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光進事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

光進事件(こうしんじけん)とは、バブル景気下の日本で起こった、仕手筋集団「光進」を巡る事件の総称である[1]

概要

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小谷光浩を代表とする仕手筋集団「光進」が、バブル期末期の1987年昭和62年) - 1990年平成2年)にかけて蛇の目ミシン工業(現在のジャノメ)・国際航業(現在の国際航業ホールディングス)・藤田観光などの株を買い占めた一連の経済犯罪である。首謀者の小谷は1991年3月に蛇の目ミシンでの恐喝容疑で逮捕された後、蛇の目ミシン工業側から破産申し立てにより、1992年平成4年)に個人としては尾上縫に次ぐ負債総額1,200億円で破産している。

イトマン事件架空預金証書事件東海・富士銀不正融資事件などと並び、銀行ノンバンクの乱脈融資により多額の不良債権を生み出したバブル期を象徴する事件として知られる。

蛇の目ミシン工業事件

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最高裁判所判例
事件名 損害賠償請求事件
事件番号 平成15(受)1154
2006年(平成18年)4月10日
判例集 民集 第60巻4号1273頁
裁判要旨
  1. いわゆる仕手筋として知られるAが大量に取得したB社の株式を暴力団の関連会社に売却するなどとB社の取締役であるYらを脅迫した場合においてAの要求に応じて巨額の金員を交付することを提案し又はこれに同意したYらの忠実義務,善管注意義務違反が問われた行為について過失を否定することができないとされた事例
  2. 会社から見て好ましくないと判断される株主が議決権等の株主の権利を行使することを回避する目的で当該株主から株式を譲り受けるための対価を何人かに供与する行為と商法(平成12年法律第90号による改正前のもの)294条ノ2第1項にいう「株主ノ権利ノ行使ニ関シ」利益を供与する行為
最高裁判所第二小法廷
裁判長 中川了滋
陪席裁判官 滝井繁男津野修今井功古田佑紀
意見
多数意見 全員一致
意見 なし
反対意見 なし
参照法条
(1につき)商法254条3項,商法254条ノ3,商法266条1項5号,民法644条  (2につき)商法(平成12年法律第90号による改正前のもの)294条ノ2,商法(平成15年法律第134号による改正前のもの)266条1項2号
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1990年平成2年)後半に疑惑として表面化した恐喝事件(立件されなかったが特別背任にも近い)。

1987年昭和62年)に小谷が地産グループのミヒロファイナンスなどからの融資金で蛇の目ミシン工業(現・ジャノメ。以下、蛇の目)の株を買占め(3100万株・約20%)筆頭株主となり、同社取締役に就任。ミヒロファイナンスから借入金返済を要求されたことで1989年平成元年)4月から経営陣に株の高値買い取りを要求し、要求に応じなければ暴力団に売り渡すとして、ミヒロファイナンスの借入金と同額の960億円余りを要求する形で恐喝。
蛇の目ミシンは恐喝をうけメインバンクで当時の社長の出身でもある埼玉銀行(現:りそな銀行埼玉りそな銀行)の東京本部に相談し、同年8月に担当の幹部行員が恐喝であることを知りながら、蛇の目の保証と同社本社屋の土地を抵当に取り、系列ノンバンクの首都圏リース(現存)が蛇の目の子会社 ジェーシーエルへの融資で資金供給する。そして光進出身の蛇の目の元副社長が設立した不動産会社ナナトミ住専絡みで直後に倒産)が持つ土地をジェーシーエルが抵当に入れて296億7000万円を融資し(迂回融資)、小谷代表が窃取した。

また、株の買い戻しを狙い小谷の債務1875億円(ミヒロファイナンスからの約960億円を含む)を1989年平成元年)6月から翌年6月頃にかけてジェーシーエルと蛇の目子会社のニューホームクレジットが、小谷の持つ蛇の目株を担保に取って肩代わりした。更に1990年平成2年)にナナトミが小谷の保有する蛇の目株3,755万株を1株5千円(時価は2-4千円程度)で買い取る契約をしたとして、肩代わり時の担保不足分170億円を小谷が持つ国際航業株を担保に差し入れ、蛇の目から光進へ追加融資させ、蛇の目の損失を拡げた。

1991年平成3年)2月に296億円の恐喝容疑で小谷が逮捕され(後に8億円で保釈)、2003年平成15年)9月30日の最高裁判決(梶谷玄裁判長)で一審懲役7年が確定。また、小谷個人に対して株主代表訴訟が提起され、2001年3月29日の東京地裁判決で蛇の目に対して939億円の損害義務があるとする判決が出された。 不正融資を行った埼玉銀行では逮捕者は出なかったが、1991年平成3年)5月21日に発足間もない協和埼玉銀行初代頭取(埼銀出身)が引責辞任した。

ナナトミは譲受前に倒産したこともあり、ジェーシーエルとニューホームクレジットが光進への融資(又貸し)の担保として差し入れていた蛇の目株は旧埼玉銀行系列の大栄不動産へ譲渡され、蛇の目は光進への融資に使用したジェーシーエルを1992年平成4年)に特別清算させるとともに資産売却などで経営再建を行って行くことになる。
なお、小谷以外の蛇の目経営陣も特別背任罪などには問われなかったが、融資の判断による損失などについて株主代表訴訟を提起され、2008年平成20年)に東京高等裁判所が当時の旧経営陣5人に対して583億6,000万円の賠償命令を下した[2]。この賠償額は大和銀行ニューヨーク支店巨額損失事件の責任を巡る株主代表訴訟で大阪地裁判決で830億円の賠償命令後、二審の大阪高裁で2億5000万円で和解したものを大きく上回るものとなった。

国際航業株買占め事件

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1986年昭和61年)から翌年にかけて光進が国際航業を乗っ取るために株を買い占めた事件。なお、蛇の目ミシン工業が大株主として出資していた。国際航業の幹部2人が会社に無断で乗っ取り防止工作資金を11億円捻出したとして業務上横領で起訴された。1人は有罪判決(最決平成13年11月5日刑集55巻6号546頁)、1人は無罪判決が確定した。

  • 同社株買い占めについては三井信託銀行(中央三井信託銀行)が800億円以上を光進側へ融資し、見返りに光進からインサイダー情報を得ていた事が脱税事件などに発展し問題となった。
  • 同じく地産グループ総帥の竹井博友にもインサイダー情報を漏らし、国際航業・小糸製作所等の株売買で55億円の利益を得た。また、その見返りとして地産は蛇の目株買い占め資金の融資など光進に協力的な立場となった。1991年平成3年)に約34億円の脱税が発覚し所得税法違反で逮捕され、1992年に懲役4年罰金5億円の実刑判決を受け収監された。
  • 環境庁長官の稲村利幸は国際航業の株価急騰に便乗し、株売買、不正融資、売却益を得たが、1990年平成2年)に株取引で得た利益約28億円の所得を隠して17億円を脱税した容疑で起訴される。1997年に稲村に対し、懲役3年罰金3億円の有罪が確定した。

藤田観光株価操作事件

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藤田観光の株価を操作していた事件。 1990年平成2年)7月に光進代表が証券取引法違反で逮捕され、同年12月に保釈。

脚注

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  1. ^ 光進事件”. 日本経済新聞 (2017年12月23日). 2022年7月14日閲覧。
  2. ^ 蛇の目ミシン工業株式会社 (2008年10月3日). “旧経営陣に対する株主代表訴訟に関するお知らせ”. 決算プロ. 有報データマイニング株式会社. 2022年7月13日閲覧。

外部リンク

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