ジョゼ・エリアス・モエディム・ジュニオール
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名前 | ||||||||||||||
本名 |
ジョゼ・エリアス・モエディム・ジュニオール José Elias Moedim Júnior | |||||||||||||
ラテン文字 | Zé Elias | |||||||||||||
基本情報 | ||||||||||||||
国籍 | ブラジル | |||||||||||||
生年月日 | 1976年9月25日(48歳) | |||||||||||||
出身地 | サンパウロ | |||||||||||||
身長 | 178cm | |||||||||||||
選手情報 | ||||||||||||||
在籍チーム | 引退 | |||||||||||||
ポジション | MF (DH) | |||||||||||||
利き足 | 左足 | |||||||||||||
クラブ1 | ||||||||||||||
年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||||||||||
1993-1996 1996-1997 1997-1999 1999-2000 2000-2003 2003-2004 2004-2006 2006 2006 2006-2007 2008 2008-2009 |
コリンチャンス レバークーゼン インテル ボローニャ オリンピアコス ジェノア サントス M.ドネツィク グアラニ オモニア・ニコシア ロンドリーナ アルタッハ |
60 23 (0) 33 (2) 19 (0) 49 (2) 19 (1) 25 (0) 0 (0) 1 (0) 12 (1) ? (?) 16 (0) (2) | ||||||||||||
代表歴2 | ||||||||||||||
1995 1996 1995-1999 |
ブラジル U-20 ブラジル U-23 ブラジル |
5 6 (0) 10 (0) (0) | ||||||||||||
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1. 国内リーグ戦に限る。2012年11月8日現在。 2. 2012年11月8日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ゼ・エリアス(Zé Elias)ことジョゼ・エリアス・モエディム・ジュニオール(José Elias Moedim Júnior、1976年9月25日 - )は、ブラジル・サンパウロ出身の元同国代表の元サッカー選手。
経歴
[編集]サンパウロで生まれると地元のコリンチャンスに入団。1993-94シーズンに17歳の誕生日を迎える前に出場し、当時の最年少選手としてデビューをする[1]と、すぐさまPSVアイントホーフェンから強い関心が寄せられた。
クラブでレギュラーの座を掴むと、1995年19歳の時にブラジル代表で初キャップを刻んだ。また、同年のコパ・ド・ブラジルとカンピオナート・パウリスタのタイトルを獲得と最高のシーズンを送った。その後は、バイエル・レバークーゼン、インテルナツィオナーレ・ミラノ、ボローニャFC、オリンピアコスFC(ギリシャ・スーパーリーグで3連覇を経験)、そしてジェノアCFCに所属。
ブラジルに戻りサントスFCでプレーした後は、FCメタルルフ・ドネツィク、グアラニFC、オモニア・ニコシア、そしてロンドリーナECと短期間在籍した。2008年3月に引退するとインテルでスカウトの職に就いていたが、6月にSCラインドルフ・アルタッハと契約を結んだ。2008-09シーズン終了後に再び引退し、引退後はヘジ・グローボなどをもつグローボ社のラジオでコメンテーターとして活動している。
プライベート
[編集]弟のルビーニョもサッカー選手で、キャリアのほとんどをイタリアで過ごし、GKとしてプレーしている[2]。
2011年7月21日、扶養手当や慰謝料の不払いで逮捕され[3][4]、約1ヶ月後に出所した。
代表
[編集]エリアスはブラジル代表として22試合に出場した。1995年3月29日、1-1で引き分けたホンジュラスとの親善試合でデビューをした。翌1996年はアトランタオリンピックで銅メダルを獲得、1996 CONCACAFゴールドカップではメキシコとの決勝戦に0-2で敗れたため準優勝だった。
脚注
[編集]外部リンク
[編集]- Sambafoot
- zerozero.pt
- ジョゼ・エリアス・モエディム・ジュニオール - National-Football-Teams.com
- ジョゼ・エリアス・モエディム・ジュニオール – FIFA主催大会成績