和田潤 (官僚)
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和田 潤(わだ じゅん、1872年5月8日(明治5年4月2日[1])- 1947年(昭和22年[2])7月30日[1])は日本の内務官僚、政治家。沖縄県知事、郡山市長、松阪市長。
略歴
[編集]1872年(明治5年)4月2日、高知県香美郡に生まれる。1899年(明治32年)に和仏法律学校(現・法政大学)を卒業し、1901年(明治34年)に文官高等試験に合格する。
内務省に入省。警視庁警部[3]。北海道庁警視、香川県事務官・第四部長、島根県事務官・警察部長、佐賀県事務官・警察部長、大分県・鳥取県・沖縄県内務部長を経て、1921年(大正10年)に沖縄県知事に就任し、1923年(大正13年)に退官する。
1929年(昭和4年)に福島県郡山市長(-1937年(昭和12年))、1937年(昭和12年)に三重県松阪市長(-1941年(昭和16年))を務める。
人物
[編集]私学出身で知事に就任するのは稀であったため、和田の知事就任は、床次竹二郎内相の引き上げがあったものと言われている。
栄典
[編集]脚注
[編集]参考
[編集]- 『日本の歴代知事』(歴代知事編纂会、1991)
- 『日本の歴代市長 第1巻・第2巻』(歴代知事編纂会、1983)
公職 | ||
---|---|---|
先代 大森吉弥 |
郡山市長 第2代:1929 - 1937 |
次代 村井八郎 |
先代 小出三郎 |
松阪市長 第2代:1937 - 1941 |
次代 後藤脩 |