南好雄
表示
南 好雄 みなみ よしお | |
---|---|
南好雄 | |
生年月日 | 1904年(明治37年)1月29日 |
出生地 | 石川県羽咋郡高浜町(現・志賀町) |
没年月日 | 1985年9月4日(81歳没) |
出身校 | 東京帝国大学法学部卒業 |
前職 | 国家公務員(総理府) |
所属政党 |
(民主自由党→) (自由党→) 自由民主党 |
第26代 運輸大臣 | |
内閣 | 第1次池田内閣 |
在任期間 | 1960年 - 1961年 |
選挙区 | 石川県第2区 |
当選回数 | 7回 |
在任期間 | 1949年 - 1967年 |
南 好雄 (みなみ よしお、1904年〈明治37年〉1月29日 - 1980年〈昭和55年〉9月4日)は、日本の政治家。
来歴・人物
[編集]石川県羽咋郡高浜町(現在の志賀町)生まれ。第四高等学校、東京帝国大学独法科卒業後、1928年商工省に入省[1]。商工省大臣官房会計課長、総理府東京地方物価局長を最後に、退職。戦時中は陸軍司政官に転出した[2]。1949年、衆議院議員(当選7回)。1953年、第5次吉田茂内閣の建設政務次官、衆院公選法改正特別委員長を歴任。1960年、第1次池田内閣の運輸相として初入閣。1967年引退。1976年4月勲一等瑞宝章受章。1980年9月4日、糖尿病のため東京女子医大病院で死去。享年76[3]。
政歴
[編集]- 1950年(昭和25年) - 衆議院予算委員会委員
- 1953年(昭和28年)5月 - 第5次吉田茂内閣建設政務次官
- 1960年(昭和35年)7月 - 第1次池田内閣運輸大臣
- 1967年(昭和42年) - 第31回衆議院議員総選挙不出馬。
選挙歴
[編集]当落 | 選挙 | 施行日 | 選挙区 | 政党 | 得票数 | 得票率 | 得票順位 /候補者数 |
比例区 | 比例順位 /候補者数 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
当選 | 第24回衆議院議員総選挙 | 1949年(昭和24年)1月23日 | 石川県第2区 | 民主自由党 | ' | ' | '/ | - | -/- | |
当選 | 第25回衆議院議員総選挙 | 1952年(昭和27年)10月1日 | 石川県第2区 | 自由党 | ' | ' | '/ | - | -/- | |
当選 | 第26回衆議院議員総選挙 | 1953年(昭和28年)4月19日 | 石川県第2区 | 自由党 | ' | ' | '/ | - | -/- | |
当選 | 第27回衆議院議員総選挙 | 1955年(昭和30年)2月27日 | 石川県第2区 | 自由党 | 42,043 | ' | '/ | - | -/- | |
当選 | 第28回衆議院議員総選挙 | 1958年(昭和33年)5月22日 | 石川県第2区 | 自由民主党 | 41,938 | ' | '/ | - | -/- | |
当選 | 第29回衆議院議員総選挙 | 1960年(昭和35年)11月20日 | 石川県第2区 | 自由民主党 | 43,889 | ' | '/ | - | -/- | |
当選 | 第30回衆議院議員総選挙 | 1963年(昭和38年)11月21日 | 石川県第2区 | 自由民主党 | 37,365 | ' | '/ | - | -/- | |
当選回数7回(衆議院議員7回) |
脚注
[編集]- ^ 明治~昭和, 20世紀日本人名事典,新訂 政治家人名事典. “南 好雄(ミナミ ヨシオ)とは”. コトバンク. 2020年2月16日閲覧。
- ^ 帝国秘密探偵社 1943, 海外26頁.
- ^ 日本人名大辞典+Plus, デジタル版. “南好雄(みなみ よしお)とは”. コトバンク. 2020年2月16日閲覧。
参考文献
[編集]- 帝国秘密探偵社 編『大衆人事録 第14版 外地・満支・海外篇』帝国秘密探偵社、1943年 。
関連項目
[編集]公職 | ||
---|---|---|
先代 楢橋渡 |
運輸大臣 第26代 : 1960年 |
次代 木暮武太夫 |
議会 | ||
先代 石坂繁 |
衆議院公職選挙法改正に関する調査特別委員長 | 次代 早稲田柳右衛門 |