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ラト (ギリシャ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ラト
Λατώ
ラトのアゴラ
ラトの位置(ギリシャ内)
ラト
ラト
ラトの位置
ラトの位置(エーゲ海内)
ラト
ラト
ラト (エーゲ海)
ラトの位置(クレタ島内)
ラト
ラト
ラト (クレタ島)
所在地 クレタ島, ラシティ県, クリツァ英語版
座標 北緯35度10分40秒 東経25度39分13秒 / 北緯35.17778度 東経25.65361度 / 35.17778; 25.65361座標: 北緯35度10分40秒 東経25度39分13秒 / 北緯35.17778度 東経25.65361度 / 35.17778; 25.65361
種類 古代都市(アゴラプリュタネイオンアポロン神殿ほか)
歴史
放棄 紀元前200年頃
時代 アルカイック期からヘレニズム時代
追加情報
発掘期間 1894年-1896年:
アーサー・エヴァンズ
1899年-1901年:
ジョセフ・デマルニュフランス語版
1968年-1970年代:
ピエール・デュクレイフランス語版
オリヴィエ・ピカール フランス語版
一般公開 夏(4月1日-10月31日, 火曜日を除く)8:30-16:00

ラト古希: Λατώ, Latṓ)は、古代ギリシアクレタ島の古代都市である。ラトーとも表記される。その遺跡は現在ラシティ県クリツァ英語版の小さな町から約3 kmに位置している。アレクサンドロス大王に仕えたネアルコスはラトの出身である[1]

歴史

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ドーリス人の都市国家は都市のアクロポリスとなった2つの山頂の間にミラベッロ湾英語版を見下ろす防御可能な位置に建設された。都市の建設はおそらくドーリス人が到来した後期青銅器時代以前に先立つと考えられているが、現在見つかっている遺跡は主に紀元前5世紀から4世紀頃のドーリス人の時代のものである[1]

この都市の名前はギリシア神話アポロンアルテミスの母である女神レトにちなんで名づけられたと考えられ(ラトはレトのドーリス方言)、クノッソスから発見された線文字B粘土板RA-TO として言及されている可能性がある[1][2]。またラトでは古くから女神エイレイテュイアが崇拝されていたらしく、同地で発行された貨幣にエイレイテュイアの肖像が描かれている[1][2]

前3世紀末にラトはクレタ島の都市同盟に参加し、同じ法律を共有した。またラトはロドス島テオスペルガモンエウメネス1世と同盟を結んだが、隣接する都市オロス英語版とは国境をめぐって継続的に対立していた[1]。現在のアイオス・ニコラオスの近くにあるラト・プロス・カマラ英語版(Lato Etera あるいは単に Kamara)の遺跡はラトの外港としてドーリス人によって建設されたが、人々はむしろカマラに集中していき、やがてラトの政治機能はカマラに移され、最終的に前200年頃に放棄された。カマラはローマ時代も使用されたが、これは後に混乱を招き、ビュザンティオンのステパノス英語版はクレタ島の歴史家ゼニオン(Zenion)を引用してラトとカマラは同一の都市であると繰り返し主張した。現在ではこの2つは明確に区別されている。考古学者フェデリコ・ハルブヘル英語版、L・マリアーニ(L. Mariani)、アントニオ・タラメッリ英語版は遺跡を訪れてラトに特定した[3]

1894年から1896年にかけてアーサー・エヴァンズが小規模な発掘調査を行ったのち、1899年から1901年にかけてアテネ・フランス学院ジョセフ・デマルニュフランス語版の指揮のもと体系的な発掘を行い、1968年にピエール・デュクレイフランス語版オリヴィエ・ピカール フランス語版らによって再開され、1970年代まで続いた[3]

ギャラリー

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ラトの都市の遺跡。

脚注

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  1. ^ a b c d e Archaeological Site in Lato”. Υπουργείο Πολιτισμού και Αθλητισμού. 2020年2月10日閲覧。
  2. ^ a b Lato Fieldnotes”. The Modern Antiquarian.com. 2020年2月10日閲覧。
  3. ^ a b Lato”. Greek Ministry of Culture. 2020年2月10日閲覧。

参考文献

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  •  この記事には現在パブリックドメインである次の出版物からのテキストが含まれている: Smith, William, ed. (1854–1857). "Camara". Dictionary of Greek and Roman Geography. London: John Murray.
  • Martha W. Baldwin Bowsky, Portrait of a Polis: Lato Pros Kamara (Crete) in the Late Second Century B. C., Hesperia, Vol.58, No.3 (July - September 1989), pp. 331–47

関連項目

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