中東直己
日南キャンプにて(2012年2月24日) | |
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 広島県呉市 |
生年月日 | 1981年10月5日(43歳) |
身長 体重 |
168 cm 73 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 外野手、捕手 |
プロ入り | 2006年 大学生・社会人ドラフト5巡目 |
初出場 | 2007年4月14日 |
最終出場 | 2015年7月30日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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中東 直己(なかひがし なおき、1981年10月5日 - )は、広島県呉市出身の元プロ野球選手(外野手・捕手)。2008年6月23日から2009年シーズンまでは中東 直瑛(なかひがし なおてる)の登録名を用いていた。
来歴
[編集]プロ入り前
[編集]呉市立仁方小学校1年から軟式野球部に入るが、練習が週末にしかないことに不満を持ち、2年からはソフトボール部へ移った[1]。幼少期からカープのファンで、広島市民球場に通っていた[2]。小早川毅彦が江川卓から打ったサヨナラホームランは強烈な印象があるという。仁方中学校からふたたび軟式野球部に所属し外野を務めた[1]。進学した広島工高では右肩を痛め、満足なプレーができず、卒業したら野球をやめるつもりだった[1]。しかし知人の紹介で3年生の夏に東亜大学硬式野球部の練習に参加し、再び野球の面白さに気付いた[1]。
東亜大学に進学し、外野手として3年春に中国六大学野球リーグ戦で首位打者、春秋ともベストナイン。2003年の大学4年時には1番打者にして捕手としてリーグ戦で活躍し春秋優勝、いずれもリーグMVP、ベストナイン。春の第52回大学選手権準々決勝で準優勝した亜大に4-6で敗れベスト8止まりだったものの、秋の第34回明治神宮大会では準決勝で早大を7-3、決勝で神奈川大を10-9で下し優勝した。第32回日米大学野球日本代表にも選ばれ、打率.421を記録した[1]。大学卒業後、プロを念頭にJR西日本に進み[1]、1年目からレギュラー捕手の座をつかんだが、野球部は休部を余儀なくされ、ホンダ鈴鹿に移籍[1]。ホンダ鈴鹿では主に1番・センターで起用され、俊足に加え長打力のある切り込み隊長としてチームの都市対抗野球大会出場に貢献した[1]。
広島時代
[編集]2007年は外野手登録ではあるが、オープン戦では捕手としても出場した。オープン戦で牽制で一塁に帰塁する際に右手の指を捻挫し、開幕一軍を逃すが、4月14日の中日ドラゴンズ戦に代打で初出場。翌4月15日の試合で8回から捕手として守備に就く。4月17日対読売ジャイアンツ戦(スカイマークスタジアム)でプロ初スタメン。プロ初安打はならなかったが、プロ初打点を記録した。9回裏2死2塁の場面で李承燁のセンターフライを落球した(チームは勝利)。7月19日に行われたフレッシュオールスターでは初回先頭打者としてヒットで出塁。その後立て続けに二盗、三盗と決め、三盗時に捕手の悪送球でホームインし、MVPを獲得した。しかしその後の打席でファウルを打った際に骨折した。二軍では打率.394で、17試合で9盗塁を決めた。
2008年は開幕一軍入りを果たすもすぐに二軍降格。4月末に二軍の試合で右手の甲を痛めて戦線離脱。故障続きのため、心機一転、6月23日に登録名を中東直己から「中東直瑛」に改名した[1]。秋から層の厚い外野に対して、手薄な捕手を主体に行くこととなり本格的に捕手の練習を行った[3]。
2009年も前年同様開幕一軍だったが、1試合の出場で降格。再昇格は無かった。
2010年は再び外野手登録となり、登録名も本名の「中東直己」に戻した[1]。
2011年は背番号を「00」に変更。シーズン中盤以降守備・代走要員として一軍に定着し、自己最多となる64試合に出場した。8月14日の巨人戦(東京ドーム)では、4年ぶりに一軍の試合で捕手を務めた。代走として出場した8月30日のヤクルト戦では、勝ち越し点となる好走塁を見せた[4]。
2013年はシーズン初スタメン出場となる5月8日の横浜DeNAベイスターズ戦で走塁で勝利に貢献し、自身初となるヒーローインタビューを受けた[6]。その後5月12日の中日ドラゴンズ戦では途中出場して勝ち越し打を放ち[7]、さらに5月14日の福岡ソフトバンクホークス戦ではプロ初本塁打を打ったことで、1週間の間に3回のヒーローインタビューを受けることになった[8]。
2014年も主に守備・代走要員として一軍に定着し、2011年の64試合を上回る自己最多の86試合に出場した。12月12日には、広島HOMEテレビ『鯉のはなシアター』の「中東直己と赤き球場 〜時を越えた30年の想い〜 」に出演した。
2015年はわずか9試合の出場に終わり、3打数無安打だった。
2016年には、一軍公式戦への出場機会がないまま、10月3日に球団から戦力外通告を受けた[9]。12月2日、自由契約公示された[10]。
広島退団後
[編集]NPB他球団での現役続行を希望したため、2016年11月12日には、甲子園球場で開催の12球団合同トライアウトに参加。シートバッティング形式の対戦では、5人の投手を相手に5打数2安打という結果を残した。また、他の対戦中には、本職の捕手としてマスクを被った[11]。
獲得の意思を示す球団がなかったことから、現役を引退した。
引退後
[編集]2017年2月からは広島OBで先輩の山本浩二の紹介で[12]、広島県内の一般企業に勤務することを本人がtwitter上で公表した[13]。
2017年には勤務先でもある株式会社大和興産のテレビコマーシャルに出演し、ウルトラマン(初代)や同シリーズの怪獣とも共演した他、同社の公式ブログにも社員として寄稿することがある[14]。
選手としての特徴・人物
[編集]俊足を生かした堅実な外野守備に加え、捕手もこなす万能選手[15][12]。打撃では速い直球に強かった[16]。現役時代は主に貴重なスーパーサブとして活躍した[17]。
明るく前向きな性格であり、雨天コールドになった試合では上本崇司と共にAKB48の「恋するフォーチュンクッキー」の曲に合わせて踊り、ファンを楽しませていた[12]。
現役時代の一番の思い出として、2011年8月30日のヤクルト戦を挙げている[12]。この試合では2-2の延長十回2死から二塁ランナーの代走で出場し、相手投手の暴投で、二塁から一気に勝ち越しの本塁を奪った[12]。この事について、武器である俊足を生かしてチームの勝利に初めて貢献できたことが印象強く残っているという[12]。
現役時代は毎年キャンプの期間に入ると、中東の母親が手作りのいちご大福を差し入れ、チームメイトからは「勝利を呼ぶ」と言われていた[18]。2013年には約200個がキャンプ地へ届けられている[18]。また、そのレシピがNHKのEテレで放送されている番組「グレーテルのかまど」で取り上げられた[18]。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2007 | 広島 | 31 | 74 | 70 | 7 | 14 | 2 | 0 | 0 | 16 | 2 | 4 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 18 | 0 | .200 | .243 | .229 | .472 |
2008 | 5 | 2 | 2 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .500 | .500 | .500 | 1.000 | |
2009 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
2010 | 15 | 11 | 9 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 3 | 0 | .000 | .091 | .000 | .091 | |
2011 | 64 | 34 | 34 | 7 | 7 | 1 | 0 | 0 | 8 | 1 | 3 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | .206 | .206 | .235 | .441 | |
2012 | 53 | 33 | 29 | 10 | 9 | 0 | 0 | 0 | 9 | 1 | 1 | 1 | 2 | 0 | 2 | 0 | 0 | 5 | 0 | .310 | .355 | .310 | .665 | |
2013 | 51 | 87 | 77 | 12 | 21 | 3 | 0 | 1 | 27 | 4 | 3 | 2 | 3 | 0 | 7 | 1 | 0 | 13 | 0 | .273 | .333 | .351 | .684 | |
2014 | 86 | 87 | 80 | 10 | 19 | 2 | 0 | 1 | 24 | 7 | 4 | 2 | 1 | 1 | 4 | 0 | 1 | 9 | 1 | .238 | .279 | .300 | .579 | |
2015 | 9 | 4 | 3 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
通算:9年 | 315 | 333 | 305 | 54 | 71 | 8 | 0 | 2 | 85 | 16 | 19 | 9 | 7 | 2 | 18 | 1 | 1 | 54 | 1 | .233 | .276 | .279 | .556 |
年度別守備成績
[編集]年 度 |
球 団 |
外野 | 捕手 | |||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
捕 逸 |
守 備 率 |
企 図 数 |
許 盗 塁 |
盗 塁 刺 |
阻 止 率 | ||
2007 | 広島 | 16 | 25 | 1 | 1 | 0 | .963 | 2 | 5 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1.000 | 0 | 0 | 0 | - |
2008 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | - | |||||||||||
2009 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | - | |||||||||||
2010 | 7 | 5 | 1 | 0 | 1 | 1.000 | - | |||||||||||
2011 | 40 | 17 | 0 | 1 | 0 | .944 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 0 | 0 | 0 | - | |
2012 | 34 | 16 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 0 | 0 | 0 | - | |
2013 | 34 | 22 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | 1 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 0 | 0 | 0 | - | |
2014 | 62 | 25 | 3 | 0 | 1 | 1.000 | 1 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 0 | 0 | 0 | - | |
2015 | 4 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | - | |||||||||||
通算 | 199 | 112 | 7 | 2 | 2 | .983 | 6 | 12 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1.000 | 0 | 0 | 0 | - |
表彰
[編集]- フレッシュオールスターゲームMVP(2007年)
記録
[編集]- 初出場:2007年4月14日、対中日ドラゴンズ1回戦(広島市民球場)、8回裏に梅津智弘の代打で出場
- 初打席:同上、8回裏に吉見一起の前に空振り三振
- 初先発出場:2007年4月17日、対読売ジャイアンツ4回戦(スカイマークスタジアム)、1番・中堅手で先発出場
- 初打点:同上、7回表に姜建銘から一塁ゴロの間に記録
- 初盗塁:2007年4月18日、対読売ジャイアンツ5回戦(京セラドーム大阪)、1回表に二盗(投手:金刃憲人、捕手:阿部慎之助)
- 初安打:2007年5月8日、対中日ドラゴンズ6回戦(福山市民球場)、5回裏にビクトル・マルテの代打で出場、朝倉健太から左前安打
- 初本塁打:2013年5月14日、対福岡ソフトバンクホークス1回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、1回裏に大場翔太から右越先制ソロ
背番号
[編集]- 35 (2007年 - 2010年)
- 00 (2011年 - 2016年)
登録名
[編集]- 中東 直己 (なかひがし なおき、2007年 - 2008年6月22日、2010年 - 2016年)
- 中東 直瑛 (なかひがし なおてる、2008年6月23日 - 2009年)
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k 野球浪漫 中東直己『週刊ベースボール』2012年4月16日号、ベースボール・マガジン社、2012年、雑誌20443-4/16, 48-51頁。
- ^ “外野・捕手挑む二刀流 曲折経て夢を実現した俊足強肩 中東直己”. 中国新聞. (2007年1月15日) 2014年4月12日閲覧。
- ^ 木村雅俊 (2008年2月16日). “「捕手・中東」猛アピール 初の紅白戦、岩本が二塁打”. 中国新聞
- ^ “中東 勝ち越し点もたらす好走塁!”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2011年8月30日) 2011年5月20日閲覧。
- ^ “広島 外国人投手は3人 前田智も1軍スタート”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2012年3月28日) 2013年5月15日閲覧。
- ^ “広島 中東 足で連敗脱出演出 初のお立ち台に歓喜「立ちたかった」”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2013年5月8日) 2013年5月15日閲覧。
- ^ “中東が勝ち越し打!1週間で2度目のお立ち台に笑顔”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2013年5月12日) 2013年5月15日閲覧。
- ^ “中東がプロ初本塁打 7年目での一発「入ると思ってなかった」”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2013年5月14日) 2013年5月15日閲覧。
- ^ “来季の選手契約について”. 広島東洋カープ公式サイト (2016年10月3日). 2016年10月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年4月19日閲覧。
- ^ “自由契約選手|2016年度公示”. NPB.jp 日本野球機構 (2016年12月2日). 2016年12月3日閲覧。
- ^ “65人が参加/12球団合同トライアウト詳細”. 日刊スポーツ. (2016年11月12日) 2016年11月13日閲覧。
- ^ a b c d e f g “万能選手だった元カープ・中東直己さんの今 「出会いを大切にする」営業マンに”. デイリースポーツ. 2022年3月31日閲覧。
- ^ 「中東直己 on Twitter」『Twitter』。2018年5月1日閲覧。
- ^ “新生活 部屋探し 大和興産【更新】|広島の不動産情報なら大和興産”. www.daiwa-kosan.co.jp. 2023年4月19日閲覧。
- ^ “戦力外通告の中東「頭が真っ白…」 今後は未定/デイリースポーツ online”. デイリースポーツ online. 2021年2月1日閲覧。
- ^ “65人が参加/12球団合同トライアウト詳細 - プロ野球 : 日刊スポーツ”. nikkansports.com. 2021年4月21日閲覧。
- ^ “川相昌弘氏に木村拓也氏、今季はロッテ・鳥谷敬も 背番号「0」と「00」はユーティリティープレーヤーの宝庫”. SPAIA. 2021年4月5日閲覧。
- ^ a b c hatenanews (1395987121). “甘さと酸っぱさを楽しめる「イチゴ大福」の作り方 電子レンジを使った餅生地のレシピも”. はてなニュース. 2021年2月1日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 中東直己 - NPB.jp 日本野球機構
- 中東直己 (@nakahigashi00) - X(旧Twitter)
- 株式会社大和興産 - 引退後の勤務先。社員でもある中東を元広島選手としてテレビコマーシャルに起用したことがある他、公式ブログに寄稿することがある。また同社では広島時代の同僚だった新井貴浩も引退後にコマーシャルに起用している。