943年4月6日にカリフォルニア州ウィルミントンのコンソリデーテッド・スチール社で起工した。1943年5月28日にシャーリー・シュリクトマンによって命名、進水し、1943年10月1日に艦長ハロルド・J・ドーブラー沿岸警備隊少佐の指揮下就役した。
南カリフォルニアでの整調に続いて、グレンデールは1944年1月12日にカリフォルニア州サンディエゴを出航、2月17日にオーストラリアのケアンズに到着した。1944年後半までグレンデールはニューギニアを拠点として到着、出航する商船の対潜水艦および対航空機護衛任務に従事した。
9月14日、グレンデールはモロタイ島攻撃部隊に参加するためニューギニアのフンボルト湾を出港し、商船の護衛任務を担当した。9月24日にフンボルト湾に帰還し、ニューギニアとフィリピン間での護衛任務を継続した。
1944年12月5日、ホーランジアからレイテ島に向かう船団護衛任務中にグレンデールは日本軍機の攻撃を受ける。この攻撃で貴重な新型レーダー機材を積んだ貨物船アントワーヌ・ソーグレイン (SS Antoine Saugrain) が沈没し、マーカス・デーリー (SS Marcus Daly) も大きく損傷した。しかしながらグレンデールは残る船団をレイテ島に無事送り届けた。
グレンデールは12月8日にレイテ島を出航し、1945年1月24日にマサチューセッツ州ボストンに到着した。オーバーホール後3月28日にメイン州カスコ湾を出航し、4月26日にワシントン州シアトルに到着する。グレンデールは1945年6月12日にアラスカ州コールド・ベイで退役し、ソ連海軍に引き渡された。艦長のアンブローズ・シムコ少佐は他のソ連貸与艦の艦長と同じく、ソ連から記念の短剣を贈与された。ソ連では「護衛艦」を意味する「EK」の略号が付与され、EK-42 と命名された。
EK-42 は1949年11月16日に横須賀でアメリカ海軍に返還され、1950年10月11日に再就役した。朝鮮戦争中の1950年12月、グレンデールは陸上の国連軍を支援して興南、釜山および仁川の哨戒を行った。グレンデールは韓国海域での戦闘で、大韓民国殊勲部隊章を受章した。1951年10月29日にグレンデールは再び退役し、タイへ貸与される。タイでは Tachin (PF-1) の艦名で就役した。グレンデールは1951年11月20日に除籍された。
グレンデールは第二次世界大戦の戦功で5個の、朝鮮戦争の戦功で4個の従軍星章を受章した。
注釈・出典
[編集]外部リンク
[編集]- history.navy.mil: USS Glendale - ウェイバックマシン(2004年6月22日アーカイブ分)
- navsource.org: USS Glendale
- hazegray.org: USS Glendale
- この記事はアメリカ合衆国政府の著作物であるDictionary of American Naval Fighting Shipsに由来する文章を含んでいます。