ナバラ君主一覧
本項では、パンプローナ、後のナバラ王国の君主を一覧で列挙する。パンプローナはアラゴン王国(1076年 – 1134年)と合同する前の最初の王国の名前である。領域上の名称であるナバラが10世紀に代わって用いられるようになるが、パンプローナの名称は12世紀まで保持された。
イニゴ家 (824年?–905年)
[編集]イニゴ家は824年頃にフランク王国の権威に反旗を翻すことでナバラ(パンプローナ)王国の土台を築いた[1]。
名前 | 肖像画 | 誕生 | 結婚 | 死去 |
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イニゴ・アリスタ 824年?–851/2年 |
4人の子を儲ける | 851/2年 | ||
ガルシア・イニゲス 851/2年–882年 |
イゴニ・アリスタの男子 | 5人の子を儲ける | 882年 | |
フォルトゥン・ガルセス 882年–905年 |
ガルシア・イニゲスの男子 | オリア 5人の子を儲ける |
(905年廃位) |
ヒメネス家 (905年–1234年)
[編集]905年、隣国との連携はフォルトン・ガルゼスの修道院への隠遁を余儀なくさせ、その後には新王朝ヒメネス朝の王統が続いた。新王朝のもとでナバラの名がパンプローナの名に取って代わった。
名前 | 肖像画 | 誕生 | 結婚 | 死去 |
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サンチョ・ガルセス1世 905年–925年 |
ガルシア・ヒメネスとダディルディス・デ・パリャースの男子 | トダ・アスナレス 6人の子を儲ける |
925年12月11日 レサ | |
ヒメノ・ガルセス 925年–931年 |
ガルシア・ヒメネスとダディルディス・デ・パリャースの男子 | サンチャ・デ・パンプローナ 3人の子を儲ける |
931年5月29日 | |
ガルシア・サンチェス1世 931年–970年 |
919年 サンチョ・ガルセス1世とトダ・アスナレスの男子 |
アンドレゴト・ガリンデス 2人の子を儲ける テレサ・ラミレス・デ・レオン 3人の子を儲ける |
970年2月22日 51歳没 | |
サンチョ・ガルセス2世 970年–994年 |
935年以後 ガルシア・サンチェス1世とアンドレゴト・ガリンデスの男子 |
ウラカ・フェルナンデス 4人の子を儲ける |
994年12月 | |
ガルシア・サンチェス2世 994年–1000/1004年 |
サンチョ・ガルセス2世とウラカ・フェルナンデスの男子 | ヒメナ・フェルナンデス 981年 4人の子を儲ける |
1000/1004年 | |
サンチョ・ガルセス3世 1004年–1035年 |
985年 ガルシア・サンチェス2世とヒメナ・フェルナンデスの男子 |
ムニアドナ・デ・カスティーリャ 1010年 4人の子を儲ける |
1035年10月18日 | |
ガルシア・サンチェス3世 1035年–1054年 |
1016年 サンチョ・ガルセス3世とムニアドナ・デ・カスティーリャの男子 |
エステファニア・デ・バルセロナ 1038年 9人の子を儲ける |
1054年9月15日 アタプエルカ | |
サンチョ・ガルセス4世 1054年–1076年 |
1039年 ガルシア・サンチェス3世とエステファニア・デ・バルセロナの男子 |
プラセンシア 1068年 3人の子を儲ける |
1076年6月4日 ペニャレン |
サンチョ・ガルセス4世が暗殺されると、ナバラは従兄弟のカスティーリャ王アルフォンソ6世とアラゴン王サンチョ1世の侵略を受け、後者がナバラ王になり、半世紀の間アラゴン王国の支配下に置かれた。
名前 | 肖像画 | 誕生 | 結婚 | 死去 |
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サンチョ5世ラミレス 1076年–1094年 |
1042年 アラゴン王ラミロ1世とエルメシンダ・デ・ビゴーラの男子 |
イサベル・デ・ウルヘル 1065年 1人の子を儲ける フェリシー・ド・ルシー 1076年 3人の子を儲ける |
1094年6月4日 ウエスカ 52歳没 | |
ペドロ1世 1094年–1104年 |
1068年 サンチョ5世ラミレスとイサベル・デ・ウルヘルの男子 |
アニェス・ダキテーヌ 1086年 2人の子を儲ける ベルタ 1097年 子を儲けず |
1104年9月28日 アラン谷 36歳没 | |
アルフォンソ1世 1104年–1134年 |
1073年 サンチョ5世ラミレスとフェリシー・ド・ルシーの男子 |
ウラカ・デ・カスティーリャ 1109年 子を儲けず |
1134年9月8日 ウエスカ 61歳没 |
アルフォンソ1世の死はアラゴンを王位継承危機に導き、ナバラ貴族が暗殺されたサンチョ4世の大甥(庶兄弟を介する形となる)を王位につけることで王国の再建独立をするのに有利に働いた。
名前 | 肖像画 | 誕生 | 結婚 | 死去 |
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ガルシア・ラミレス 1134年–1150年 |
ラミロ・サンチェスとクリスティーナ・ロドリゲスの男子 | マルガリータ・デ・ライグレ 1130年 4人の子を儲ける ウラカ・デ・カスティーリャ 1144年6月24日 2人の子を儲ける |
1150年11月21日 ロルカ | |
サンチョ6世 1150–1194 |
1133年 ガルシア・ラミレスとマルガリータ・デ・ライグレの男子 |
サンチャ・デ・カスティーリャ 1157年 6人の子を儲ける |
1194年6月27日 パンプローナ | |
サンチョ7世 1194年–1234年 |
1157年 トゥデラ サンチョ6世とサンチャ・デ・カスティーリャの男子 |
コンスタンス・ド・トゥールーズ 1195年 6人の子を儲ける |
1234年4月7日 トゥデラ |
シャンパーニュ家 (1234年–1284年)
[編集]最後のヒメノ朝の君主サンチョ7世の死で、ナバラ王位はその妹ブランシュの男子であるブロワ家のシャンパーニュ伯ティボー4世(テオバルド)に移り、ブランシュは長い間摂政を務めた。
名前 | 肖像画 | 誕生 | 結婚 | 死去 |
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テオバルド1世 1234年–1253年 |
1201年5月30日 トロワ シャンパーニュ伯ティボー3世とブランシュ・ド・ナヴァールの男子 |
ゲルトルート・フォン・ダグスブルク 1220年 子を儲けず アニェス・ド・ボージュー 1222年 1人の子を儲ける マルグリット・ド・ブルボン 1232年 6人の子を儲ける |
1253年6月8日 パンプローナ 52歳没 | |
テオバルド2世 1253年–1270年 |
1238年 テオバルド1世とマルグリット・ド・ブルボンの男子 |
イザベル 1255年4月6日 子を儲けず |
1270年12月4日 トラーパニ 32歳没 | |
エンリケ1世 1270年–1274年 |
1244年 テオバルド1世とマルグリット・ド・ブルボンの男子 |
ブランシュ・ダルトワ 1269年 2人の子を儲ける |
1274年6月22日 30歳没 | |
フアナ1世 1274年–1305年 |
1271年6月14日 バル=シュル=セーヌ エンリケ1世とブランシュ・ダルトワの女子 |
フィリップ4世 1284年8月16日 7人の子を儲ける |
1305年4月4日 ヴァンセンヌ城 34歳没 |
カペー家 (1284年–1349年)
[編集]エンリケ1世の急死後、残された女子のフアナが唯一の後継者となり、その母ブランシュ・ダルトワが10年間摂政となった。1284年にフアナがのちのフランス国王フィリップ4世と結婚したことでブランシュの摂政統治は終わり、フィリップ4世はフランス国王即位後に「フランスとナバラの国王」を称した。
名前 | 肖像画 | 誕生 | 結婚 | 死去 |
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フェリペ1世 1284年–1305年 |
1268年 フォンテーヌブロー フィリップ3世とイザベル・ダラゴンの男子 |
フアナ1世 1284年8月16日 7人の子を儲ける |
1314年11月29日 フォンテーヌブロー 46歳没 | |
ルイス1世 1305年–1316年 |
1289年10月4日 パリ フェリペ1世とフアナ1世の男子 |
マルグリット・ド・ブルゴーニュ 1305年9月21日 1人の子を儲ける クレマンス・ド・オングリー 1315年8月19日 1人の子を儲ける |
1316年6月5日 ヴァンセンヌ 26歳没 | |
フアン1世 1316年 |
1316年11月15日 パリ ルイス1世とクレマンス・ド・オングリーの男子 |
未婚 | 1316年11月20日 パリ 誕生とともに即位、5日後に没 | |
フェリペ2世 1316年–1322年 |
1292年 リヨン フェリペ1世とフアナ1世の男子 |
ジャンヌ・ド・ブルゴーニュ 1307年 7人の子を儲ける |
1322年1月3日 ロンシャン 29歳没 | |
カルロス1世 1322年–1328年 |
1294年6月19日 クレルモン フェリペ1世とフアナ1世の男子 |
ブランシュ・ド・ブルゴーニュ 1307年 2人の子を儲ける マリー・ド・リュクサンブール 1322年 4人の子を儲ける ジャンヌ・デヴルー 1326年 3人の子を儲ける |
1328年2月1日 ヴァンセンヌ 34歳没 | |
フアナ2世 1328年–1349年 |
1312年1月28日 シャラントン=ル=ポン ルイス1世とマルグリット・ド・ブルゴーニュの女子 |
フェリペ3世 8人の子を儲ける |
1349年10月6日 シャラントン=ル=ポン 37歳没 |
エヴルー家 (1328年–1441年)
[編集]名前 | 肖像画 | 誕生 | 結婚 | 死去 |
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フェリペ3世 1328年–1343年 |
1306年3月27日 エヴルー伯ルイとマルグリット・ダルトワの男子 |
フアナ2世 8人の子を儲ける |
1343年9月16日 ヘレス・デ・ラ・フロンテーラ 37歳没 | |
カルロス2世 1349年–1387年 |
1332年10月10日 エヴルー フェリペ3世とフアナ2世の男子 |
ジャンヌ 7人の子を儲ける |
1387年1月1日 パンプローナ 54歳没 | |
カルロス3世 1387–1425 |
1361年7月22日 ナント カルロス2世とジャンヌの男子 |
エレオノール 1375年 8人の子を儲ける |
1425年9月8日 オリテ 64歳没 | |
ブランカ1世 1425–1441 |
1385年 カスティーリャ カルロス3世とエレオノールの女子 |
シチリア王マルティーノ1世 1402年12月26日 1人の子を儲ける フアン2世 1420年6月10日 4人の子を儲ける |
1441年4月3日 サンタ・マリア・ラ・レアル・デ・ニエバ 56歳没 |
トラスタマラ家 (1425年–1479年)
[編集]名前 | 肖像画 | 誕生 | 結婚 | 死去 |
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フアン2世 1425年–1479年 (デ・ファクト) 1425年-1441年 (デ・ジュリ) |
1397年6月29日 メディナ・デル・カンポ アラゴン王フェルナンド1世とレオノールの男子 |
ブランカ1世 1419年11月6日 4人の子を儲ける フアナ・エンリケス 2人の子を儲ける |
1479年1月20日 バルセロナ 81歳没 | |
レオノール 1479 |
1425年2月2日 オリテ フアン2世とブランカ1世の女子 |
フォワ伯ガストン4世 11人の子を儲ける |
1479年2月12日 トゥデラ 54歳没 |
- フアン2世に対する王位請求者 1441年–1464年
フアン2世は妻の没後もナバラ王位を保持したが、長男と長女は王位請求者かつ事実上の君主であった。
名前 | 肖像画 | 誕生 | 結婚 | 死去 |
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カルロス4世 1441–1461 |
1421年3月29日 ペニャフィエル フアン2世とブランカ1世の男子 |
アニェス 子を儲けず |
1461年9月23日 バルセロナ 40歳没 | |
ブランカ2世 1461–1464 |
1424年 オリテ フアン2世とブランカ1世の女子 |
カスティーリャ王エンリケ4世 子を儲けず |
1464年12月2日 オルテズ 40歳没 |
フォワ家 (1479年–1518年)
[編集]名前 | 肖像画 | 誕生 | 結婚 | 死去 |
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フランシスコ1世 1479年–1483年 |
1469年4月18日 ビアナ公ガストンとマドレーヌの男子 |
未婚 | 1483年2月12日 ポー 13歳没 | |
カタリナ 1483–1517 |
1468年 ビアナ公ガストンとマドレーヌの女子 |
フアン3世 13人の子を儲ける |
1517年2月12日 モン=ド=マルサン 49歳没 |
アルブレ家 (1518年–1572年)
[編集]フアン3世は1512年にアラゴン王フェルナンド2世に敗北したが、この時フェルナンド2世はナバラ南部を征服してナバラ国王として戴冠した。フェルナンド2世以後はアラゴン君主一覧及びスペイン君主一覧を参考のこと。1512年以降のナバラの君主は単にピレネー山脈以北の低ナバラ(バス=ナヴァール)一帯を支配するに留まった。
名前 | 肖像画 | 誕生 | 結婚 | 死去 |
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フアン3世 1484–1516 |
1469年 アルブレ伯アラン1世とフランソワーズ・ド・シャティヨン=リモージュの男子 |
カタリナ 13人の子を儲ける |
1516年6月14日 ポー 47歳没 | |
エンリケ2世 1517年–1555年 |
1503年4月18日 サングエサ フアン3世とカタリナの男子 |
マルグリット 1526年 2人の子を儲ける |
1555年5月25日 アジェトモー 52歳没 | |
フアナ3世 1555年–1572年 |
1528年1月7日 サン=ジェルマン=アン=レー エンリケ2世とマルグリットの女子 |
アントニオ 1548年10月20日 5人の子を儲ける |
1572年6月9日 パリ 44歳没 |
ブルボン家 (1572年–1620年)
[編集]名前 | 肖像画 | 誕生 | 結婚 | 死去 |
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アントニオ 1555年-1562年 |
1518年4月22日 ラ・フェール、ピカルディ ヴァンドーム公シャルル・ド・ブルボンとフランソワーズ・ダランソンの男子 |
フアナ3世 1548年10月20日 5人の子を儲ける |
1562年11月17日 レザンドリ、ウール 44歳没 | |
エンリケ3世 1572年–1610年 |
1553年12月13日 ポー アントニオとフアナ3世の男子 |
(1) マルグリット・ド・ヴァロワ 1572年8月18日 子を儲けず (2) マリー・ド・メディシス 1600年12月17日 6人の子を儲ける |
1610年3月14日 パリ 57歳没 | |
ルイス2世 1610年–1620年 |
1601年9月27日 フォンテーヌブロー宮殿 エンリケ3世とマリー・ド・メディシスの男子 |
アンヌ・ドートリッシュ 1615年11月24日 6人の子を儲ける |
1643年5月14日 パリ 41歳没 |
ナバラ国王エンリケ3世がフランス国王アンリ4世になったことで、ナバラ王位は再びフランス王位と合一した。1620年にナバラ王国はフランスに併合されたが、フランス国王は1791年までナバラ国王の称号を用い続け、1814年から1830年までの復古王政期に復活した。
カルリスタのスペイン王位請求者はカルリスタ戦争中にスパイン・ナバラで勢力を誇ったが、その一派の請求は普通はスペイン全土の王号であった。
系図
[編集]- ナバラ(パンプローナ)王
(イニゴ家) イニゴ・ アリスタ | |||||||||||||||||||||||||||||||||
ガルシア・ イニゲス | |||||||||||||||||||||||||||||||||
フォルトゥン・ ガルセス | サンチョ | ||||||||||||||||||||||||||||||||
オネカ | アスナール・ サンチェス | (ヒメネス家) | |||||||||||||||||||||||||||||||
トダ | サンチョ・ ガルセス1世 | ヒメノ・ ガルセス | |||||||||||||||||||||||||||||||
ガルシア・ サンチェス1世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
サンチョ・ ガルセス2世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
ガルシア・ サンチェス2世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
サンチョ・ ガルセス3世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
ガルシア・ サンチェス3世 | ラミロ1世 アラゴン王 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
サンチョ・ ガルセス4世 | サンチョ・ ガルセス | サンチョ5世 ラミレス アラゴン王 | |||||||||||||||||||||||||||||||
ラミロ・ サンチェス | ペドロ1世 アラゴン王 | アルフォンソ1世 アラゴン王 | |||||||||||||||||||||||||||||||
ガルシア・ ラミレス | |||||||||||||||||||||||||||||||||
サンチョ6世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
サンチョ7世 | ブランシュ | (シャンパーニュ家) ティボー3世 シャンパーニュ伯 | |||||||||||||||||||||||||||||||
テオバルド1世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
テオバルド2世 | エンリケ1世 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
(カペー家) フェリペ1世 フランス王 (フィリップ4世) | フアナ1世 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
ルイス1世 フランス王 (ルイ10世) | フェリペ2世 フランス王 (フィリップ5世) | カルロス1世 フランス王 (シャルル4世) | |||||||||||||||||||||||||||||||
フアン1世 フランス王 (ジャン1世) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
(エヴルー家) フェリペ3世 エヴルー伯 | フアナ2世 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
カルロス2世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
カルロス3世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
ブランカ1世 | (トラスタマラ家) フアン2世 アラゴン王 | フアナ・ エンリケス | |||||||||||||||||||||||||||||||
カルロス (4世) ビアナ公 (王位請求者) | ブランカ (2世) (王位請求者) | ||||||||||||||||||||||||||||||||
(フォワ家) ガストン4世 フォワ伯 | レオノール | ||||||||||||||||||||||||||||||||
ガストン ビアナ公 | ジャン ナルボンヌ子爵 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
フランシスコ1世 | ジェルメーヌ | フェルナンド2世 アラゴン王 | イサベル1世 カスティーリャ 女王 | ||||||||||||||||||||||||||||||
カタリナ | (アルブレ家) フアン3世 | フアナ カスティーリャ 女王 | |||||||||||||||||||||||||||||||
エンリケ2世 | (スペイン王) | ||||||||||||||||||||||||||||||||
(ブルボン家) アントニオ ヴァンドーム公 | フアナ3世 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
エンリケ3世 フランス王 (アンリ4世) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
ルイス2世 フランス王 (ルイ13世) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
(フランス王) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
現在の君主および王位請求者
[編集]- スペイン国王フェリペ6世 - アラゴン国王フェルナンド2世による相続と征服の結果獲得された数多くの称号の一つとして、ナバラ国王の称号を用いている。
- ルイス・アルフォンソ・デ・ボルボン - ブラン・デスパーニュと呼ばれる現在のフランス及びナバラ王位請求者。ルイ13世以降のナバラ王位のフランス王位への統合にともなう、サリカ法による相続に基づく。
- ペドロ・デ・ボルボン=ドス・シシリアス - スペインの王族で、カラブリア系のブルボン=シチリア家の家長。両シチリア王国の王位請求者でもある。祖母アリシア・デ・ボルボン=パルマ(2017年没)が生前、カラブリア系ブルボン=シチリア家の公式ホームページ[2]において、伝統的な親族間の男系優先の長子相続に基づく現在のナバラ王位の請求者であることが言及されていた。アリシアの長男であるペドロの父カルロスは2015年に没しており、アリシアの権利をペドロが継承した形となる[要検証 ]。
脚注
[編集]- ^ J.E.モービー『オックスフォード世界歴代王朝王名総覧』東洋書林、1993年、p.156
- ^ “90th birthday of Infanta D. Alicia, Princess of Bourbon-Parma, Dowager Duchess of Calabria” (英語). ブルボン=シチリア家公式サイト. 2023年10月24日閲覧。